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王舟と「大きな魚」の話をした。/王舟インタビュー その2

長々とお待たせしました。

 

王舟の新作アルバム『Big fish』をめぐるインタビューの後編。

 

後半はアルバム本編の話との直接の接点は離れるようでいながら、ミュージシャン王舟が今考えていることには近づいてるような気がする。まとめてても、なんだか振り子みたいなインタビューだとも思ったり。

 

彼があらたに始めた、ミュージシャンに録音機材のことを根掘り葉掘り聞いていく音楽サイト『DONCAMATIQ(ドンカマティック)』の話も出てくるので、どうぞ最後までお付き合いを。

 

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写真:松永良平

 

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王舟 "Lucky"(Official Music Video)

 

──『Big fish』の評判はすごくいいでしょ?

 

王舟 評判はとてもいいんですけど、どうやったらもっとたくさんの人に聴いてもらえるのかな……そこを考えながらほかの人の音楽を聴くと、もっと人に伝えることを重視してるなって思うものが多いんですよ。でも、「それは俺は苦手だな」って思う(笑)。人に何か具体性を伝えるために音楽をすることが。だから「これはおれにはできるかな?」くらいの難易度のことをやってるのかも。それをやってる間は、伝わるかどうかは考える余裕がないし、考えなくて済む。

 

──とはいえ、王舟くんの音楽は基本的にはポップの範疇であって、サイズも4分くらいに収まってるものが多い。それは「伝えたい音楽」とかたちとしては似てるように思えなくもない。

 

王舟 なんなんでしょうね。「伝えたい」って感じはないけど、いい印象は持ってもらいたいというのはあるんですよ。曲を聴いてる間の目にするものや時間とかにいい印象を持ちやすいようにしたいし、そうさせるのはポップなフォーマットだったりするから。ドラムとかがそうですよね。でも、それは「わかりやすく伝える」とかとはちょっと違う。ノイズやってても「伝えよう」と思ってたり、いろいろ考えてたりすると思うんで。

 

──たぶん、今言ってるような話って、王舟の音楽にみんながいちばん興味を持つツボでもあるし、謎な部分でもあると思うんです。

 

王舟 クセですね。クセみたいなものなんです。全部がそうだってわけじゃないんですけど、アルバムは自分が「今こういうのを好きなんですよ」みたいなものを出すというイメージがあるから、そういうときはクセが出ちゃうほうが好きっぽい。

 

──「好きっぽい」(笑)。普通、自分に対して出てくる表現じゃないですよね。

 

王舟 そこに、わりと大事なものがあると思うんですけど。会話してると、わりとみんなおなじ感じのことを思おうとするじゃないですか。みんな優しいから人に合わせたりもするし、結論を合わせようとしたりする。おれはそこはあんまりなくて、そのときの現場に議論の振れ幅を欲したいという感じがある。余地を残しておきたいんですよ。そういうふうに言うと「なんにも決まらないじゃん」みたいなこと言われるけど意外とそんなことなくて、決めたっていいし、決めたあとの余地を残しておけばいいという感覚。「おれは優柔不断かな?」って前は思ってたんですけど、意外とそうでもない。

 

──「決められない人」というのとは違う。

 

王舟 もちろん自分のなかに決められないことはあるんですけど。作ったデモの出来とかね。そういうときは夏目くんに聴いてもらったりして。

 

──歌詞についてもその振れ幅は通じてきますよね。歌詞は日本語も英語もあるし、英語の歌詞ももともとあやふやな言葉にあとから英語を当てはめたものだったりして。だけど、それは「歌詞なんてなんでもいい」とは違う。

 

王舟 そうですね。一個の質問があったら、みんなは1行くらいで答えてほしいじゃないですか。おれは1時間くらい答えを聞いてくれるのなら説明できるけど、結局その説明を聞いたところでその人はそれを1行には要約できないから、要は「よくわかんない」になっちゃう。その感じが現代っぽいと思うんですよ。ほかの人の音楽を聴くと「要約がちゃんとされてる」感じがあるなと思うのとも通じるかな。全部の音楽がそうだってわけじゃないです。でも、音楽はコミュニケーションのきっかけと考えると、「この曲はここがいいんだよ」って言いやすいっていうポイントがあるのも大事なんでしょうけどね。

 

──逆に「わかりやすい」と王舟くんが感じる音楽の作り手は、王舟くんを聴いて「なんでこんな音楽が作れるんだろう?」と思ってたりするのでは?

 

王舟 そうすね。それはお互いにあるでしょうね。「そんなにわかりやすくやってるつもりはないんです」って向こうは思うかもしれないし。

 

──そういう個人的な「伝えたさ」から乖離した歌が広く伝わるという歴史があったという意味では、僕は王舟くんの音楽にはウディ・ガスリーとかハンク・ウィリアムスと通じるものを感じるし、クロスレビューをMikikiに頼まれたときもそれを意識して書きましたね。現代にウディ・ガスリーみたいなタイプのフォーク・ミュージシャンがいるとしたらDAWでやってるんじゃないか、って。

 

mikiki.tokyo.jp

 

王舟 今ウディ・ガスリーハンク・ウィリアムスとか生きてたら音楽やってるんですかね? 今もギター弾いてるんじゃないですかね? まあ、でもおれは作るときは昔のアコギが今はコンピューターになった、みたいな感じでDAWを使ってるというのはあります。

 

──王舟くんの宅録の曲は前からありますけど、『Big fish』の曲はそれまでとも違う印象だったんですよね。ドラムパターンを作って、コードを乗せて、というのではない、曲の生え方というか。でも「この音色や音の配置の絶妙さ」をすごく狙ったということでもない。

 

王舟 それは狙ってないです。昔は誰かの音楽を聴くとプラグインとかエフェクトとかもっと突き詰めてやろうと思えばおれにも似たようなやれるし、「この配置いいね」とか「コンプってこういうものか」みたいに自分で噛み砕ける感覚はあったけど、今はソフトでできることが複雑すぎてできた音をただ感じるしかないような曖昧な感覚で音楽聴いてて。でも、「なるほど、こういう効果か」って気がつく瞬間はいっぱいあるんです。特にアメリカの今の音楽にはそういうのがいっぱいあって影響されたというのはあるかも。

 

──ソロで音楽を作り始めて10年くらい経ちましたけど、それなりに変化したなと思うのか、やっぱり一貫してるなと思ってるのか気になります。

 

王舟 仕事とかで作曲の依頼があって、要望に沿ったものを作ったりすると「意外とおれって成長してるかも」と思ったりしますね(笑)

 

──前にNHKのドラマ(『嘘なんてひとつもないの』2017年3月放映)の劇伴やったじゃないですか。

 

1fct.net

 

王舟 そのときも「意外とできるな」って感じはあったんですけど、結局そういうふうに思う感覚こそが素人っぽいんですよ。そういうところはずっと変わんないです。

 

──いろんな人と演奏すると、なかには「プロっぽい」じゃなく「プロ」な気質の人もいますよね。そういう現場での違いは感じます?

 

王舟 ぜんぜん感じます。「おれはやっぱりプレイヤー向いてないな」って思う(笑)。まあ、でも自分と比べられはしないですけど、ボブ・ディランって「素人っぽさ」が「プロっぽい」ですよね。ザ・バンドとやってるやつでもひとりだけやたらとズレまくるし。ちょっとおれが言ってることとは違うかもしれないですけど、そこに「こんな感じで演奏してもいいんだ」っていう発見はあって。周りはがっしりしてるのに自分は足並み揃えない。そういうのはいいな、って。

 


The Band - Forever Young

 

──こういう取材って、アルバムがリリースされるとき、つまり本人としては作品を作り終えたときに受けるじゃないですか。それって、聞かれてるほうとしては「もう作り終えちゃったものなんで」って気持ちになったりするところもあるのかなと思うんです。特に王舟くんの話を聞いてると、そういう部分は少なからずあるんだろうなと。

 

王舟 それはめちゃめちゃあります。だから、「これから聴いてくれる人が増えたらいいな」という感じはあります。今はもう「次のやつどうしようかな」って考えたりしてるから、前のやつを振り返ってもわりと忘れてるという感じはあります。答えてるうちに「そういえばそうだった」って思い出す感じはあるんですけど。本当は丁寧に解説ができるんだったらやりたいんですが、次のことを考えてるほうが自然だし、そこも人に伝えるということの難しさっていうか。

 

──時間の制約とか?

 

王舟 それもあります。さっきも言ったように言葉を要約できないから。読んだ人が「こういうアルバムなんだな」って思うようなことがあんまり言えないんですよ。それこそ自分のなかでまとめてるわけじゃないから。作ってくうちに自分も変わってく感じでやってるから、なおさら終わったあとからは説明はしづらい。

 

──たとえば、絵を描く人は、描いている状態について語りたいし、だから絵を描くわけで、描いてしまった作品について語ることはない。そういうのに似てますね。

 

王舟 本当、それですね。絵は結果みたいな感じなんで。なんなら「描いた絵」より「描かれてるときの映像」を見たい。そこがいちばんおもしろい気がするんですけど。

 

──そういう意味でも、王舟くんは常に作っていきたいひとなんでしょうね。

 

王舟 でも、それでいえば音楽は鑑賞してるときに時間が流れてく仕様だから、絵よりはわかりやすい気もするかもしれない。あ、でも油絵もカサブタとかあるから、細かく見ていくとそういう作者の痕跡は残っているかもしれない。

 

──制作して、できたら取材されて、リリースして、ツアーやって、みたいな、ずっとこの業界のルーティンとしてある流れ、みたいなものにも、もしかして抵抗感はあります?

 

王舟 そうですね。レコ発のライヴ終わったら、もう『Big fish』のことは終わりでいいかなとか、レコ発やる前はもう次からは本当にリリースだけでいいやって思ってました。でも、それで将来マジでどうやって食っていったらいいのか不安になりますけど(笑)。レコ発はレコ発で楽しかった。ただ、今回出してみて、今後はもっとどんどん作んないとダメなんだなと思いました。別名義も作って、レーベル管轄外で曲を出してくのも楽しそうだからやろうかな、とも思ったり。

 

──人をプロデュースしたりすることには興味あります?

