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なにかあり/とくになし

森の話 mori no hanashi その1

 森は生きている(mori wa ikiteiru)という名前のバンドのことを知ってから、まだ半年も経ってない。
 去年の11月の終わりごろだったか。Youtubeにあがっていたこの動画ファイルを教えてもらったのが最初だった。





 はっぴいえんどハイ・ラマズ……、ヴォーカリストの歌声にはキセルの辻村豪文に似た、ほろほろっとした叙情もあって。一番たいせつなのは、「〜みたいだ」といちいち要素をあげることで彼らの音楽を説明した気になってしまいたくない気持ちをくすぐられたこと。顔も年齢もまだよくわからない彼らの音楽には、それがあった。
 ぼくはtwitterにこんなことを書いていた。


 emuaarubeeque : 今は「……みたい」という形容詞を今は保留にして浸りたいくらいよいですね。


 「情報過多なこの時代に……云々」を話の始まりに持ってきて、若いバンドを語るのは、もうとっくにやめたつもり。模倣や影響は過去の歴史でも延々と繰り返されてきたことだし、そもそも何かに憧れるという率直な感情はだれかの真似ではない。
 森は生きている、というバンド名にも不思議な力がある。オーガニックでカントリー・リビングな思想にもとづいた自然派? いや、このバンドがやっている音楽は、そういうのじゃない。むしろ、ぼくが受け止めたのは、とても現代的な感じ方だ。情報の引き出しが多かろうが少なかろうが、いい時代だろうが憂鬱な時代だろうが、ひともまた勝手に生きているし、自分の感じ方で音楽をつくりつづけている。森のあちこちで草木が勝手にはえ、緑を増やすように……。その森をさまようことが、あたらしい音楽に出会う方法だと言っているんじゃないのか。


 リーダーの岡田拓郎とヴォーカルの竹川悟史には、去年のとんちまつり(2012年12月15日、新代田FEVER)で直接会った。岡田くんは21歳、竹川くんは23歳。メンバーは全部で6人で、26歳と27歳のメンバーもいるのだときいた。
 ライヴをはじめて見たのは2013年1月16日、吉祥寺曼荼羅にて。想像したよりも泥臭くて、甘くて、バンド感のあるサウンドに、ぐっと気圧された。岡田拓郎とそのバンド、ではなく、メンバーそれぞれに顔と音がある。そのライヴが終わった直後に、「インタビューをさせてください」と彼らに申し込んだ。
 日にちは2月8日、場所は阿佐ヶ谷のrojiで。インタビューにはメンバー6人中、岡田、竹川、ドラマーの増村和彦、キーボードの谷口雄の4人が同席することになった。都合により同席できなかったベースの久山直道、フルート、トランペットの大久保淳也には、のちほどあらためて話をきいて、完全版として完成させることにしたい。
 これが彼らが受けるはじめてのインタビューとなる。きちんとした誌面でもないぼくのブログが掲載場所で申し訳ないが、「森は生きている? 彼らは何者?」と気になっているひとたちにとって入り口になるというか、彼らの音のなかにある思いや景色をつかむ手がかりになったらいいなと思っている。
 全5回。2万字程度になる予定。よろしくおつきあいください。


 あらためて、森は生きている、の基本データを。


 森は生きている mori wa ikiteiru


 メンバー
 岡田拓郎 ギター
 竹川悟史 ヴォーカル、ベース、ギター
 大久保淳也 フルート、トランペット、コーラス
 久山直道 ベース、ギター、キーボード
 増村和彦 ドラムス
 谷口雄 キーボード


 CD
 「日々の泡沫 foam of the daze」



 



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──どこから話をきこうかな。そもそもぼくは森は生きているのことを友人のツイートで知った。去年の秋の終わりくらいかな。そこにリンク貼ってあったYoutubeを見に行ったら、映像と音があがっていて、すごく惹かれる音楽だったのでビックリしたというのが最初。


岡田 その時点ですでに『日々の泡沫』の録音は終わっていて。映像だけ先に作ってあったんですよ。プロモーション用にというか、そこまで人にうったえるものだとは思ってなかったんですけど(笑)


──いや、こっちとしたら、この人たちはいったいどこで何してた人なのかな? って驚いたくらいで。若いのか、おじさんなのかもよくわからない。でも、調べてみると若そうだった。それで、去年のとんちまつり(12月15日、新代田FEVER)で、岡田くんと竹川くんに初めて会って、年が明けてから、吉祥寺の曼荼羅でライヴも見た。あらためてきくけど、きみたちは何者? 森は生きているはいつどこで結成されたの?


