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なにかあり/とくになし

スカートは実在した! 澤部渡インタビュー その3

スカート澤部渡インタビュー、
第3回。


澤部渡の音楽的生い立ち、
それを考えるうえで影響の大きいお母さんが登場。


澤部くんと話していると
歳がずいぶん違うことをぼくもついつい忘れてしまうので
念のため
スカートHPよりバイオを転載しておくことにする。


みなさんも
「え? このひと何歳?」と思ったら
この年譜に目をやってください。


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スカート / 澤部渡


1987年12月生まれ。
14歳より自宅録音活動をスタート。これまでにCD-Rアルバム『LoversChronicles』『スカート』、CDアルバム『エス・オー・エス』をリリース。
サポート・メンバーとして、昆虫キッズでパーカション/サックス、yes,mama ok?でベース、を担当。また漫画家の西村ツチカさんらとのバンド「トーベヤンソン・ニューヨーク」としても活動。


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では
第三回スタート。


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松永 さっきもちらっと話に出てきたけど、もともと澤部家はお母さんがすごくロック好きなんだよね。ロック好きというか、XTC好きだって聞いたことある。


澤部 そうですね。小さいころからぼくも音楽は好きだったんです。小学校の先生とかに、どんな音楽が好きなんですかって訊くのが好きな子供でした。そのときに図工の先生が「わたしはYMOというのが好きだ」って教えてくれて。YMOって何か聞いたことあるな、って思ったんです。森高千里が細野(晴臣)さんとやってた時期あったじゃないですか?


松永 ああ、『今年の夏はモア・ベター』(98年)。



澤部 ちょうどあのくらいの時期です。テレビで「ミュージック・ステーション」を見ていたら、森高と細野さんが出ていて、「この細野さんって人は昔はYMOというバンドをやっていたんだよ」と母が言ってたのを思い出したんです。じゃあ、もしかしてYMOのレコード、家にあるかなと思って、母に訊いたんですね。そしたらLPレコードが出てきて。そのときは家にプレイヤーがなかったんですが、ぼくがそういうことを言いだしたんで母親が上機嫌になって、レコード・プレイヤーを買ってくれたんです。それで、YMOとかエンケン遠藤賢司)とか、家にあるレコードを聴くようになって。


松永 小学生でエンケン


澤部 しかも、ニューウェイヴ期なんです。『東京ワッショイ』(79年)とか『宇宙防衛軍』(80年)とか。古いのもあったんですけど、その頃はYMO的なものに惹かれていたので、ニューウェイヴっぽいエンケンを聴いてました。初期の『満足できるかな』(71年)とか『nyago』(70年)とかを聴くようになったのは中学校に入ってからくらいでしたね。


松永 YMO的なものは、子供心にどこがかっこよかったんだろう? ピコピコな電子音の感じとか?


澤部 何がよかったんだろう? 新鮮だったんですかね。


松永 今、自分のまわりにあるものとは違う、と。


澤部 それはありました。それまではLINDBERGとか、プリンセス・プリンセスとかが好きだったんです。それだってよく考えたらおかしいですよね? 僕、87年生まれなんで……。あ、小沢健二もすごい好きで聴いてました。でも、YMOはそういうものに比べても音楽がおかしい。「これはおかしい音楽だ!」と盛り上がっていったんだと思うんですよ。中学生になると、椎名林檎とかNUMBER GIRLとかを聴くようになりました。NUMBER GIRLはかっこいいなと思って、ずっと家でも聴いてて。そしたら、ある日、母親が突然ガラガラガラッと戸を開けて、「これを聴いてるんだったら、おまえ、XTCを聴け!」って言って『ドラムス・アンド・ワイアーズ』(79年)を手渡されたんです。


松永 すごいね! ドアを開けたらXTC(笑)



澤部 ちょうどNUMBER GIRLは『NUM-HEAVYMETALLIC』(02年)あたりでした。あの音と、XTCにおけるヒュー・パジャム的なイコライジングされたサウンドとの共通点もないことはないんですが。スネアの音がでかい! みたいな。そういう共通点を、母親がぼくの部屋から聴こえてくる音から嗅ぎ取って。