 

王舟 自分の作品をひとりで作るより人と何か作ることの方が今は向いてるかも。プロデュースというか、周り見てもみんな自分たちでやってる感がすごい強いから、うまくいってるときはいいんですけど、細かい迷いだったり戸惑いを感じたり、まさに今回のおれが途中でそういう感じだったみたいなときに、人の作業に入っていったりするのはおもしろいし、やってることは音楽なんで、おれが出せるアイデアもあるし。

 

──今はエンジニアの人が音作りの点でプロデューサーの代わりをやってるようなところがありますしね。

 

王舟 そうなんですよ。でもエンジニアはエンジニアの領分があって、こっちがいろいろほかの面でも求めすぎると結構その人も大変になっちゃうし。それに、エンジニアは現場にひとりしかいないことも多いから、意見の分母として少ないんですよ。

 

──自分プロデュースにある程度限界があるというのも確かに同意見です。

 

王舟 そうですね。まあ、それも人によるのかな。おれはいろいろ意見が欲しい時期だったので。

 

──ミュージシャンに機材のことを王舟とmei eharaさんがインタビューするという企画(『DONCAMATIQ(ドンカマティック)』)もようやくウェブ連載が始まるらしいですが(※取材時はまだ公開前でした)、王舟くんのそういうプロデュース面での興味と絡んでくる話ではあるんですか?

 

note.mu

 

王舟 いや、やがてそういう興味とつながるところがあったらいいな、という感じですかね。そういう記事をおれが読みたいなと思ったからやるんですけど。実際に話を聞き始めるとおもしろいんですよ。テーマはわりと広範囲だし、基本的にはリリースのタイミングで話聞くとかでもないんで、だんだん今の時点からその人の過去を振り返った長いスパンの仕事の話にもなるから。

 

──人選は王舟くんが決めてるんですか?

 

王舟 今は中心になってる三人で話し合って決めてますけど、菅原(慎一)くんとmmmは最初にやりたいと思ってました。やってみたら意外と共通点があって、みんなパソコン使えないとかね(笑)

 

──王舟くんが王舟自身に聞くという回があってもおもしろいだろうけど。

 

王舟 自分の今回のアルバムでいうと、いろんな音をサンプリングして貼り付けたり修正したりしたんですよ。mmmのフルートも、潮田くんのギターも30テイクくらい録ってます。

 

──すごいですね。

 

王舟 それを切り貼りして、編集してるときが楽しいですよ。でも、完成した楽曲を素材として使うのはぜんぜん興味なくて。単音で録ったフレーズをいじって、音程変えたり伸縮させたりするのが、人のプライベートな時間をいじってる感覚があっておもしろいんで。フルートのフレーズでも、ぜんぜん違うメロディを吹いてるのを細切れにして別のフレーズにしたり。

 

──手法としてはドナルド・フェイゲンの『ナイトフライ』みたい。

 


NEW FRONTIER - DONALD FAGEN ( ! ORIGINAL VIDEO ! )

 

王舟 いやー、比べたらアレですけど。向こうは手間がハンパないし。しかも、テープの時代ですからね。

 

──でも、王舟くんもドナルド・フェイゲンも「すでに存在してる音」じゃなくて、生身の人間が出した音をサンプリングしたわけだから。

 

王舟 なんかね、ちょっと他次元感が出るんですよ。雑味があって擬似的になるというか。きれいにまとまっちゃうと親近感がなくなる。

 

──その不思議な親近感っていうのかな、今回の『Big fish』が「すごく機械的な音に聴こえるのになんでこんなに人肌な感じなの?」っていうところは、みんな共通して感じてることなんじゃないですか? もっとひんやりしたサウンドになっていてもおかしくなかったのに、なぜこんな湿度があるのかと思うんです。

 

王舟 そうなんですよね。おれも聴いて「なんでこんなに湿度あるの?」って思ったんです。

 

──今日ぼくは『ビッグ・フィッシュ』見てきたでしょ? そのなかで「humidity」っていう英語が出てきて、日本語で「湿度」なんですよ。そのときに「あれ? これ『human』って単語と頭の3文字おなじじゃね?」って思ったんです。それで調べたら、湿度の「humidity」と人間の「human」の頭の「hu」っておなじ語源だったんです。

 

王舟 へえー。

 

──「hu」ってのが「地面」とか「大地」って意味で、地面が湿るから「humidity」で、地面に立って暮らす人だから「human」だったかな。それって今王舟くんが言ってた音の湿度感の謎と通じてることかもしれない。

 

王舟 へえー。おれは自分では「なんでこうなるんだろ?」ってずっと思ってたんですけどね。もっとカラッとさせたいのに、って。でもそれ、おもしろいですね(笑)

 

(おわり)

 

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もう一度前半を読むのはこちらから。

mrbq.hatenablog.com

池田俊彦の世界にようこそ。/T.V. not january『ふつー』発売記念インタビュー その1

 池田俊彦こと「池ちゃん」と初めて話したのはいつだったか。Hei Tanakaが3人で初めてライヴをやったのは2012年の日大芸術学部での「プチロックフェス」だったけど、そのときだったっけ? もしかしたら、それ以前から知っていたような気がする。

 

マッシュルームふうのヘアスタイル、大陸ふうのひげ、ずんぐりとした体格、そういう基本要素はそのときから変わってない気がする。そのうちHei Tanakaのドラマーとしてだけでなく、T.V. not januaryのメンバーであり、ソロで「おれ、夕子」を名乗るシンガー・ソングライターであり、イラストを描かせれば抜群に味のある名人だとも知った。

 

でも、そうやってあとで知ったことよりも、「この人のことをずっと知ってるような気がする」と思わせることのほうが「池ちゃんらしさ」をかたちづくってるような気がずっとしてた。人なつっこくて、陽気で、酒飲みで、だけど、気い使いで、なんとなく小心で、人がひとりでいたいときがあることのたいせつさも知っていて。なぜかはわからないけど「子どものころにこういうクラスメートがきっといた」という気がする。だから、どういう出身の人で、どういうバンド歴があって、とかが、ぜんぜん気にならなかった。そう感じてる人って、ぼくだけじゃないと思う。

 

今回、T.V. not januaryのアルバム『ふつー』発売にあたって、バンドとして話を聞きたいという気持ちも強かったんだけど、いい機会だから池ちゃんの話を聞いてみることにした。池ちゃんのことをぼくも知りたいし、みんなにも知ってもらったら、そこから見えてくるバンドのこともあるはずと思う。

 

インタビューには、思い出野郎Aチームトロンボーンにして、今回『ふつー』のジャケット・デザインを担当した山入端(やまのは)祥太くんに加わってもらうことにした(取材の数日前にぐうぜん中野のディスクユニオンで会ったので)。

 

まずは第一回。池田俊彦の世界にようこそ。

 

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ちなみに、いつもの取材だと子どものころの写真とかいろいろ出してもらうんですが「秘蔵写真お願いします」と池ちゃんにお願いしたら、「アイドル?」と思うほど最近のいろんな写真送ってきてくれたので、それを毎回掲載してみます。

 

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──T.V. not january(以下T.V.)やHei Tanakaでの活動を通じてのミュージシャンとしての姿や、独特の味わいのあるイラストを描く人としても池田俊彦のことを認識してる人は少なくないと思うんですけど、あらためて「あれ? 池ちゃんってどこから来たどういう人だっけ?」って、これまでちゃんと言葉になってなかった気がして。なのでT.V.の新作『ふつー』リリースを記念して、池ちゃん本人にいろいろ聞いてみようという企画です。さらに、今回『ふつー』のジャケット・デザインを担当した山入端祥太くん(思い出野郎Aチーム)にも話に加わってもらいました。

 

山入端 なんか、池ちゃんって誰とでも仲良くなるよね。

 

──いろんな前提なく、人の気持ちにすっと入ってくるというか。

 

池田 前提がない?

 

──どこどこの出身で、こういうものが好きで、みたいな前置きがいらない付き合いがいきなりできる人という感じなんですよ。

 

山入端 そうそう。池ちゃんを知ったのは、Hei Tanakaと思い出野郎が対バンした日(2017年7月12日、青山WALL&WALL「タイワンド&ダンスに間に合う 7inch Release Party」)で、そのあと長岡(智顕)と池ちゃんがmeiちゃん(mei ehara)のバンドで一緒になった頃に初めて飲んだんだっけ?

 

池田 青山のときにも一緒に打ち上げ出てるけどね。

 

山入端 そうだ! あのときはおれはまだ思い出野郎に復帰してなくて、客として行ってたんだよね。

 

──ああ、あの日、ぼくもいましたね(笑)。打ち上げの会場がなかなか決まんなくてひたすらうろうろしてたときに、山さん(山入端)があちこち電話して最終的に店を見つけてくれた。「なんて有能な人なんだ!」って思ったの覚えてます。

 

池田 あれ、山さんがやってくれたんだ! おれはおれでそんなに思い出野郎と面識なかったのに、Heiのメンバーがみんな帰っちゃったからおれだけでも残っていこうと思ってて。だから、あのときみんなについて行きながらじつはすげえ緊張してたんだよね。

 

山入端 そうだったんだ。

 

池田 店まで歩いてるときに思い出野郎の岡島(良樹)くんが気を遣って、おなじドラマーとしておれに話しかけてくれてたんだけど、おれ、ドラマーとしての機材の知識とかゼロだったから、「そうなんですね」とか相槌打ってたらそのうち会話もなくなって、徐々に前に離れて行って(笑)

 

山入端 そうか、あの夜かー。でも、おれは池ちゃん自身は、馨さん、シャンソンシゲルとの3人編成だった最初のHei Tanakaから見てるんだよね。〈月刊ウォンブ!〉(2013年6月25日、渋谷WOMB)のとき。リング上にドラムセットがふたつ左右に並んでて、超衝撃な演奏で感動したもん。

 

 


Hei tanaka 2013/06/25 月刊ウォンブ!