岡田 結構長い話になるんですけど、いいですか? もともとぼくらの前身バンドがあったんです。名前はちょっと言えないような感じなんですけど。


──え? なんで言えないの。言おうよ(笑)


岡田 いやあ、はっぴいえんどの、とある三文字の曲からいただいた名前なんですけど。それがぼくと竹川と大久保と、あと、ドラム、ベースと鍵盤という編成でやってたんです。そのバンドは、おととし、ぼくが大学に入ってようやく自由の身になったんでバンドやるぞ、と思ってすぐに始めたんです。


──大学入ったのが、おととし、か……。なんかすごいね。みんな今のメンバーは東京出身なんだっけ?


岡田 増村さんだけ九州ですね。ぼくは青梅生まれの福生育ちで、今も福生に住んでます。


──じゃあ、あとの5人は東京と。竹川くんと大久保くんとは大学で知り合ったの?


岡田 いや、それが実は結構根深くて(笑)。ぼくの通っていた府中高校の2年先輩が大久保で、一緒に部活動でビッグバンドをやってたんです。大久保は中学のときにも吹奏楽部に入っていて、そのときの同級生で、高校は違う私立に行ってたのが竹川です。そこでつながったんです。で、ぼくが高校のときに、ジャズが好きな人たちが集まってセッションをしようってことになって、府中の公民館に集まったときに竹ちゃんとは初めて顔を合わせました。ぼくがソニー・ロリンズの「St. Thomas」をギターで弾いたら、いきなりドラムがカリプソのリズムで乗ってきたんですよ。それが竹川だったんです。


──え、竹川くんは当時はドラマーだったの?


岡田 そうなんです。


竹川 今でもドラムはちょいちょい叩いてるんですけどね。


岡田 そのセッションには“失敗しない生き方”のキーボードの今井くんもいました。


──そうなんだ! そこの人間関係がつながる、と。


岡田 そのときのセッションがきっかけで、ぼくと竹川もつながって。音楽の趣味も似通ってたし。


──そもそも、そのセッションは高校生の集まりだったの?


岡田 高校のビッグバンドのつながりなんですけど、ぼくだけ一年生で年下でした。あとは三年生のなかでも割とセッション慣れしてる人たちが集まった感じでした。完全に遊びですけどね。


──素朴な疑問なんですけど、当時、岡田くんは16歳でしょ? で、「St. Thomas」ギターで弾くか? 笑っちゃうくらい早熟だよね(笑)


竹川 そこなんですよ! ぼくもびっくりしました。


──岡田くんの音楽歴は、そもそもどこから始まってるの?


岡田 楽器を始めたのは小五でしたね。うちのおかんは音楽をきくのが好きで、洗濯のとき、いつも高中正義が流れてたんです(笑)。「ブルー・ラグーン」とかききながら、ぼくも「あれ、かっこいいな」と思ってて、あるとき訊ねたら、「この人はギタリストだよ」って教えられたんです。うちのおとんはもともとフォークとか好きだったんで、家にもフォーク・ギターがあったんで、それをいじり始めたのが最初でした。


──これ、70年代とか80年代の話みたいだけど、岡田くんの年齢で小五っていったら、じつは2002年頃の話なんだよね(笑)


岡田 そこからはぼくは根っからのおたく気質なんで、いろいろ自分で探り始めて。


──音楽以前に、自分のおたく気質の芽生えを自覚するような体験とかあった?


岡田 車が好きでした。しかも国内外問わず、60年代の車がすごく好きだったんです。


──TOYOTA2000GTとか?


岡田 そうですそうです(笑)


──そこですでに古いもの好き!


