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なにかあり/とくになし

ワン・マン・ビートルズ その1

2009年にイタリアで制作された
低予算の音楽ドキュメンタリー・フィルム。


そのタイトルは
「ワン・マン・ビートルズ」。


1970年代初めに
たったひとりで
すべての楽器と歌とアレンジをやりとげ
ビートルズの影響下にありながら
そのサウンドに淡くうつろな若さと
ナイーヴすぎる熱気を映し込んだ
西海岸の若き天才ミュージシャンのリアル・ストーリーをつづった作品だった。


なんという幸運か
決して注目が高いとは言い難いその映画の
アメリカでの初公開に
居合わせる機会に恵まれた。


場所はとあるレコード・ストア。
観客は100人足らずだが
いずれも劣らぬ興奮を隠せないファンが
ところせましと集まっている。


映画には
過去の短く輝かしい青春だけでなく、
レコード会社との不用意な契約や
私生活での不幸が重なり
不遇のまま音楽キャリアを中断させられ
35年以上の間
ほぼ隠遁生活を送ってきた主人公の
目を覆いたくなるほどの現在が
正直にさらされていた。


彼は
貧しく
太って
衰えて
人間嫌いの鋭さをたたえた
優しすぎる目をしていた。


イタリアからやってきた
この映画の企画者であり
彼の熱心なファンである若者が
「あなたのあの曲が大好きだ」と水を向け
ギターでコードやメロディを聴かせても
「あのレコードは発売されてから一度も聴いていない。
 まったく記憶にないんだ」と
男はうそぶく。


いやひょっとしてそれは真実の言葉なのだろう。
彼の中に確かに存在したはずの
かつてのメロディやサウンドはほとんど残されておらず、
自宅スタジオだったはずの場所には
ほこりまみれの楽器や機材が眠っていた。


それとも
才能なんてもう自分には残されていないんだと
20代半ばにして決め込んだままの絶望が
彼自身を飲み込んでしまい、
自分ではどうにもならない
無口で繊細な怪物になってしまっているのかもしれない。


それでも
彼を鼓舞する若き信奉者や
旧友たちの助けで
映画の中で彼は新曲を2曲披露する。


若き日の
複雑でインテリジェントな迷宮感覚とは違う
傷つき
年老いた天才が
息をきらしながら立ち上がろうとする
うつくしくて
いたいけな歌を
ぼくは確かに聴いた。


彼が35年ぶりに新曲を歌った(撮影時の2008年時点で)。
しかも
ひとり多重録音ではなく
バンドと一緒に。


そのニュースを聴いて
遅すぎたと思うかと問われた
かつて彼を担当したプロデューサーのキース・オルセンは言った。


「34年遅すぎたな」


バングルスのピーターソン姉妹は即答した。


「全然。遅すぎるなんて思わない」


マイケル・ペンの答えは秀逸だった。


「遅くなんかない。
 いや、確かに20歳の天才ミュージシャンとしては
 もう遅いのかもしれない。
 だけどほら、
 今の彼は20歳なんて通り越して
 12歳のだだっ子みたいに
 音楽を新しくやれるかもしれないじゃないか」


最後の発言に
大きな拍手が会場からわき上がり、
映画は未来に対する淡い希望を感じさせつつ
上映を終了した。


長い長い拍手が続いた。


その拍手は
脇に控えている主役にも聞こえているはずだから。


司会者は
アメリカでの映画のプロモーター代わりの人物や
映画にも登場した主人公の旧バンド・メンバーを紹介し
壇上にいざなった。


そして
こう言ったのだ。


「では大きな拍手でお迎えください。
 この映画『ワン・マン・ビートルズ』の主役である
 ミスター・エミット・ローズです」


つづく。