 

──山さんはあの頃、普通にこのインディー・シーンのファンとしてあちこちで会ってたもんね。

 

山入端 でも、それとは別に池ちゃんのことは絵がうまい人としても知ってたんだよね。似顔絵描くイベントで見かけたのかな?

 

──ぼくが池ちゃんの絵のうまさを知ったのは、6人になってからのHei Tanakaが渋谷WWWで初めてやったライヴ(2016年1月14日、「列島は世界の雛形 ~あの世のザッパに教えたら なんて言うだろ?~」)のフライヤーでしたね。

 

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池田 あー! あれは本当にがんばって描きましたから! 本気を出すとああいうのが描けちゃうんです。

 

──いやー、なかなかあそこまで際立った絵はいくら本気になっても素質や下地がないと描けないですよ。なので、そういうところの謎も含めて、今日は池ちゃんの半生をたっぷり教えてください。まずは、そもそもいつどこで生まれた人なんでしたっけ?

 

池田 1983年の生まれで、出身は大分県の南のほうにある佐伯市という街です。竹内力さんの地元でもあります(笑)。あと、ダイノジのふたりが出た高校も佐伯市ですね。

 

山入端 池ちゃん、おれより年上なんだよね。最初は年齢がぜんぜんわかんなかった。

 

池田 歳はわかんない、ってよく言われる! でも、大分にいた高校時代に、外国から来た先生の家でホームパーティーがあって、おれもそこに行って酒も飲まずにがんばって一緒にダンス踊ったりしてたら、そこにいた30代くらいのお姉さんたちにおれはおない年くらいって思われてた、ってエピソードもあった(笑)。そういうことは昔からあったから、いまやっと実年齢に追いついてきてる感はある。

 

──早くに大きくなった子どもだったのかな。

 

池田 そうかもしれないですね。身長はいまくらいでしたけど体重は30キロ少なかったです。

 

──早く大きくなる子ってガキ大将になるパターンもあるけど、意外と内向的になるというパターンもありますよね。

 

池田 おれは、どっちかな。どっちもあるというか。精神的にはすごく弱かったけど、それを補うために強く生きようとしたところはあるかも。

 

山入端 なんかそれ、わかるわ。

 

池田 外ではみんなと遊ぶけど、家ではすごく静かにしてた(笑)。音楽ずっと聴いてたり。

 

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──そのころはなにを聴いてました?

 

池田 小学校のときに好きだったのはTHE YELLOW MONKEYですね。初めて買ったアルバムもイエモンのベスト盤で、ずっとそれを聴いてました。歌謡曲っぽく感じていてすんなり入れたというのもあるし、あのセンスが大好きでしたね。だから、活動休止するまでの曲のイントロドン!やったら、めちゃくちゃ答えるの速いですよ(笑)。アルバムの曲でもコンマ何秒でいけます。

 

──とはいえ、吉井さんの歌詞の世界観とかを考えたら小学生ではずいぶん大人びてますよね。

 

池田 確かに。いま考えるとかなりエロチックでしたね。でも、その後、中学~高校時代は友達の影響もあって、Hi-STANDARDとか静岡のGOOFY'S HOLIDAYとかヌンチャクとか、メロディック・パンクとかハードコア寄りの音楽を聴くようになりました。実家にケーブルテレビが導入されてからは、THE MAD CAPSULE MARKETSのMVを録画したり、いろいろなミュージシャンのMVのなかでスケボーやってる動画見てかっこいいなって思ったり。スケボーは中学の頃からもうやってたので。

 

──さっきの話からすると、外では活発な子どもだったんですもんね。学校の部活はなにを?

 

池田 小学校では陸上で、中学ではバレー部でした。本当は、兄貴が吹奏楽部だったんで「入れば?」って言われてたんですよ。陸上もやめようと思ってたし、音楽いいかもって思ってたんですけど、小6の春休みに、中垣内(祐一/当時の全日本のエース)がズバーン!ってスパイク打ってるのをテレビで見て、「バレーボールかっこいい!」って思っちゃったんです(笑)

 

──お兄さんが吹奏楽部だったってことは、池田家にも音楽的な要素はあったんですね。

 

池田 そうなんですけど、音楽的な指向がぜんぜん兄貴とは違ったから。おれは初めて楽器に触れたのは、小5か小6でした。親戚のおばちゃんにもらった白いクラシックギターですね。仮面ライダーが背負ってるようなやつ(笑)。それをもらって帰って、2コ上の先輩に教わってスピッツの「空も飛べるはず」のイントロを練習しました。

 

山入端 ギター、小5って早くない?

 

池田 なんだけど、コードのFが押さえられなくて挫折して弾かなくなって。中学生のころに熱中してたのは、どっちかといえば、やっぱりスケボーでしたね。田舎だったから周りに楽器できる子も少なくて、バンドもできなくて。でも、中学でエレキギターを友達からもらったんです。雑誌のうしろのページに載ってるような安いモデルでしたけど。それでFを克服して、また弾きはじめました。いまでもFはうまく押さえられない(笑)

 

山入端 最初はギターなんだね。ドラムじゃなく。

 

池田 ドラムは叩けなかった。叩きはじめるのは高校卒業と同時に東京に来てからですね。もちろんそのときもギターを背負って、バンドをやるつもりで(笑)

 

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──上京するにあたってのビジョンっていうか、「なんかやるぞ!」みたいなのはあったんですか?

 

池田 そうですね。本当は親はもしかしたらいい大学に入って~みたいな期待してたかもしれないんですけど、おれは本当に勉強嫌いで次男で受験からもドロップアウトしてたから、とにかく東京に行くためだけに大学を選びました。そのときに経済学部みたいな門戸の広い学部には行きたくなくて、それで國學院神道学部を選んだんです。そこで神主になる修行をしてたんですよ。

 

山入端 えー! そうなんだ!

 

──それは知らなかった。ちょっとは修行もしたんでしょ?

 

池田 夏に数日ですが伊勢神宮とか明治神宮に泊まり込みで修行しましたね(笑)。朝4時に起きて、禊をして。

 

山入端 へー!

 

池田 おれは完全に興味だけで来ちゃったけど、他の生徒はだいたい神社のご子息なんですよ。だから、おれが行くところではなかったんです。途中でもう神主にはなんないと決めたんですけど、ずるずると大学にはいて、5年行って中退しました。クズ野郎ですよ(笑)

 

──でも、5年は行ったんだ。

 

池田 粘ったんですよ。

 

山入端 おれも6年行って(多摩美を)やめてるから。

 

──ぼくは7年行って卒業しました。この場はなかなかのクズの集まりってことで(笑)。まあ、それはいいとして、上京して音楽をやる気持ちはどうなったんですか?

 

池田 とにかくバンドをやるつもりで行ってるから大学もめちゃめちゃサボってて、立正大学フォークソング部に入り浸ってました。そこが、めちゃくちゃパンク好きなやつが多かったんですよ。学内だけじゃなく外でライヴやってるバンドもいくつかいて、やさしいモヒカンの人とかもいて。なぜ立正だったかというと、同時期に上京した同級生とよく東京でも遊んでて、そのうちのひとりが立正大に行ってて「うちのサークルおもれえよ」って教えてくれて。

 

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──時系列を確認しておくと、いま話してるのは21世紀に入ったくらいですよね。

 

池田 そうですね。大学におれが入ったのは同時多発テロ(2001年)のあとでしたね。

 

──でも、まだそこからT.V.結成までは時間が結構あるような。

 

池田 あ、でも、その立正大でT.V.とはつながってくるんですよ。立正大ってキャンパスが熊谷と大崎にあるんですけど、学祭は熊谷なんですね。で、おれは立正大とは関係ないんだけどフォークソング部でバンドをやってたもんだから、一緒に出たりしてて。その熊谷キャンパスのほうに本島(航)と横ちゃん(横田川純也)が通ってたんです。

 

山入端 へえー!

 

池田 おれが行くようになったころはまだ本島しかいなかったですけど。当時はあいつは超無口でしたね。おれのこと嫌いなんだろうなって思うくらい話をぜんぜんしたことがない関係だったんです。でも、おれが大学5年目の年に本島が小岩の「em7」ってライヴハウスでバイトしてたんですよ。でも、あいつの家は熊谷で、小岩でバイト終わっても帰れないから、当時都内に住んでたおれの家に泊まりに来たんですよ。そんなに仲良くないのに(笑)。でも、そこで「横田川っていうおもしろい歌を作る後輩がサークルに入って、いまそいつを手伝ってるんですよ」って音源を聴かせてくれたんです。

 

山入端 後輩なんだ。

 

池田 で、それを聴かせてもらって、「どうすか?」って聞かれたんですけど、あんまピンとこなかった(笑)。そのとき聴いた横ちゃんの曲は、純粋でストレートで。

 

──それはいまのT.V.の根幹にあるものだったりしますよね。

 

池田 その頃は拍子とか音色が変でグチャッとしてて真っ直ぐじゃないものに強く惹かれていて。もちろん横ちゃんの曲はすごくいいと思ったけど、そのときは素直に受け取れる精神状態じゃなかったのかもしれないです。でも、本島は絶賛してましたね。横ちゃんの作るものの純粋さがわかったんでしょうね。おれはその点、不純だったんだと思います(笑)

 

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(つづく)


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本日! 渋谷WWW! このインタビュー読んで駆けつけても間に合う!

