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なにかあり/とくになし

シャッグス・オウン・シング

先日公開したシャッグスのファースト・アルバム「フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド」の日本盤のために書いたライナーノーツに続き、今回はセカンド「シャッグス・オウン・シング」のときのライナーを公開する。


シャッグスに関する研究や解説はすでに世界でも深く進んでいた時代だったので、このときは、1980年にシャッグスNRBQ主宰のレッド・ルースター・レコードから再発されるにあたり、その経緯に立ち会っていた人物として、友人のトム・アルドリーノ(NRBQ)とのインタビューを中心に構成している。


こういう情報は日本の音楽雑誌ではまず語られる機会がないし、この機会にまとめておくべきだと思ったのだ。


そして、このときにまとめておいてよかったと今でも思っている。これは“ぼくたちに愛されたシャッグス”の話だけでなく、“シャッグスを愛した男”のドキュメンタリーにもなっている。シャッグスの音楽が広がった背景に、好奇や爆笑とは違う、本気の愛情がこれほどまでにあったことが、すこしでも知られることを願っている。


なお、ファースト同様に、ブログへの掲載にあたってはキャラウェイ・レコードさんからご快諾をいただきました。ありがとうございます。


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シャッグスシャッグス・オウン・シング」



 シャッグスのデビュー・アルバム『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』が、マサチューセッツ州のマイナー・レーベル、サード・ワールド・レコードからひっそりとアメリカの片隅で発売されたのが1969年。


 それをNRBQのリーダー、テリー・アダムスが、自分たちで設立したレッド・ルースター・レコードでリイシューし、世界を震撼させたのが1980年。


 その11年の間にも、姉妹グループであったシャッグスと、ウィギン一家の日々は当然のように流れ、歴史が刻まれていた。


 82年にシャッグスのセカンド・アルバムとしてレッド・ルースターからリリースされた『シャッグス・オウン・シング』は、『フィロソフィー』その後の記録であると同時に、シャッグス及びウィギン一家の歳時記のような性格を帯びている。


 今回、『シャッグス・オウン・シング』が、オリジナルのフォーマットとして世界初のリイシューとなるにあたり、テリーとともにシャッグスの再発見に大いに興奮し、99年のシャッグス再結成の折には、ドラマー、ヘレンの代役として一緒にステージに立った、NRBQのトム・アルドリーノに話を聞くことにした。


 ことの当事者以外には知り得ない貴重なエピソードと、シャッグスへのかけがえのない愛情を、生の言葉でみなさんにも体感していただけたらと思う。


──最初にシャッグスを聴いたのはいつだった?


トム NRBQのツアー中で、車の中だった。カセットで聴いたんだ。ファースト『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』をリイシューしたのが80年なんだから、当然それよりは前だね。キース・スプリングが持ってたんだよ。


──キースは、当時NRBQのツアーでサックスを吹いてた人だね。


トム キースが、マサチューセッツアマーストという街にあったレコード屋で働いてたときの話。ひょっとして、働いてたのは彼の知り合いで、キースはその店にしょっちゅう入り浸ってただけかもしれないけど、まあいいか。ある日、男が店に入ってきて「おい、今まで聴いたこともないくらいヒドいレコード聴いてみたいか?」って言ったんだ。そして、そのレコードを「やるよ」って、タダで置いていった。


──タダで!


トム キースはそれを聴いて、ぶっとんだ。「おれがもらうよ」と手を挙げて、そのレコードは彼のものになったんだ。そして、それをカセットにコピーしまくった。ぼくらはその一本を車で聴いたわけ。


──どう思った?


トム 「ワーオ」としか言いようがない。信じられない! そうやって盛り上がっているうちに、テリー・アダムスが、これをレッド・ルースターでリイシュー出来ないかと思い始めた。


──その時点で、シャッグスに関する情報は何かあったの?