岡田 はい。で、ギターを弾き始めてからは、おとんがコードをちょっと知ってたんでいろいろ教えてもらって。で、小学校なんで周りにそんな友だちもいない、と思いきや、その頃、小学校のときに音楽の先生でバンドマンっぽい人がいたんです。その先生が、ぼくが五年生になったときにバンド・サークルを立ち上げたんですよ。そしたら、おれ入るしかないと思いますよね。ちょうどギター始めたばっかだし。


──へえー、子供バンド! リアル子供バンドだ!(笑) わるい先生がいたもんだね(笑)


岡田 そうなんですよ。小学生ながら、成績がみるみる落ちました(笑)。その先生が一年でいなくなっちゃったんで、バンド・サークル自体も一年で終わってしまったんですけどね。でもその先生、いきなりアドリブの弾き方を教えたんですよ(笑)。


──初心者なのに、いきなりアドリブ(笑)


岡田 でもそれが結構おもしろくて。ギターのスケールって結構図形的な感覚で覚えられるんですよ。小学生とかは飲み込みが早いから、一回そのかたちさえ覚えちゃえば、あとは何でも弾けちゃうんですね。だから今にして思えば、その先生の存在は大きかったですね。いきなりブルースやらされましたから(笑)


──ブルースの悲しみとか失恋の辛さとかもまだわからないのに(笑)


岡田 そんな感じで始まったんですけど、中学でも特にバンドは組まずにいました。


──バンドやってないあいだも、きく方はどんどんきいてたんでしょ?


岡田 それはもう。なんでここまで深くいったのか自分でもわからないんですけどね(笑)


──ご両親とか、兄姉とかね、そういう影響って話はよくあるけど。


岡田 おとんもそんなに詳しくはないんですよ。でも、ぼくがギターやってるんでおもしろがって、小五のときに「ギター・マガジン」って雑誌を買ってもらったんですよ。そしたら、その号がマイク・ブルームフィールドとかデュアン・オールマンとか載ってるスライド・ギター特集だったんです。音は知らないけど文面を見てるとこいつらはやばそうだ……と思ったんですね。そこから、そのへんの音楽をききはじめました。クラプトンとか。


──ひとことでいうと、渋い。渋すぎる小五(笑)。同時代の音楽はきいてなかったの?


岡田 きいてました。B'zもグリーン・デイもききましたよ。その当時は、なにも考えずにおもしろいな、かっこいいなと思えた音楽はなんでもきいてたので、矛盾とか混乱とかはなかったですね。


──中学ではバンドは、やってないわけだから、バンド活動は高校デビューなんだよね。


岡田 そうですね。ビッグバンドの部活に入って、一年生のときから先輩に恵まれて。恵まれた先輩が大久保で、その友だちが竹川で(笑)


──ということは、森は生きているの始まりは、その3人と言えるんだね。でも、その時点では、まだ自分たちのバンドという感覚はなさそう。


岡田 そうです。やっぱり完全に一致するやつらはいなかったし。なかなかバンドは組めずじまいでした。大学に入ってから、そろそろやってみようぜ、という感じになってからですね。


──そこからはどうやってメンバーを集めたの?


岡田 地元の福生にあったチキンシャックっていうライヴハウスに高校のときから出入りしてたので、そこでおもしろそうな人に声をかけたり。おなじ高校に行ってたやつで、結構やばいドラマーがいたってあとから知ってバンドに引っ張ってきたりとか。


──そうやってできたのが前身バンドの、あの有名な曲名をつけた……。


岡田 これは書かないほうがいいんじゃないかなー(笑)


──漢字三文字でしょ? “●●坊”。“F来坊”て書いておこうか(笑)


岡田 あ、一応ローマ字表記なんです(笑)


──そんな名前をつけるくらいだから、もちろん、はっぴいえんども好きで?


岡田 そうですね。好きだったんですけど、そのバンドは、音楽性としてはジャム・バンドっぽかったんです。ドラマーもスピリチュアル・ジャズとか好きだったし、サックスもいたし、ポスト・ロックっぽい要素も備えた感じもやりたいなと思いつつ、その合間にはっぴいえんどの曲もやるような。そんな感じでした。


──なるほどね。ライヴを見たら、それはなんとなくわかった。音源だけ聞いてたら、はっぴいえんどから発展したシティ・ポップとか、海外ならハイ・ラマズとか、そういう感じに憧れてるのかなと思ってたんだけど、ライヴは意外と泥臭くて。


岡田 それはうれしいですね(笑)


──こうして話をきくと、やっぱりそこは岡田くんの出自が影響しているんだろうね。


岡田 そうですね。ぼくがみんなに共有させてるのかもしれないですけど(笑)


(つづく)