 

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王舟と「大きな魚」の話をした。/王舟インタビュー その1

 王舟と『Big fish』の話がしたいと思った。それは彼の最新アルバムの話ってことなんだけど、他にもいくつか思い当たるフシがあった。たとえば、ティム・バートンが2003年に撮った映画『ビッグ・フィッシュ』。その題名の語源でもある「Big fish」は、英語で「ホラ吹き」みたいな意味だと聞く。そういえば、王舟の音楽自体、現実と空想の境目を曖昧にしてにじませる音楽的なホラみたいなところがある気がずっとしてた。


 せっかくのインタビューだから「どういうふうにこのアルバムを作りましたか?」って話をもちろんしたわけだけど、インタビューの途中で「一番アルバムに入れたかったけど結局入らなかった曲」の存在がぼんやりと浮かび上がってきたあたりから変なギアが入ったような気がしてきた。その曲を知らないぼくには、それがまるで王舟の語る「大きな魚」のようにも思えたのだ。

 

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写真:松永良平

 
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──今日は王舟くんのインタビューする日だったんで、今朝からあらためてティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』(2003年)を観直したんですよ。もちろん、アルバム『Big fish』のレコーディングに使ったスタジオの名前がBigfishだった、という話でもあるんだけど、もしかしてあの映画の内容って、このアルバムにもしかして関係あるんじゃないかと思って。

 

王舟 間接的に関係がありますよ。俺もあの映画はだいぶ前に観て、好きでした。今回はなんとなくアルバムのタイトルに「Big」って付けたかったんですよ。スタジオの名前がそうだっていうのもあるし、「ビッグ・フィッシュ」って言葉自体に「ホラ吹き」みたいな意味合いがあるけど、Bigfishの柏井(日向)さんもあの映画から名前を取ってて、「いつかデカい魚を釣ってやる」みたいな気持ちがあるらしくて。そういう一連の話がおもしろくて、タイトルにしがいがあったんです。映画の話も含めて、いろいろつながったかな。

 


Big Fish - Trailer

 

──観たのは昔だってことですけど、(映画は)どのへんが響きました?

 

王舟 そのときはあんまピンとこなかったけど、何か色彩とかが印象に残ってて。特にお父さんが若い頃を回想したシーンが、そんな感じじゃないですか。ファンタジーみたいで、印象がずっといいんですよ。

 

──ちなみに、今回Bigfishで録るというのは誰のアイデアだったんですか?

 

王舟 それはおれですね。シャムキャッツがそこで録ってるときに遊びに行ったことがあって、エンジニアの(田中)章義くんがいまはBigfishにいるって聞いたんです。今回は曲を具体的に作り上げる前に「エンジニアをどうしようか」って悩みがあったから、そのときに章義くんを思い出して、今回Bigfishで、章義くんとやらせてもらえませんかと相談しに行きました。そうはっきり決めてからは、作業自体もおれがかなり主導で進めました。

 

──今回は王舟自身がいつも以上にイニシアチブを取って作ったアルバムだって印象があるんです。もちろん、前作の『PICTURE』(2016年)だってひとりの宅録で作ってるわけだからそれとおなじでしょ、って見方もあるかもしれないけど、バンドサウンド宅録という手法だけじゃなく、もっと作られ方としての違いを感じました。

 

王舟 『PICTURE』のときは、イニシアチブというよりは機材面も含めてやれることをやるので精一杯な感じだったけど、今回はちょっと周りの人も巻き込んで外に出て行こう、みたいな意識はあったんです。だから、誰に頼むとか、どういうふうにやるか、みたいなことを事前に考えたりしましたね。

 

──BIOMANと作ったアルバム『Villa Tereze』(2017年)のときの共同作業が、そういう面で影響を与えたというところはあります? お互いにそういう話をしてたとか?

 

王舟 いや、それはぜんぜんなくて(笑)。BIOMANはneco眠るでやるときは「自分がやらなきゃ」みたいなところがあるだろうけど、おれとふたりでやったときは、わりとなりゆきにまかせてるように見えたから、おれのほうがちょっと準備しとかないと、って感じでした。おれのほうがイタリア2回目だったし、一回分だけイタリアの先輩だったから、というのもあったかな。BIOMANはおれが現地でライヴやる時に緊張してると「がんばったらええやん。それより飲もうや」みたいなわりとおおらかな雰囲気を作ってくれて、そこはとてもよかったけど(笑)

 


Oh Shu & BIOMAN / Villa Tereze ( Official Digest Movie )

 

──でも、その「自分がやんなきゃ」感は、『Big fish』にもつながってるのでは?

 

王舟 『Villa Tereze』でも、デモをめちゃくちゃたくさん作ったんですよ。でも、最初に奈良の東吉野で合宿したときにBIOMANが作ってきたデモを聴いたら、おれが作ってたのとはだいぶ違うなって感じで、そこからまた一回方向転換したりしたんです。だから、曲のことを考えるきっかけは多かったかもしれない。

 

──そのとき候補にならなかった曲が今回のタネになった、みたいな部分もあるでしょ。

 

王舟 そうですね。そのときかたちにしなかった曲で、そういうのはあります。でも、「今回これがやりたい」みたいなのは、おれはないんですよ。「何をやったらいいか」とか「これやりたい」みたいなことがないから、逆に最初のフォーマットを決めたいのかもしれない。いざ作業をやりだすとおもしろくなるんで。とにかく作業をやり始めるところまで持っていきたいんだけど、それがなかなか難しいんです。

 

──『Big fish』を作る前に、シャムキャッツの夏目(知幸)くんに40曲くらい候補を聴いてもらったというエピソードがありますよね。まず「そんなに作ってたんだ!」っていうのが単純な驚きとしてもありましたけど。

 

王舟 いまはぜんぜん作ってないんですけど、そのときはいっぱい作ってました。決定打っていうか、「この曲をメインにしたいな、って思うくらいの曲ができないかな」って思ってずっとやってたら曲が増えていった感じです。

 

──結局、その決定打はできたんですか?

 

王舟 いや、じつは決定打になりそうな曲は、かなり前からあったんです。それをアルバムに入れたいんだけど、そしたらバランス的に他はどんな曲を入れたらいいのかわかんない、というタイプの曲。結構、宅録っぽいやつで。夏目くんにも、「好きな人はすごく好きな曲なんだけど、アルバムに入れるとちょっと影響力が強いし、ライヴ映えもしなさそうだよね」って言われて。たしかにその通りだなと思って結局外しました。なので、それとは別方向で、その曲が入らなくてもいいくらい曲を作っていこうと思って、また次の決定打を探すことになるからどんどん曲が増えていったんです。「Thailand」も昔バンドやってた時に「これ、おもしろいのできたな」っていう曲を聴かせようと思ったときに、「ちょっとわかりづらいかもしれないから、保険でポップな曲もつけとこう」って思ってのがきっかけで初めて人に聴かせた曲なんで。

 


王舟 "Thailand" (Official Music Video)

 

──ということは、『Big fish』に入った曲は、その一番好きな曲があらかじめあって、それとはまた違った方向に伸びていった結果でもある。

 

王舟 そうですね。しかも、その入れたかった曲はイタリアでアルバムを作るときに、「この雰囲気で作ろう」と思ってできた曲だったんですよ。でも『Villa Tereze』には、その曲じゃない感じの他の曲を付け加えて世界観を作ろうと思ってやってたら、結局、肝心のそいつは入らなくて、ひとりになっていた、って感じなんです。

 

──なんか不思議な感じですね。結果的に『Villa Terese』や『Big fish』になったアルバムの曲を、離れたところでぼんやりと見てる曲があるという。

 

王舟 おれが好きなタイプというか、「Moebius」とかに近い感じの曲なんですけどね。ポップさがあんまりなくて、ちょっとストイックな感じがあるから。

 

──そういうタイプの違う曲が自分のなかにあることで、作業上の葛藤とかはないんですか?

 

王舟 あるけれど、そういうときは、やり直しするしかない。困ったときは全部イチからやり直し。ひとりで自分のために作曲してると客観的な意見を自分で持つのが難しくて、だから夏目くんに聴いてもらってラクになったというのはあります。考えれば考えるほど、自分が自分に甘えちゃうから。

 

──自分が自分に甘える?

 

王舟 一対一で他人としゃべってるときに甘えられたとしても、「この人はいまこういう状態なんだな」って外から見れる感じがあるんですけど、この場合は自分の内側に相手が発生しちゃってるから、そっちの言うことに引っ張られちゃう。それが外から見たら「自分に甘い」ってことなんですけど(笑)。なので、「これはこれで置いといてもう一回ゼロから作りましょう」というのは結構よくやるんです。だから曲がいっぱい増えちゃう。

 

──その話で言うと、7インチの「don't hurt pride / Muzhhik」を去年の暮れに出したでしょ? 普通だったら、ああいうシングルのA面は、アルバムのリード曲だったりするじゃないですか? じっさい、すごくいい曲だし。でも、あの「don't hurt pride」は結局アルバムに入ってないし、予告ということではなかった?