トム 裏ジャケに書いてある解説とわずかなクレジットがすべてだった。でも、そこには住所が書いてあった。ニュー・ハンプシャーフリーモント。あるとき、ぼくらがその近くでライヴすることになった。ぼくとテリーは早めに現地に着いて、空き時間を使ってフレモントまで行ってみたんだ。行けば何かわかるんじゃないかと思ってね。


──実はぼくも、何年か前にレコードの買付の途中で回り道して行ったことがあるんだ。森の中の、ひなびた街だったけど。道一本だけしかないような。


トム そのときタウンホールを見たかい? シャッグスが演奏をしてた場所で、今もそのまま残ってる。ぼくらは、まず郵便局に行った。そしたら、みんなシャッグスのことを覚えてたんだ! 「ああ! あの娘たちなら、毎週、タウンホールで演奏していたよ!」


──街の人気者だったんだ!


トム そしたら、局にいた誰かが、ドットが結婚したって教えてくれた。名字も旦那さんのに変わったってね。今度はぼくらは電話帳をめくった。その名字の番号はふたつぐらいだったから、とにかく間違ってもいいから電話をかけてみた。そしたら、最初の電話に出たのが彼女だったんだ!


──ドット!


トム その通り。そうやってぼくらは彼女までたどり着いた。


──ドットに何て言ったの?


トム 電話をしたのはテリーで、確か「あなたはシャッグス?」ってきいたと思う。


──返事は?


トム 「ええ、あれはわたし」。


──うわー。


トム まず、ぼくたちはNRBQってバンドをやっていると自己紹介して、シャッグスをリイシューしたいって言った。でも、そんなことよりも、ぼくたちは彼女と話がしたかった。きいてみたいことは山ほどさ。それで、ぼくとテリーは彼女と夕食に出かけることになったんだ。街にあるシルヴァーフォックスっていうレストランで待ち合わせをした。彼女は旦那さんと一緒にやってきた。


──ドットだとすぐにわかった?


トム ファーストから10年近く経ってたから、ジャケットの感じ(右側に立っているのがドット)とは随分変わってたけどね。赤い車に乗ってくるって教えられてたから、それでわかったんだ。ぼくたちは早速、リイシューの話を切り出した。そしたら、彼女はすごく興味津々だった。そしてシャッグスのアルバムを一枚ずつくれた。それまでぼくたちはカセットのコピーしか持ってなかったから、感激したよ。「サインをください」って言ったら、彼女は「今の名字で書くべきかしら? それとも“ドット・ウィギン”の方がいいかしら?」って旦那さんに訊いていた。彼が「両方書けばいいんだ」って言ったから、ぼくのアルバムには彼女の名字がふたつ並べて書いてあるんだ(笑)。彼女は、その晩のぼくらのライヴをそのまま見に来たんじゃなかったかな。


──旦那さんは彼女がシャッグスだったって知っていたのかな?


トム たぶんね。そんな感じだった。それにしてもあれは特別な一日だった。そこからリイシューが実現するまでは、テリーの仕事さ。


──マスター・テープは残っていた?


トム いや。ファーストのテープはそのときは無かった。だから“盤起こし”をした。ところが、のちになってテープが発見されたんだ。今のCDはそこからマスタリングし直したテイクを使っている。そのときに「ザット・リトル・スポーツ・カー」にベースが入った別ヴァージョン(ラウンダーからのCD『The Shaggs』に収録)も発見されてね。末っ子のレイチェルが弾いていたんだ。確かそのときに、エンジニアがシャッグスの演奏にプロのドラマーの音をオーヴァーダブしようとしたテープも出て来た。でも、途中までトライして「もうダメだ!」ってあきらめる声が入ってた。そのテープは公表されてないけど(笑)。



──そのときに、シャッグスのセカンド・アルバムの元になったテープも発見されたということ?


