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なにかあり/とくになし

片想い・イン・ザ・ハウス

阿佐ヶ谷rojiへの階段をあがろうとすると
下で知り合いたちが煙草をふかしていた。


今日はお店のなかは禁煙。
それくらい混み合っているから。


けっしてひろくはない店内に
8人組のバンドと
30数名のお客さん。


片想いのファン感謝祭という名の
ワンマンライヴが月曜の夜に行われる。


ぼくは平日も休日も関係ない仕事をしているけれど
街を歩いたり
お店に出ていたりすれば
世間の月曜日のムードはよくわかる。


メンバーの都合で決まった偶然とはいえ
憂鬱な月曜日に
阿佐ヶ谷で片想いを見ることができる幸運に祝福を!


秘密にされていたフロントアクトには
バンド編成でHara Kazutoshi。
そして
お客で来ていた橋本くんや荒内くんも含めて
メンバーがそろっているという理由で
急遽ceroが「武蔵野クルーズエキゾチカ」を演奏。


ほどよい興奮と混乱のなか
片想いの感謝祭ははじまった。


以前に取材をしたときに
片想いのレパートリーは5〜60曲はあるとMC.sirafuは語っていた。
事前に特別な練習をしなくても
すぐにライヴで出来る曲なら30曲くらいとあだち麗三郎も言っていた。


今日あらためて長いライヴを見て
その証言はうそじゃないと確信した。


実際に60曲もライヴをやったわけではないんだけど、
それぞれの曲のなかに袋詰めされた
さまざまな音楽や言葉のきれはしには
それだけの埋蔵量の手掛かりとなるものが
メロディや言葉やギャグのかたちで
しっかり記されている気がする。


無理矢理なたとえかもしれないが
片想いの曲の良さは
いかにも宝物がありそうな地図の断片を手にしたときの感覚にも
なんとなく似ている。


そして
その宝物が実はビー玉だったとしても
彼らが歌って踊る姿を見ていたら
笑って許してしまいたくなるニクメナイ感覚も
そなわっている。


つまり
音楽をきくという冒険そのものが
宝物それ自体を所有する価値にとってかわる
うれしい体験になっているのだ。


なんだ
それは
ぼくたちが
本当にしたかったことじゃないの。


しかも
この音楽はこうきけ、だなんて
めんどくさい但し書きは
いっさいない。


そんな
あっけにとられるほど
すとんと腑に落ちる幸福がある。


他人の持っていないもの(あるいは知識)を所有することに
特別な価値をアピールして競争し
あわよくばそれを商売にする、
ぼくがいるのは音楽の世界の話だけど、
そういう競争原理で進んできた歴史が終わりつつあると
いろんな局面で感じる機会はすくなくない。


そんな時代の変わり目に
ぼこぼこっと浮上するのに
ふさわしいバンドなんだなと
あらためて思った晩だった。


素敵なライヴだった。
結構酔った。



写真は当日のセットリスト(伴瀬朝彦筆)とこの日のためのチケット。