 

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王舟 あれは、夏目くんが「この曲、クリスマスみたいな時期にシングルで出したらよさそうだよね」って言ってたから、それで出したんです。あの曲もアルバムに入れるとしたらちょっと困っちゃうタイプだったんですよ。でも、「シングルならありだな」と思ってて、そこに「Muzhhik」を一緒に出すっていうのも、それぞれぜんぜん違う曲だし、おれの曲っぽさもあるけどいつもとは変わってる感じもあるから、ちょうどいいなと思ったんです。あの2曲を作ってる時点では、アルバムにどういう曲を入れるかも、まだ決まってなかったから。

 


Oh Shu "Muzhhik"(Official Music Video)

 

──そうなんですね。だからかな、すごく新鮮だし異色な感じがしたのを覚えてます。

 

王舟 どっちかというと、「don't hurt pride」を一回自分から手放すためにシングルで出す、という感じでした。あんまりこの曲をどうするかをこれ以上考えたくなかった。

 

──それもおもしろいですよね。アルバムとしての世界観から切り離された場所にこういう曲がいくつもあって、それぞれが完成して、息してる感覚というか。

 

王舟 いままでは「できた曲をアルバムにする」という流れだったんですけど、今回は事前に曲がいっぱいあったから、アルバムにしたらどんな感じになるかって組み合わせや曲順を考えることとかをすごくやってて。その過程で「don't hurt pride」や、一番最初の決定打だった曲とかは、やっぱりハマんないなという結論になったんです。その代わりに、結果的に『Big fish』になった曲を入れてみたら、「これはこれで意外とありかも」みたいな感じになって。そうやって曲順をちゃんと考えて、メンバーを呼んでベーシックを録ってから、その音源を家に持ち帰って、そこからヴォーカルを録り、いっぱい音を付け加えるみたいな作業をしました。

 

──そういう流れだったんですか。

 

王舟 そうですね、今回はSTUDIO SUNSHINEと七針で北山(ゆう子)さん、千葉(広樹)さん、潮田(雄一)くん、mmm、おれの5人でベーシックを3日間くらいで録って、上物とヴォーカルとかはおれが家で全部やる、みたいな作業でした。その3日間で録れるものは全部録っちゃうという制約だったんです。その段階ではまだ「曲の骨組みは決まってる」くらいの感じです。「Come Come」「Sonny」「Higher Night」はシンプルなんで曲のイメージは最初からわかったけど、たとえば「Tamurou」は、北山さんにドラムを叩いてもらった時点ではまだぜんぜんアレンジができてなかった。北山さん、デモでおれが打ち込んだドラムから、よくこんなに音を拾って叩いてくれたな、って感動しました。北山さんのドラムのプレイで曲の骨組みが決まったり、変わったりもあったし、千葉さんにも3曲くらいベースで入ってもらったらアンサンブルがすごくしっかりして、それでまた自分のアレンジの方向性をもらったりとか。もともと固まってないものを、録れた音で固めていくという感じでした。

 

──『Wang』はバンドでずっとライヴでやってきた曲をレコーディングでもやって、『PICTURE』は他人の手をいれずにひとりですべての音をやって。そう考えると、今回はまたぜんぜん違う作業ですよね。ファーストとセカンドの中間とも言えない。

 

王舟 だから、今回ベーシックを録るときに、マジでどうなるんだろう、ってずっと思ってました。その時点ではまだ30、40%くらいしかできてなくて、音を録ってようやく50%くらいって感じ。でも、去年HALFBYさんのアルバム(『LAST ALOHA』)にヴォーカルで参加したときに、デモが送られてきて歌ったんですけど、仕上がってきた曲(「くり返す」)を聴いたらぜんぜん違う感じになってて、そういう作り方もありだと思ったんですよね。そういう意味では、今回の作業はトラックメイカー的なところはあるかもしれない。

 

──うれしいことに『Big fish』ってリリースされてからの評判がいいじゃないですか。でも、そんなずっと未完成な感じでアルバムの作業が進んでいたと思う人はあんまりいないかも。「この音の配置が絶妙」っていう評価も多いじゃないですか。

 

王舟 完成予想図があって組み立てていくというより、このアルバムはもうできている土台(ベーシック)に対してのいろいろなトライ&エラーの結果なんですよ。だから、今の自分の「勘」による部分が大きいです。でも、作業としてはセカンドのほうが大変でしたね。あのときは全部自分の音だから、全部自分で思いつかなくちゃいけなかった。自分の音を基準にもうひとつ別のアイデアを思いつく、みたいな作業が孤独で大変でした。逆にファーストの『Wang』(2014年)では全部他人の音で、それをミックスするとなると「他人の音を大事にしなきゃ」みたいな思いが強すぎて、自分ではあんまりうまくいかなかったから、奈良に行ってKCさん(岩谷啓士郎)に全部やってもらったし。今回は違う人の音がすでに入ってる状態で、なおかつ自分で音を加えられる自由度は高いから、やりやすかったですね。音に客観性があった。

 

──それはBIOMANとの共作も含めて4枚のアルバムを作ってきて、自分なりにつかんだやり方だとも言えます?

 

王舟 つかんだというか、やっぱり毎回ちょっと「こんなこと、できるかな?」と思うことをやろうとしてるから。意外とそれがうまくいった、って感じです。

 

(つづく)

 

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《LIVE SCHEDULE》


2019.07.05 Fri
王舟 “Big fish” release party
会場 大阪CONPASS
開場 19:00 開演 19:30
前売 3500円
LIVE:王舟(バンドセット)

 

2019.07.14 Sun
王舟 “Big fish” release party
会場 渋谷 WWW
開場 17:30 開演 18:30
前売 3500円
LIVE:王舟(バンドセット)

『ソング・サイクル』から見ると世界は

このほど季刊にリニューアルした「CDジャーナル」。ぼくがライターとして仕事はじめてから十数年、途切れず原稿を書いてきた雑誌だし、当時編集部員だった川上くんがいまは編集長になっていて、とりわけ2010年代に入ってからはいろいろな企画を実現させてもらってきた。

 

リニューアル前の最終号で7年続けた連載「CDじゃないジャーナル」は終了させることにしたけど、またあらたになにかやりたいという気持ちがあった。その企画の腹案を話したのが、今年の春のはじめ。川上くんは「いったん持ち帰らせてください(保留)」と言った。

 

じつはその企画は突然思いついたわけじゃなく、ここ何年か、いやへたしたら十何年かぼんやりと考えていたものだった。だけど、どういうかたちがベストなのか確信が持てずにいたのだ。

 

それは、最初にある名盤を「1位」と認定してしまって、それを頂点として、以下に続く影響下のランキングを並べていくというもの。

 

仕事柄、特定のテーマでランキングを投票で決める企画に参加することがある。雑誌の特集でディスクガイドの選定は任されることもすくなくない。それはそれでいつも楽しんでやってはいるのだが、そこで求められてる公平性/並列性(投票の場合は結果としての順位の絶対性)とは別に、もうひとつのやり方を考えてしまうのだ。

 

そのランキング、ある意味もっと相対的に、井戸端会議的に決めて提示できないもんだろうか? 権威的にやるんじゃなく、世話焼きというか、おせっかい的に。そういう気楽さと、歴史的意義や背景よりもいまの実感に沿った「次に聴くべきランキング」を求めてるリスナーはかなりいるはず。

 

そこで考えたのが、「先に1位を固定してしまうランキング」だった。ある名盤を頂点とした現代的系譜って時を順々に追うのではなく、もっと飛び火したものだろう。それをああでもないこうでもないと話しながら決めていく会話から、いろんなヒントをつかむことができるんじゃないか。

 

そのコンセプトのもとで、「この盤ならこのひと」で話を聞いて、あたらしいベストテンを勝手に決める、ということをしたかった。

 

結局、編集部からは「とりあえずパイロット版として“第0回”で」という許可をいただいた。ゲストは初のソロEP「Killaak」をCD/アナログでリリースしたばかりの佐藤優介(カメラ=万年筆)。

 

そして、優介くんにベストテン選定をお願いしたのは、彼が敬愛するヴァン・ダイク・パークスのファースト・ソロ・アルバム『ソング・サイクル』(1968年)。ちょっと誤解されている人もいたけど、彼が「ソング・サイクル」を1位に選んだんじゃない。「ソング・サイクル」を1位に固定して、そこからランキングを考えてみようよと、ぼくが誘ったのだ。

 

ちなみに「CDじゃないジャーナル」も、最初に企画を出したときは「とりあえずパイロット版で」との判断で、やはり“第0回”のゲストはヴァン・ダイクだった。細野晴臣さんのLA公演を見に行ったとき、会場に来ていたヴァン・ダイクに優介くんの「Kilaak」も渡したので、ぼくとしては完璧にスジが通った。

 

連載タイトルは、ちょっと迷ったけど「ぼくときみの/未来のザ・ベストテン」に決めた(“/”のところで改行するイメージ)。タイトルロゴは、ぼくの名刺のイラストも描いていただいてる漫画家の谷口菜津子さんにお願いした。

 

以下、初回のランキングを公開する(編集部、佐藤優介くんからの許可は得ています)。

 

1 ヴァン・ダイク・パークス / ソング・サイクル(1968)
2 ビーチ・ボーイズ / スマイル(1967/2011)
3 ムーンライダーズ / ダイア・モロンズ・トリビューン(2001)
4 ビートルズ / マジカル・ミステリー・ツアー(1968)
5 伊福部昭 / OSTわんぱく王子の大蛇退治』(1963)
6 タイラー・ザ・クリエイター / IGOR(2019)
7 アレハンドロ・ホドロフスキー / 映画『エル・トポ』(1970)
8 ヴァン・ダイク・パークス&ニルソン / OST『ポパイ』(1980)
9 ピンク・フロイド / 夜明けの口笛吹き(1967)
10 佐藤優介 / Kikaku(2019)

 

次点
スフィアン・スティーヴンス / イリノイ(2005)
ヴァン・ダイク・パークス / スーパー・チーフ(2013)
ヴァン・ダイク・パークス / OSTバレエ・カンパニー』(2003)

 

優介くんとぼくが迷い道しながらランキングを決めてる模様は、いま発売中の『CDジャーナル』2019夏号(King & Princeと田亀源五郎のW表紙)に2ページで載っている。優介くんが「企画を通して自分史的な内容にもなってる思います」とツイートしてくれたのはうれしかったし、第1回(正式連載決定!)以降もそうありたい!