トム それは同じ頃だったかな? もっと前かもしれない。ドットが突然思い出したんだよ。「わたしたち、もっと他にもレコーディングしているのよ」って。彼女が持ってきたテープの大半が『シャッグス・オウン・シング』に収録された。他には「ユーアー・サムシング・スペシャル・トゥ・ミー」の自宅で録ったデモ・テイクとか。「マイ・キューティー」も、もともとそのデモ・テープに入っていたヴァージョンで、雰囲気がいいんでそれをそのままアルバムに使ったんだ。スタジオで録ったのと、自宅で録ったのでは、音質が全然違うからアルバムを聴けばわかると思うよ。


──他にもまだ発表されていないシャッグスのオリジナル曲ってあるの?


トム もう一曲あるよ。「アイ・キャント・シンク・オブ・エニシング・バット・ユー」っていう曲。それはどこにも出ていない。


──そうなんだ! 残念! セカンド『シャッグス・オウン・シング』を出そうっていうのは、テリーのアイデア? それとも、彼女たちの意向だったの?


トム テープがいっぱい出てきたからね。テリーの車に乗せてもらって、出て来た未発表テープを聴き続けた。まるで“シャッグス・ヘヴン”にいるみたいだったよ(笑)。ぼくらふたりで話し合って、これを世に出すべきだと確信したんだ。


──ファースト・アルバムは『ローリング・ストーン』誌で“カムバック・オブ・ザ・イヤー”に選ばれたりして、すごく評判になったよね。セカンドに対する反応はどんな感じだった?


トム 覚えてないなあ。ファースト・アルバムは、聴いた瞬間「すごい」と思えるものだった。セカンドは、すごいけど、また違ったすごさなんだ。


──ぼくの意見だけど、ファースト・アルバムが「すごいアルバム」だとしたら、セカンドは「かわいいアルバム」だと思う。


トム その通りだよ。もっとスウィートだ。彼女たちの演奏技術が上達したこともあるけど、もっと愛らしくなっているんだ。カヴァー・ソングが増えているのも特徴だね。


──いつ頃レコーディングされたものなんだろう?


トム 正確なことはわからないけど、70年代の初めだよね。スタジオ入りしたのは70年か71年だと思う。


──ライヴの曲「ギミ・ダット・ディング」が入ってるでしょ。あれはそのタウンホールでのライヴだよね? あれがあるってことは、他にもライヴのテープがあるのかなって思うんだけど。


トム タウンホールでのライヴをお父さんのオースティンがレコーディングしてたんだよ。あのテープを完全版で出せたらすごいだろうね。あれを聴くと、シャッグスが、すごくたくさんの曲を演奏出来たことがわかる。ガイ・ロンバルドの「エンジョイ・ユアセルフ」や「ビヤ樽ポルカ」なんかも演奏してたな。アルバムに入ったカーペンターズの「イエスタデイ・ワンスモア」や「ホイールズ」「ペーパー・ローゼス」なんかも、ライヴでやってたレパートリーなんだ。


──「エンジョイ・ユアセルフ」はスペシャルズもカヴァーしているよね。


トム そうだね! ベルト・ケンプフェルトの「星空のブルース」だってやってた。何でもやってたんだよ。


──あの「ギミ・ダット・ディング」をきくと、タウンホールはめちゃくちゃな盛り上がりだよね。どうして子供たちがあんなにギャーギャー言ってたんだろう?


トム それが普通だったんだよ。娯楽のない街の週末のパーティーだもの。「ビヤ樽ポルカ」なんかでは、大人も子供も、みんな輪になって踊ってたそうだよ。


──シャッグスが活動を停止したのは……。


トム 70年代の中頃。お父さんのオースティンが亡くなったときだよ。彼がいなければ、シャッグスは存在しえなかったから。彼が娘たちの才能を信じて、シャッグスを売り出した。すごいひとだよ。


──ブライアン・ウィルソンのお父さんだったマーリーみたいな怖いひとじゃなかったんだよね?


