mrbq

なにかあり/とくになし

ア・スマイル・アンド・ア・リボン その13

すっかり長くなったから
2日目のイリジウムで起きたことは
簡単に記しておきたい。


この日はなんとか時間を工夫して
ファースト・セットに間に合うように
ぼくはイリジウムまでやって来た。


入口で案内された席は
ステージの右袖で
スコットの目の前。


いや
もっと驚くのは
おなじテーブルの対面に座っているのが
ヨ・ラ・テンゴのアイラとジョージア


あなたたち、
やっぱり今日も来てしまったんだね。


「いや、今日はファースト・セットで帰るつもりなんだ」


アイラが照れくさそうに答え
ジョージアが物静かに微笑んだ。


今夜のショーには
さらにスペシャルなゲストが加わるらしいと
お客がごにょごにょと言っているのは聞こえていたけど、
ライヴがはじまってみたら
なんとそのスペシャル・ゲストは
最初からステージの脇にいて
ホーン隊にまじって
サックスを吹いているじゃないか。


サン・ラー・アーケストラのオリジナル・メンバーで
93年にサン・ラーが土星に還ったあとも
精神的支柱としてアーケストラを支えるちいさな巨人、
マーシャル・アレンそのひと!


マーシャルは
テリーとおなじケンタッキー州ルイヴィルの出身。
サン・ラーに私淑していたテリーとは長年の仲で
近年もデュオ・アルバム
テン・バイ・トゥー」を制作している。


とは言うものの、
特にアナウンスもなく
最初からサックスを吹いていたものだから
気がついたときはビックリした。


マーシャルの参加の賜物だろう、
「テンダリー」のNRBQヴァージョンを
ライヴではじめて聴くことが出来た。


バリバリとガラスを打ち砕くようなフリーキーなサックスが
マーシャルの存在を鮮烈に伝えていた。


しかも
マーシャルは
そのままセカンド・セットの終わりまで
休憩することはおろか
着席することもなく
ぶいぶいと
ひりひりと
自分の音でサックスを吹きつづけたのだ。


50年代からサン・ラーと一緒にやってたんだから
もうかなりな歳のはずだろ?


セカンド・セットが終わって
着替えることもなく帰ろうとしているマーシャルを呼び止め
感動と敬意を伝えたときのこと。


「ところで、おいくつなんですか?」
「はちじゅう……、いくつだったかな? はちじゅうなな?
 もうすぐ88歳になるよ!」
「え!」


絶句するぼくを尻目に
黒い肌に金色のヒゲを生やしたその怪人は
からからと笑った。


「長持ちの秘訣は
 知ってる曲をプレイしないことだよ!
 おなじみの曲ばかりやるなんて
 まったく退屈の極みじゃないか!
 そんなの老人のすることだ!」


ということは
今日やったNRBQの曲も……。


「ほとんど全然知らんよ!
 だから楽しかった!
 じゃあな! またどっかで!」


トム・アルドリーノが亡くなって
それぞれの思いを抱えたいろんなひとたちに会って
NRBQの名前でふたたび音楽をロールしはじめたテリーと
NRBQの名前に恥じない音楽をプレイしているバンドを見て
最後に出くわしたおそるべき87歳、マーシャル・アレンに面食らって。


音楽だけは裏切らないと信じて
約束事のない音楽を
これからもやりつづけようとしているテリー・アダムス。


その姿は
とてもたのもしくて
だけどやっぱり
とてもせつない。


でも
このひとの信じている音楽と
その先につづくすじがきのない未来に
ぼくはまだまだつきあっていたいのだ。


結局
ジョージアはファースト・セットで帰ったが
知り合いとの立ち話につかまったアイラは
セカンド・セットの終わりまで見届けていった。


客席には
ハル・ウィルナーに連れられて
ルー・リード
顔を見せていたという。


真夜中のタイムズ・スクエアに出る。
この時期
ニューヨークの夜は零下に落ち込む。


それでも
てくてく歩いてホテルまで帰ることにした。
「Walkin, walkin, walkin...♪」と
「ウィ・アー・ウォーキング」を口ずさみつつ。(おわり、と思わせて)


追伸


1月31日は
川勝正幸さんの突然の訃報を知らされた日でもありました。