 

なお、この連載の企画のことをぼんやりと考えはじめた本当の発端は、たぶん、21世紀のはじめ。安田謙一さんがなにかのコラムでジョン・アーヴィングの『ガープの世界』について書いていた文章がきっかけだったかもしれない。

 

その文章のなかで安田さんは、『ガープの世界』の原題は「The World According to Garp」といい、「ガープから見ると世界は(こう見える)」だったと紹介していた。その一節を読んで、自分が書きたいのもそういう世界のことかもしれないと、ふっと背中を押されたような気がした。これまでもそんなことをおおむねしてきた気もするけど、今回この企画を推し進めるにあたって、またそのことを思い出したのだった。

 

第二回はだれとなんの話をしようかな。

 

最後に佐藤優介と松永良平で決めた『ソング・サイクル』から見たベストテンのヴィジュアル、並べときます。

 

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2019年5月の「オヒルノオト」選曲

JFN(ジャパンFMネットワーク)で放送の番組「Simple Style -ヒルノオト-」にて、12時過ぎからの「オヒル オト(お昼の音)」というコーナーで5月の毎週水曜日、全5回でそれぞれテーマを立てて選曲をした。あらためまして、そのリストを公開。

 

5/1「平成31年より愛をこめて」

 

1. yojikとwanda / らぶ♡れすきゅー

2. 柴田聡子 / 涙

3. SHY FX / Rudeboy Lovesong

4. Coff / With Love

 

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4ヶ月しかなかったけど平成31年も忘れんなよと、よりによって令和元年初日に選曲。「愛をこめて」なんで一応ラブソング縛りで。

 

 

5/8「アフター・ザ・ロンゲスト・ヴァケーション」

 

1. YOSSY LITTLE NOISE WEAVER / Talking About Love

2. Emitt Rhodes / Put Some Rhythm To It

3. Vashti Bunyan / Hidden

4. INO HIDEFUMI / 東京上空3000フィート

 

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10連休が終わって復帰のペースつかめない人のために、長めのブランクを経て出たいい作品から選曲。INO HIDEFUMIさんは初めて全曲歌のアルバムを出したということで、生まれてからいままでを「休暇」と見て。無理矢理だったけど、かけたかった。

 



5/15「音楽のショートショート

 

1. Shuggie Otis / Happy House

2. Todd Rundgren / Does Anybody Love You?

3. Maurice Williams & The Zodiacs / Stay

4. Lantern Parade / おばかさん

5. Jorge Ben / Balanca Pema

6. シャーペン / コントラスト

7. Talking Heads / Who Is It

8. never young beach / 思うまま

9. Bethlehem Center Children Choir / I’m A Special Kid

10. Marvin Gaye / I Wanna Be Where You Are

11. 大瀧詠一 / おもい

12. Jerry Paper / Gray Area

 

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前の週が「ロング」だったので、今回は「ショート」で。約17分で可能な限り曲をかけることを目標に選んだ12曲。ただし、イントロやインタールードはNGで曲として独立してること前提だし、なんとなくつながっている。

 

 

5/22「残像に口紅を

1. The Free Design / Bubbles

2. Reggae Disco Rockers / 蜃気楼の街

3. The Stark Reality / Too Much Tenderness

4. The Cosmic Rays With Sun Ra And His Arkestra / Dreaming

5. 王舟 / 虹

 

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王舟の「虹」をかけたくて、逆算で考えたテーマ(消えてゆくもの、虚ろなものをかたちにできるのが音楽)。順番は、泡、蜃気楼、やさしさ、夢、虹。タイトルはもちろん筒井康隆先生から拝借。

 

 

5/29「架空のサウンドトラックを作る」

1. Khruangain / People Everywhere

2. O Terno / O Orgulho e o Perdao

3. Femina / Arriba

4. Frank Zappa / Zoot Allures

5. Yoshiro Hiroishi / Elly Mi Amor

 

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キュアロンの映画「ROMA」のサントラ(映画のためのスコアではなく、劇中の生活や街なかで流れている曲をサントラに)に触発されて。お題は斎藤潤一郎「死都調布 南米紀行」。なので、まるでお昼に似合わない選曲になったけど、気に入ってる。

なぜエルメート・パスコアールは2年連続で八代に行くのか?/山口功倫インタビュー その3

3回にわたってお届けした「なぜエルメート・パスコアールは2年連続で八代に行くのか?」も今回で最終回。その2度目の八代公演もいよいよ今週末(5月18日)に迫ってきた。

インタビューでは、裏話や秘話で飾り立てるというより、稀有な現場が作られていくさまを山口さんに素のままの言葉で語ってもらった。もちろん、立川談志師匠の高座を少年時代に間近で何度も見た経験や、お兄さんが〈FRUE〉の主宰者であることなど、普通ではない背景があることはあるのだが、そんな特別さを際立てるよりも、こういう奇跡みたいな時間がちょっとしたきっかけで「誰にでも起こりうること」なのかもしれないということを話し言葉で書き残しておきたかった。もっというと、それは「誰にでも起こりうるチャンス(と同時に難題でもある)をスルーせず、受け入れ、祝福する」ということや、「常識や空気、決まりきったいいわけにずるずると流されることに対して、楽しさでちゃんとあらがう」ということへのぼくの共鳴だったりもする。

明日16日の大阪、18日の八代に行かれる人はもちろん、このインタビューがまだエルメートを見に行こうかどうしようか迷ってる人たちへのきっかけにもなれたらいいなと願って。では、山口さんどうぞ。

 

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写真:渡辺亮

 

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──去年のエルメートのツアーで、みんなでゆっくりできる日というのが唯一八代に着いた夜くらいだったんでしょうけど、それにしても着いたばかりで疲れてるはずなのに、みんなでライヴハウスまで繰り出してセッションしたのはすごいですね。

山口 〈Z〉っていうレストランバーに行ったんです。そこもエルメートの公演の宣伝でおれがまわってたときに知ったお店だったんです。八代に〈サウンド谷口〉って音響設備やスタジオをやっていた人がやってるバーで、すごく音がいいし客ののりもいいので、最近評判がいいと聞いてました。ミュージシャンもツアーでその店があるから八代に来るようになったりしてるそうなんですよ。あそこだったら彼らを受け入れてくれると思ったんで、「演奏したいなら行ったほうがいいよ」って勧めたんです。おれはバーベキューの片付けをやってたんでどう交渉したかは知らないんですけど、ライブのスタートにはぎりぎり間に合って。

 

──あの夜は、エルメートとアンドレ(・マルケス)以外の全員が行ったそうですね。

 

山口 そうだったと思います。そこでセッションが始まって。お店の人も八代市内でこういうのが好きそうな人たちにすぐに電話で「来なよ!」って声をかけて。

 

──リアルタイムの中継でSNSに流れてきた映像を見て悶絶しました。

 

 

 

FRUEさんの投稿 2018年5月9日水曜日

 

 

 

FRUEさんの投稿 2018年5月9日水曜日

 

山口 いいライヴでしたよ。エルメートがいないから、バンドのみんなも手かせ足かせはずれた感じもあって、やりたい放題(笑)。福岡の〈SHIKIORI〉の松永誠剛くんも飛び入りしたり、おもしろかったですね。あれを見たあと、おれは「もしエルメートがあの世にいっちゃっても、この人たちがいれば大丈夫だな」と思いました(笑)。すごいバンドだし、いまのメンバーは本当にいいですよ。

 

──二組の親子がバンド内にいるし、演奏しながらエルメートの精神を伝承してるわけですもんね。

 

山口 普段もみんな和気あいあいとしてます。移動中は結構寝てたり、寝てると思ったら起きてたり(笑)。

 

──ハーモニーホールでのライヴも、すごくよかったですよね。単に「いい」というだけじゃなく、エルメートの音楽が受け入れられていくさまをじかに見られた。つまり、お客さんのなかには「ブラジルからサンバみたいな楽しい音楽をやるおじいさんが来る」というイメージしかなかった人もいたと思うんですよ。そこにいきなり手加減なしで変拍子のすごい演奏が始まって。でも、それがどんどん場を溶かして混ざり合ってく感じがリアルにすごかった。最後は総立ちで、坂口恭平くんを筆頭に前のほうまでお客さんがたくさん駆け寄っていって感動的でした。

 

山口 アンコールのときですよね。あれはすごかった。エルメートでみんなが前に詰めかけるなんて。あんな光景はなかなか見れないですよ。だいたい普通のコンサートだったら怒られるんですけどね(笑)。ああいうのを見逃してくれるのは田舎のホールのいいところかも。

 

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写真:渡辺亮

 

──あの場では坂口くんがきっかけになったところもあるかもしれないけど、彼のこともエルメートも知らないような年配のお客さんも興奮してましたからね。

 

山口 あのとき、みんな踊りたくてずっとうずうずしてたんでしょうね。

 

──終わったあとに通訳さんから、アンコールでメンバーがビール瓶を笛にして吹いた演奏は最初は予定になかったけど、突然言われたのであわてて会場の入り口で売ってたビールを買ってきたって話を聞きました。

 

山口 そうでしたね。メンバーみんなでその場で飲んで(音程を)調整してました。あと、筒でやる演奏も一度見てみたいですね。竹とかで代用できたらおもしろいだろうなと思います。用意が大変かもしれないけど(笑)

 

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写真:渡辺亮

 

──エルメートは行動そのものが音楽だから、全部を見る人に伝えて欲しいですよね。あの日、子供もいっぱい来てましたけど、彼らは大人になったらよく覚えてないくらいかもしれない。でも、「子供のとき、白髪のおじいさんのすごい音楽を見た」みたいな記憶の断片だけでも残ると、次の世代の山口兄弟を産み出すんじゃないですか?

 

山口 だといいですね。そうだ、思い出した。じつは、八代でエルメートをやる最終的な決定を下した理由は、うちの娘が「見たい」って言ったからなんです。曲を聴かせてたら、すごく好きなんですよ。2017年のエルメートも見に行ったのかな? 八代公演を決めるか迷ってたころは、まだ3歳くらいだったと思います。

 

──ああ、さっき話に出てきたお子さんですね。「子供がいるから招聘するのは大変」と最初は思っていたという。その子が最終的に決め手になったんですか。おもしろい!

 

山口 (エルメートの曲を)お風呂でブクブクやりながら歌えるんですよ。たぶん、大人より子供のほうが変拍子とかを難しく思わずに覚えるんでしょうね。「見たい?」って聞いたら「見たい」って答えたんで、「じゃ、やろう!」という流れはありました。それが一番最後に決めた瞬間でした。

 

──答えにくい話だったら返事はなくても構わないんですが、結局、公演の収支は?