松永 ガラガラガラッとドアが開き。


澤部 「これを聴け!」って。いやまあ、ちょっと誇張して言ってますけど(笑)。でも、『ドラムス・アンド・ワイアーズ』を持ってきたときの母には、本当にそういう勢いがありましたね。それで初めて針を落としたら、ドラムにフランジャーがかかった音で始まって。あれが良すぎた。


松永 「がんばれナイジェル(メイキング・プランズ・フォー・ナイジェル)」の。


澤部 これ最高だ!って。そこから母親のレコードを一回総ざらいすることになったんです。


松永 でも、前にも聞いたけど、おもしろいのは、お母さんのコレクションでは、XTCは名作とみんなが呼ぶ『スカイラーキング』(86年)の時期までは揃ってないんだよね(笑)


澤部 そこまで行ってないんです! 『ママー』(83年)まですら行ってないです。リアルタイムで母が聴いてたのは『イングリッシュ・セトゥルメント』(82年)までです。しかも家にあるのは『ブラック・シー』(80年)まで。『イングリッシュ・セトゥルメント』は誰かに貸したら戻ってこなかった、って言ってましたね。おもしろいのは、YMOも『BGM』(81年)まで行ってないんですよ。『増殖』(80年)までなんです。だからそれ以降は自分で探して聴かなきゃいけなかったですね。


松永 その、お母さんの「ここまで」ってラインも、スカートの音楽に影響与えてる気もする。


澤部 ちょっとしますね(笑)。「それ以降」を自分でやらなきゃって意識がぼくにはあるのかな、って気がしましたね。


松永 それにしても、東京に暮らしてるんだから、もっといろいろ普通のバンドのライヴを見る機会もあったと思うんだけど。澤部くんの場合は最初からイエママで、パラガで。


澤部 そうですね。フジロックに初めて行ったのも、20歳過ぎてからでした。オレンジコートのスパークスがどうしても見たいと思って出かけたんです。どうしてもスパークスを最前列で見たかったんで、その前に出たマーク・スチュワートのときから張り付いてました(笑)。NUMBER GIRLも大好きだったんですけど、結局ライヴは見に行けませんでしたね。中3くらいで解散しちゃったし……。


松永 今はカーネーションムーンライダーズも大好きだよね。そのあたりを聴きはじめたのはいつぐらい?


澤部 カーネーションは18歳くらいですね。ライヴを見たのは20歳くらい。


松永 ということは、もう3人時代のカーネーション


澤部 そうです。しかもドラムスを矢部さんが叩いたのを見たのは一回きり。それから一年くらいした09年には矢部さんが辞めちゃうんですよ。ライダーズを初めて見に行ったのもようやく07年でした。クアトロでした。


松永 そうなんだ。もっと前から聴いてるのかと思ってた。「ウーリッツァー」だっけ。15か16歳で書いた曲とかさ、ああいう初期の曲を聴いても、もうライダースやカーネーションっぽいよね、すでに。


澤部 そうっすよね! 本当にそうっすよね。 カーネーションは中学のころから名前は知ってたんですけど、聴こうか聴くまいか、って、4、5年は悩んだんです。どうもそういうものを自分のなかで温めておくくせがあって。聴いてみて、やっぱり良かった、とあとで思うんですけどね。


(つづく)


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スカート ワンマントーク&ライブ ODAIBA MUSIC CLOUD vol.1
お台場TOKYO CULTURE CULTURE


5月25日(金)
Open 18:30 Start 19:30 End 21:30 (予定)

前売り券1800円 当日券2300円(飲食代別途必要・ビール¥600など)


【ライブ】スカート(澤部渡
トークライブ・ゲスト】北尾修一(太田出版) 阿久津真一(元エピックレコード)
【企画・司会】テリー植田(東京カルチャーカルチャー・プロデューサー)


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もうひとつ。


金沢近郊にお住まいのかたにはこちらも。


NRQとスカート2マンリサイタルin金沢
@JO-HOUSE石引


5月13日(日)
JO-HOUSE石引
一般3000円/学生2000円※予約制
(どちらも1ドリンク付き)
当日JO-HOUSEカレー特価500円


ご予約・お問い合わせ
mocha@jo-house.com
Twitter @MoCurry



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