森の話 mori no hanashi その2
森は生きているのインタビュー、第2回。
初回はしゃべっているのがリーダーの岡田くん中心だったけど、このあたりから徐々にほかのメンバーも話に絡み始める。
今回は、森は生きているの作詞家/ドラマーの増村くん、オリジナル・メンバーであり岡田くんと高校時代以来の付き合いの竹川くんの話を中心に。
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──大学に入っても、岡田くんの趣味に合うメンバーを探すのは難しい時代じゃなかった?
岡田 そうですね。洋楽に限らず、こういう音楽をきく人自体が同世代にすくないですし。大学でバンド・メンバーを見つけようって気持ちがなかったんで。
──スカートでベースを弾いてる清水瑤志郎くんが、マンタ・レイ・バレエってシティ・ポップ・スタイルのバンドを大学時代の仲間とやっていて。彼らに話をきくと、大学の音楽サークルにいながらも似たような趣味の人がほとんどいない。バンド・メンバーを除けばサークルの中心からは離れ小島状態だったって。
岡田 いないですよね。
増山 いなかった。
谷口 いなかったね。
──でも、バンドはとりあえずスタートしたわけだから、ライヴハウスに出たりしたんでしょ?
竹川 しました。福生のチキンシャックがほとんどでしたね。
岡田 バンドの終わり間際で一回だけ都内のほうに出たりしたんですけど、それ以外はずっと一年くらい福生のチキンシャックで、飲んだくれの米兵相手に、ひたすらジャム・セッションしてました(笑)。あいつら、歌ものとかよりも、踊れるようなブラックっぽいのやると喜ぶんで。
──それは鍛えられるねえ。で、“F来坊”は結局解散して、そこからまた今のメンバーが集まってくるわけだけど。
岡田 そうですね。もともとジャム・バンドという形態に限界が見えていたし、ぼくの性格的にも無理だなと思っていて。もっとアレンジの練られた音楽で、なおかつ、泥臭ければいいというか、そういうポップス・バンドをやりたくなったんです。でもそれは前のバンドでは出来なかったので。だから一回それを解散させて、メンバーのなかでも気の合う、同じところを向いてる竹川と大久保と……、といいつつも、じつはベースと鍵盤も“F来坊”と一緒でした。結局ドラマーだけやめてもらって、森は生きているになったんです。
──へえ。じゃあ、そこに増村くんがドラマーで入ったのはいつごろ?
増村 たしか結局、森は生きているは、ドラム抜きで始まったんですよ。それが去年の4月くらいだっけ?
岡田 そうですね。
──2012年の4月? まだ一年経ってないんだ。
岡田 そうなんです。そのうちおもしろい正式メンバーが見つかるだろうと思ってました。そしたら、いた(笑)
──増村くんは、どういうきっかけで加入したの?
増村 ぼくは今26歳で、岡田くんや竹川くんたちよりちょっと年上なんですよ。もともとはっぴいえんどが一番好きだし、こういうバンドをやりたいと思ってたんですけど、周りにそういう人がいなかった。あと、ぼくは普段はドラマーじゃなくてパーカッショニストなんですよ。打楽器に興味があったから、いろんなバンドでサポート的にパーカッションをやってたんです。アフリカとキューバとブラジルのパーカッションはひと通り学んで。
──どこかのバンドに所属するわけではなく、セッションとかサポート中心にやっていたという感じ?
増村 そうです。で、ちょうどそういう活動にちょっと飽きがきてるころに、岡田くんの大学の先輩がぼくの大学のサークルに遊びにきてたんですよ。ぼくと岡田くんは大学違うんですけどね。その岡田くんの先輩からぼく宛にあるときメールがきたんです。「ぼくの後輩がソフト・ロックのバンドをやってるから、増村さんを紹介していいですか?」って。その人自身がすでにぼくより年下なんで、その後輩ということはもっと下。「そんな年下でソフト・ロックやってるやつなんているんだ!」って興奮して(笑)。そしたら、岡田くんから直接「ソフト・ロック好きのドラマーがいるときいてメールしました」とYoutubeを添付したメールが来て。「あ、おれや」と思ったわけです(笑)。しかも、そのYoutubeを見たら、めっちゃいい。「行く行く」って返事しました(笑)
──その時点で、森は生きているで今やっているレパートリーはもういくつか出来ていたの?
増村 そうですね。CDに入ってる曲は、もうやってましたね。
岡田 増村さんを紹介してくれたぼくの先輩というのが、ぼくの大学のサークルでも唯一、一緒の離れ小島にいたような存在だったんです。その人から「そう言えば、ソフト・ロックとはっぴいえんどが好きなドラマーがいる」と言われて、それはもう誘うしかないなと思ってました。駆け引きというより、メールをした時点で、ぼくはもうバンドに入れるつもりでしたね。
──年齢差は全然気にならなかった?