 

山口 たぶん、八代はトントンくらいだったんじゃないでしょうか。お金のことは東京にお任せなので、よくわかりません。おれの手元には一銭も残ってないですけど(笑)

 

──でも、損にはなってないからこうして2年連続2回目のエルメートの八代でのライヴが実現するわけですもんね。とはいえ、「今年も八代で」という話がきたときは、どう反応されたんですか?

 

山口 「またか~」と思いました(笑)。でも、今度は「土日のどちらかで、マルシェやろうよ」っていう提案だったんです。もっと大きい規模の八代厚生会館を会場にするという案もあったんですけど、ハーモニーホールは駐車場も広いし、隣接した広場がマルシェに使える。確認してみたら、その広場は火も使っていいし、条件が整ってる。なにしろ兄貴はマルシェをすごくやりたがってたんですよ。「フェスっぽくしたい」って。まあ、最終的には押し切られました。うまく断る理由が見つからなかったって感じですね(笑)

 

──そういえば、八代の名門キャバレーである〈白馬〉を会場にする案もあったとお聞きしたときは、かなり興奮しました。

 

山口 「〈白馬〉も会場としておもしろそうだ」という話は、いろんな人を熊本にライヴで呼ぶときに、よく出る話なんですよ。似合いそうなバンドもいっぱいいますしね。

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写真集「キャバレー、ダンスホール 20世紀の夜」(グラフィック社)より。〈白馬〉の内装は表紙に使われるほど絢爛豪華。

 

──「あの昭和モダニズムでキラキラなロケーションを提供します」って持ちかけたら、「行きます!」って即答するバンドもいそうです。〈白馬〉がライヴハウスとして稼働できたら、全国からびっくりするくらいお客さんが来るんじゃないかって気がします。

 

山口 ああいう場所って、もう日本にあんまりないですもんね。しかも〈白馬〉はキャバレーとして現役ですからね。条件が合えばいつかやってみたいなとは思いますね。一回、オールディーズのイベントを〈白馬〉でやったときに見に行ったことがあるんですよ。おもしろかったですね。店内をそのまま演出として使ってました。お客さんはみんな60~70歳なんですけど、ボックス席に普段は座ってて、好きな曲がかかるとフロアに出てダンスするんです。チークタイムもちゃんとあって。いま市議会議員をやられてる方がやってるんですけど、いいイベントだなと思いました。その方とも「なにか一緒にやりたいね」って話はしたりしてます。

 

──いまは、八代の人だけじゃなく、ほかの地域や県外からもアクセスしやすくなってますしね。周りの人も見に来るというのもいいことだと思います。

 

山口 前回のエルメートは、半分くらいが八代以外のお客さんだったと思います。でも、半分は地元の人が来たというのもすごいなと思いましたね。知らないアーティストに6千円のチケット代を出すわけですから。

 

──もちろん、見るライヴは間違いのないものだし、人によってはこんな機会がなかったら生涯触れることはなかっただろう音楽でもあるし。

 

山口 熊本市内でメデスキをやり、山鹿でニュー・ザイオン・トリオをやったときに、かなり県外から人が来たんですよ。その経験があって、ちょっと自信がついた部分もありました。おもしろければ遠くても人は来る、という確信ができた。

 

──今回は、去年と逆で八代がツアーの最終地点です。

 

山口 いいですよね。八代がツアー・ファイナルって、すごいですよね(笑)。去年も東京の最終日のセカンドはすごく盛り上がったし、最後はツアーのスタッフもみんなステージにあげられちゃって大変でしたね(笑)。あのツアーは本当におもしろかったです。今回は大阪公演から帯同するつもりです。初日の〈FUJI & SUN〉もいきたいんですけどね。さすがに八代公演の直前なんで長期間は空けられない。そこが空けられて、誰か任せられる人が出てくるようになるとなおいいんでしょうけどね。

 

──それだけ八代に基盤ができていくという話でもありますし。

 

山口 たくさんの友人たちがノーギャラで手伝ってくれていますけど、人手は足りなくて、やることは山積みなので。

 

──うちの父親はエルメートより一歳下なんですけど、見せてみたい気もしてるんですよね。

 

山口 前回はうちの檀家さんも結構チケットを買っていただいたんですけど、もちろんエルメートも知らないし興味もない。付き合いで買ってくれたようなところもあるんですけど、そういう70歳前後くらいの人たちが、今回も来てくれるっていうんですよ。「あれはおもしろかった! 今回は友達も誘うから」って。そういうのを聞くとうれしいです。エルメートを呼んだことがきっかけで、また音楽の輪がもっと広がるといいですよね。長崎の〈チトセピアホール〉で、そういうイベントを続けてらっしゃる支配人の出口(亮太)さんがインタビューで話されていたことがすごく好きなんですよ。あそこにも地方でこういうことをやる上での名言がいっぱいあるなと思ってます。

 

www.cinra.net

CINRA.NETに掲載された岸野雄一氏との対談。

 

──出口さんも以前は東京にいらっしゃって、地元に帰っていろいろおもしろいことに尽力されてますよね。ぼく自身も、熊本がいやだと思って若いときに東京に出たんですけど、いまは地元のことがだんだん気になってきてる。自分でも不思議です。

 

山口 地方っていまおもしろいですよ。東京の友達も、おれが熊本でやるライヴに毎回よく来てくれるんですよ。東京はスタッフとして手伝って、見に行くのは熊本みたいな。

 

──東京って便利だし、人口も多いし、会場の数も多いけど、ツアー・ファイナルとかになるんですけど、それが正解じゃないかもって気持ちにときどきなるんです。場所や土地との組み合わせとかも大事。だから「エルメートと八代の組み合わせは鉄板!」っていうふうになっていけばいいのかなと願ってます。

 

山口 そうですね。でも、次は誰かにほかの場所でやってほしいです。「おれにもゆっくりライヴを見せてくれよ」って(笑)

 

──最後にひとつ聞いておきたかったんですけど、ご兄弟の縁があって、日々のお寺での仕事という範疇を超えてこういうイベントに関わられることになって。もちろん好きでやられてることでしょうけど、「(兄に)振り回されてる」と思う面もあります?

 

山口 そうですね。多少はそういう面もあります(笑)。だけど、みんな楽しそうだし、いいんじゃないかなと思いますね。〈FRUE〉がもうちょっと金銭的にもうまくまわりだすと、地方でもこういう関わり方ができる人がもっと増えるだろうし。

 

──東京でなんとなく時間に追われて日々を過ごしてて、ある夜にはすごくいいライヴを見たけど、そのあと満員電車に詰め込まれていい気分も帳消しになって、コンビニで弁当買って帰る、みたいなのって、よくある日常じゃないですか。旅に出ていろんなライヴを見るようになると、その街に暮らしてて、こういうライヴの機会を自分たちのペースで楽しんでる人たちを見たり話したりすることが、すごく暮らし方というか音楽との付き合い方の手本になると感じる部分も大きいんです。終電過ぎても平気でみんなで自転車で帰ってくようなことに宿る強さというか。逆に、東京の「いまはこういう決まりになってますから早く帰って」という無言の圧力に慣れちゃうのは、なんかこわい。

 

山口 たしかにそれはありますね。それに今回は土曜日開催だから、八代の夜の街に、ほかの街から来た人たちもみんな繰り出してくれたらおもしろいなと思います。八代にも田舎のディープさがありますから。

 

──都会から戻ってきて、地元で新しい文化の拠点となって活動されてる人たちも少なくないですしね。

 

山口 〈FRUE〉が熊本でやれたのは、そこがすごく大きいですね。震災後の移住組やUターン組が熊本に結構いた。そういう人たちがいろいろ発信してくれて、イベントの情報が広がっていって。

 

──ある種、興行会社のやり方というのは決まったものがあるし、理にかなってもいる。だけど、そうじゃなくてもできることはあるし、おもしろくもなる。そこを実践されたようなところはあるんじゃないですか?

 

山口 それはあります。田舎のほうが自由度も高いですしね。みんな車を持ってるから、公演をやる場所も駅からのアクセスとかをあんまり気にしなくてよかったり。でも、普段遊びに行ったりしても、そういう視点でその場所を見るクセがついてきました。

 

──「使えるな」みたいな(笑)

 

山口 いやな感じですけどね(笑)。「ここの弁当、使えるな」みたいな。まずいですよね。本職が何屋なのかわからなくなってる。

 

──でも、そういう心の動きも含めて、じわっと伝染していくといいですね。

 

山口 八代って、あんまり知られてないですけど、すごく住みやすいんですよ。海も山も川もあって、温泉もあって、海産物も農産物もある。ひととおり揃ってるけど、移住候補にあんまりあがらない。おれもそのよさは帰ってきてすぐにはわからなかったですけど、いまはわかりますね。都会でもないし、田舎だけど山奥でもない。道路と新幹線はあるし、空港も2つ使える。豊臣秀吉も八代を「すげえいい場所だ」って言ったそうですよ(笑)

 

──秀吉とエルメートが「いい場所だ」って言ってるなら、それは最高のお墨付きですよ(笑)。今回も八代公演の成功を願ってます。

 

山口 雨が降らなきゃいいですね。毎日お寺でお経読んで祈ってます。そこはほかのオーガナイザーとは違うところかも(笑)

 

(おわり)

 

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前回の八代公演の最後、エルメートはピアニカを客席に放り投げて未来を託した。写真:渡辺亮

 

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大阪、八代公演のチケットはこちらから。

 

frue.jp

なぜエルメート・パスコアールは2年連続で八代に行くのか?/山口功倫インタビュー その2

なぜエルメート・パスコアールは2年連続で八代にいくのか?

全国の音楽ファンがすくなからず感じているであろう素朴な疑問を振り出しにしての話だけど、これは熊本県八代市というある地方都市を舞台にした音楽ファンの生き方と伝え方の物語でもある。

第2回は、いよいよ〈FRUE〉が立ち上がって、エルメートの八代公演が実現するまでの話。今回もおもしろいです。

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──お兄さん(山口彰悟)が〈FRUE〉を立ち上げられたときは、山口さんはどうされてたんですか?
 
山口 最初の〈FRUE〉のイベント〈FRUE ~Etheric Uprise~〉(2012年3月10日、代官山UNIT & SALOON)のときは、まだ俺は東京にいました。八代に帰ってからも東京には寺の仕事で行ってたので、〈FRUE〉イベントには何回か遊びに行きましたね。実質的におれが兄貴を手伝い始めたのは、1回目のエルメート(2017年1月7日、8日、渋谷WWWX)かなぁ? そのときからチケットの担当をやらされて(笑)。「ひとりぴあ」みたいなものです。
 

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──え? ライヴは東京だけど、チケットの受付は八代でやってたということですか?
 
山口 はい。メールの受け答えもチケットの発送も基本的にはおれが八代でやってたんですよ(笑)。〈FRUE〉としてのチケット販売も、あのときくらいから本格的にやりだしたんじゃないですかね。最初は勝手がぜんぜんわからなくて大変でした。
 
──〈FRUE〉で最初にエルメートを招聘したときって、僕は都合が合わなくて行けなかったんですけど、なんか告知とか、いろんな雰囲気作りがすごく普通のイベントと感じが違ったんですよ。
 
山口 福岡の八女にいる友人も「〈FRUE〉のことは知らないけど、WWWがやってるなら大丈夫なイベントだろう」と思って見に行ったらしいですよ。〈FRUE〉主催ってことよりも〈WWW〉がやるからいいだろうって思われてたわけなんですけど(笑)。そもそも、それまでは〈FRUE〉はそんなに知られてなかった。
 
──モロッコからジャジューカの人たちを呼んだりして話題になった〈FESTIVAL de FRUE 2017〉はその年の秋開催(2017年11月3日、つま恋 リゾート彩の郷)ですもんね。まだ2017年のエルメート招聘の時点では〈FRUE〉としての一般的な知名度はそんなになかった。
 
山口 それまではクラブ系の人しか知らなかったと思います。エルメートを呼んだことで、だいぶ名が知れた感じはありましたよね。
 
──「伝説の巨人を呼べちゃう人たちなんだ」って驚きがありましたからね。とはいえ、実務はさぞかし大変だったんでしょうね。
 
山口 最初はおれはチケットの担当だけだったんで、実際の大変さはそんなにわからなかったんですけど、去年の2回目のエルメートは一緒にツアーについて行って、2回目でもみんな大変そうだったから、(初回は)もっと大変だったんだなと思います(笑)
 
──では、〈FRUE〉として2回目のエルメートのジャパン・ツアーのオープニングに組み込まれた八代公演の話をしましょう。ぼくもあの公演日程が発表された時点では、山口兄弟のことをまったく知らなかったので、本当にびっくりしました。「え? なんで?」みたいな感じで混乱しました。
 
山口 そりゃそうですよね。おれも、自分がまったくそういう関わりがない状態で「八代でエルメートがやる」って話を聞いたら「なんなんだ、それは?」って思いますもん。
 
──八代→大阪→東京ってツアーの日程も、普通ありえないじゃないですか。
 
山口 じつは、最初は何回も断ったんですよ。「無理だ」って。
 
──そうなんですか。「ぜひぜひ!」ではなく?
 
山口 その前の経験として、ジョン・メデスキ(メデスキ、マーティン&ウッド)の熊本でのソロ公演(2016年3月31日、熊本市男女共同参画センターはあもにい多目的ホール)をおれが受けてたんですね。そのあとはニュー・ザイオン・トリオとシロ・バチスタの公演を山鹿市(2017年8月27日、天聽の蔵)でやったんです。それぞれ動員はメデスキが200人弱、ニュー・ザイオン・トリオも2、300人くらいでうまくいったんです。でも、エルメートはやつしろハーモニーホールに500人呼ばなくちゃいけない。地元には昔の知り合いもいますけど、そうじゃない層にアクセスしないといけないから、ちょっと大変だなと。おれも子供がそのころ2、3歳だったんで手が離せなかったし、手伝ってくれそうな友達にも「ちょうど子供が生まれるから今回は無理」って言われて。兄貴には何回も断りを入れました。でも、しつこく「やろうよ」って言ってくるんですよ(笑)
 

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 写真:渡辺亮

 

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──それほどの八代へのこだわりはなぜだったんですかね?
 
山口 そこは兄貴に聞かないとわからないですけどね。たぶん、どこかで地方公演をやりたかったというのがまずあったんですよ。それと、ニュー・ザイオン・トリオを熊本に呼んだときも前日に菊池市の友達がウェルカムパーティーをやってくれたのが、めっちゃ楽しかった記憶もきっかけにあったと思うんです。ほかには、温泉に入りたいとか。今日、この取材に来る前に過去に兄とエルメートを「やる/やらない」でやりとりしたメールを見直してたんですけど、結局「やる」って返事のメールはなかった。東京に俺が直接言いに行ったんです。
 
──なるほど。最後はじかに。
 
山口 そうです。そこで話をして、「やる」という最終決断を伝えたんです。そのあとのメールは「もうハーモニーホールに申請を出してきた」という話題になってますから。
 
──なるほど、その後もいろいろなご苦労はあったでしょう?
 
山口 そうですね。まあ、会場のハーモニーホール八代市の持ち物なので、市民は借りやすいといえば借りやすいです。機材とかはスタインウェイ以外、全部持ち込みですけどね。おもしろかったのが、ハーモニーホールのステージ担当の方が兄貴の高校の同級生だったんですよ。うちの嫁さんもおなじ高校なので知ってました。だけど、最初の2回くらいの打ち合わせではおれも向こうも打ち合わせで会っても気づかなかったですね。3回目くらいに「山口、だよね? お寺、だよね?」って言われて、お互いに「あー!」ってなりました。ライヴの本番でも、最終的に撤収の時間が押してしまったんですけど、あまりガミガミ言わないでくれたのはそのつながりがあったからかな(笑)
 
──それから、チケットを売るための宣伝も必要になりますよね。
 
山口 フライヤーを撒いたりするのはいろいろ協力してもらったりもしたんですけど、八代ではほぼひとりで動いてる感じでしたね。
 
──八代にもジャズ喫茶があるし、マイルス・デイヴィスとエルメートの関係を知ってたら好反応だったのでは?
 
山口 いやー、正統派のジャズバーだとむしろ「誰これ?」みたいな感じもありました。最初は結構つらかったですね。そのなかでも、すごく反応してくれたお店があって。もともと六本木か麻布でバーをやってた人が八代に戻られて開けたお店だそうなんですけど、そこでは「わー、なんかすげえの来るな」ってのってきてくれて。ほかにも「この店も行ったほうがいいよ」って教えてくれるお店もたくさんありましたね。そこでソウルのレコードをめっちゃ持ってる人がお店やってたり、いいアンプとスピーカー置いてるバーとかを知って、芋づる式に毎晩行くお店が増えていきました。八代の夜の街の人たちはすごく優しいんですよ。とにかく夜はだいぶお店をまわったので、ちょっと家庭が崩壊しそうになりましたけど。「また行くの?」みたいなね(笑)
 
──いよいよチケット発売となってからの売れ行きはいかがでした?
 
山口 最初は、ぜんぜんダメでした。だいたい熊本はチケットの動きが基本的に遅いんですよ。むしろ鹿児島とか福岡とかの人がすごく早くに買ってくれて。「なんで八代なの?」と思ってたかもしれないですけど。
 
──とはいえ、九州新幹線新八代駅ができて、ずいぶんと福岡も鹿児島も近くなりましたよ。
 
山口 そうですね。八代って、みんなちょっとずつがんばれば来れる場所なんですよ。車でも両県から2時間くらいだし、九州の交通の中心ですからね。
 
──チケットのご苦労はあったと思いますけど、当日(2018年5月10日)、開場前は長蛇の列ができてて、ぼくも感動してしまいました。

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写真:渡辺亮


山口 おれはあんまり列を見てる余裕もなかったですけど、あれは本当にうれしかったですね。あと、エルメートのツアーについていって、すごくいいなと思ったのは、エルメートを見にきてるお客さんがすごくオープンな感じだったことでした。腕組みしてライヴを見てない感じ。東京とか何度か来てるわけだから見てるほうのハードルも上がってたと思うんです。だけど、みんな心をひらいて見てくれてましたよね。あれはミュージシャンもうれしいですよ。
 
──じっさいに熊本に到着してからのエルメートたちの反応はどうでした?
 
山口 最初は熊本空港でしたけど、到着ゲートから出てきたときは衝撃的でしたね。とりあえずくまモンとエルメート一行で写真を撮りました(笑)

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──ライヴの前日には宗覚寺の境内でバーベキューをやって歓迎したそうですけど、彼らは八代の街や風景についてはどんなことを言ってました?
 
山口 みんなポルトガル語だし、そこはツアーに帯同してくれた通訳さんに聞かないと詳しくはわからないですね。エルメートがKAB(熊本朝日放送)で受けたインタビューでは「山が見えて、鳥の鳴き声がして、そういうのがすごくいい」と答えてました。たしかにそれは来日しても都会をまわるツアーだけだとなかなか味わえないことですよね。その言葉を聞いて「やってよかったな」と思いましたね。地元の八代の食材を使った食事も、みんなすごく喜んでくれて。それで調子が出たのか、みんながいきなり「ライヴがやりたい」って言い出したんですよ。
 
──ああ、それがFacebookに動画も残ってる、八代のライブハウス乱入になったんですね。
 
(第3回につづく)

 

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本日は、バンドのピアニスト、アンドレマルケスのソロ公演が代々木上原MUSICASAで開催。

 

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エルメートのツアーは大阪、八代と続きます。チケットはこちら。

 

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