増村 岡田くんとは、ちょうど5歳違うんですよ。
岡田 いや、問題ないでしょ。ソフト・ロック好きな人に悪い人いないですよ(笑)
増村 ソフト・ロックだけ好きなわけじゃないけどね(笑)。ぼくは正直に言えば、5歳下の人とバンドをやるということに最初はためらいはありましたよ。でも、行って会ってみたらもう、それは関係ないなという感じになりましたね。逆にいえば、ぼくは大学を出て、プレイヤーとして結構ライヴをやってきてたから、ほとんど年上の人たちとやってたんですよ。でも、森は生きているの場合はぼくが年上じゃないですか。だから、絶対に彼らより上手くないといけないと思って、結構びびってましたね。だけど、初めてのセッションで楽しく出来たから、もう関係ないやって感じでしたね。年齢の意識をしてたのは会うまでです。会ったらもう全然。すぐにめっちゃ仲良くなって(笑)。
岡田 おなじ匂いしてましたからね。スタジオ来たときも。
増村 スタジオに行くまでだれも顔を知らないわけですからね。でも、スタジオ入ったら、「ああ、絶対あいつらや」ってすぐわかりましたから(笑)。初対面なのに、「いいっすね、みんな友だちいなさそうで」って言っちゃいましたから(笑)
岡田 ありましたね、そんなこと。
増村 それが6月くらいだったかな。
岡田 あと、割と大きな決め手だったのが、その日にいろいろしゃべってるうちに、増村さんが文学好きだということがわかって。ドラマー、文学……、あ! もしかしてこのひと、M本隆さん的な存在かも!(笑)
増村 違う違う(笑)。それは否定してるから。M本隆さんではないですよ(笑)
──でも、増村くんは作詞をしてるし。
増村 そうなんです。ぼくが加入して以降の新曲は、全部ぼくが歌詞を書いてるんですけどね(笑)。謎の状況になってしまって。
岡田 しめしめ、という感じですよね(笑)。ぼくも本好きだったんですが、いかんせん歌詞を書くという作業があまり得意ではなかったので、これ以上の人はないと思いました。
増村 ぼくはサポートとして参加するつもりだったんですけど、その最初のスタジオに行った次の日にホームページ見たら、もうぼくの名前がありました(笑)。「ウソやん?」って! でも、ぼくも「もうメンバーでいいよ」って思ったぐらい気持ちがよかったんで。
──話はちょっと戻るけど、竹川くんは、もともとドラマーだったって話がさっき出てたよね。でも、森は生きているではリード・シンガーになってる。どこでシンガーに変わったの?
竹川 ああ、そうですねえ……。ぼくは森は生きているの前身バンドで初めて人前で歌ったんです。
──そうなんだ?
竹川 その前から、拓郎とは「シティ・ポップじゃないけど、ポップスっぽいバンドやりたいな」って話していて、女の子をヴォーカルにいれたバンドを組んでみたんです。
──それは“F来坊”ではなく? その前?
岡田 そうです。そのバンドの話は、増村さんや谷口さんは知らないよね。
増村 きいたことない!
竹川 いろんな音楽をきいて、その上でまたポップスに戻ったような曲をやりたいね、って話を拓郎としてて。でも、その時点でも、ぼくはまだドラムだったんです。ただ、そのバンドはライヴもやってないし、理想を語りつつもやっていたのはコピー曲だったので(笑)。
──なんのコピーを?
竹川 なんだったかな……。
谷口 若いなー(笑)
岡田 高校時代から府中にあるジャコヘンってお店でも定期的にセッションをやってたんです。そこで一回、竹川が歌ったことがあったんですよ。そのとき、「こいつ、めちゃめちゃ歌うまいな。なんでこいつ歌わないの?」と思って(笑)。それで、その女の子とのバンドを自然消滅させて、新しいバンドで竹川に歌わせるようにしたんです。
──それが、森は生きているの前身“F来坊”ね。竹川くん、「ドラムやめな、歌いなよ」って言われたんだ(笑)
竹川 そうですね。もうぼくじゃないドラマーが入ってましたから(笑)
──でも、確かに素晴らしい声で、ライヴ見てもきき惚れた。変な話だけど「ご両親とかご先祖様に黒人の血が混じってる?」とかきかれない?(笑)
竹川 いやー。ていうか、それ言われたの、松永さんが初めてでしたね(笑)
岡田 みんなそう思ってたけどね(笑)
──でも、普通の生い立ちなんだ。
竹川 黒人音楽は好きでしたけどね。
──自分がこんなふうに歌えるんだって気がついたのは、どういうきっかけ?
竹川 なんでしょうね? 音楽をきいて自分の部屋で歌ってたりしたので、その影響はあるかも。
──うーん。それだけなのかなー? 自分の知らないところで、黒人の血があるんじゃないのかなー?(笑) でも、ドラマーをやっていて、そのすばらしい声を披露してこなかったのを、たまたま岡田くんがきいたという巡り合わせもよかったんだね。そのとき、竹川くんの歌を見てなかったらドラマーのままだったでしょ。
岡田 そうでしょうね。
(つづく)
竹川悟史 森は生きている