トム そう思うよ(笑)。そんな話は聞いたことない。良いお父さんだったと思うし、シャッグスという音楽グループをこの世に送り出してくれたことを感謝しなくちゃいけない。お母さんのアニーも、とても素敵なひとだった。家族みんながシャッグスを愛していたんだ。


──難しい質問かもしれないけど、『シャッグス・オウン・シング』の中から、トムの一番好きな曲を選ぶこと出来る?


トム 「マイ・キューティー」。大好きさ。コードもいいし、歌詞も大好き。サウンドも、いまだにミステリアス。でも、「シャッグス・オウン・シング」も捨てがたいな! お父さんとお兄さんがラップしていて、家族がみんな揃ってる。シャッグスのすべてが好きだからね。


──それ以来、ドットとは長い付き合いが続いているんだよね。


トム 今も仲良しだよ。ぼくらが彼女の住んでる近所でプレイするときは、いつでも見にきてくれた。お母さんも一緒にね。彼女は今でも音楽が大好きなのさ。


──ぼくが99年に会って話をしたときも、ドットはとても頭が切れる感じだった。


トム 彼女はかしこいよ。自分が何をやっているのか、自分でよくわかっているひとなんだ。ぼくらは彼女に「また作曲を始めたら」って今でも言い続けてる。みんなはドットのすごさをちゃんとわかってない。シャッグスの音楽は頭のおかしなひとの起こした事故じゃない。あれは作曲された音楽なんだよ。実際、彼女は譜面を書いてたんだから。


──確かにぼくも、99年のシャッグス再結成のステージで、彼女たちが譜面を用意してるのを見た。


トム テリーが、ドットに「『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』の楽譜が欲しいんだけど」ってお願いしたら、彼女はそれをくれたんだよ。そしてわかったのは、あの曲は譜面に書かれた通りに演奏されていたってこと。確かに、ヘレンのドラムは独特だったけどね。でも、あれは曲に合ったプレイだったんだよ。シャッグスの音楽はいつだってリアルでグレートだ。


──再結成したときに歌声も演奏も変わってなかったのも驚きだった。


トム あのライヴの一週間前に練習を始めたらしいけどね(笑)。あのときはヘレンが体調が悪くてニューヨークまで来れなかったから、ぼくが代役を務めることになった! ヘレンのドラムをすごく見てみたかったのに、何とその替わりをやらなくちゃいけなくなった。それはぼくにとって、興奮以上のものだ。世界で一番難しい演奏だと思った。でも、ドットとベティはやさしかったよ。「あら、ただ叩けばいいのよ」って言ってくれたんだ。「好きに叩いてくれたら、わたしたちもノリノリだから」って(笑)。


──ヘレンは一昨年に亡くなったんだってきいた。


トム 残念だよ。


──いつかシャッグスがサード・アルバムを作ることになったら、トムがドラマーになるんじゃない?


トム そんなことになったら大変だ。“うれし死に”しちゃう。でも、どうだろう? その可能性はあまり無いんじゃないかな。


──ドットのソロはどう? “ドット・ウィギン”の名前でアルバムを出す。


トム (笑)。それはいいかもね。彼女がもう一度やる気を出せばいいんだろうけど。


──来年、シャッグスはデビュー40周年だし。


トム そうだね。ドットは今も音楽が大好きだからね。そうそう、彼女はハーマンズ・ハーミッツのピーター・ヌーンの大ファンでね、彼がコンサートで近所に来ると必ず駆けつける。今ではピーターも彼女のことを知っているんだ。彼女がシャッグスのメンバーだったことも知っている。あるときはステージの上から彼女を見つけて「ハイ、ドット! みなさん、今日はシャッグスのドット・ウィギンが客席にいらしてます」って言ってくれたんだって。子供の頃に好きだったアイドルが、今は自分をミュージシャンとして認めてくれている。それは誰にとっても、すごく素敵なことだと思うよ。


(2008年4月18日収録)


 インタビューのあと、トムから一枚のDVDが送られてきた。ニュー・ハンプシャー州のローカル・ニュースで放送されたシャッグスのちょっとした特集が収められていた。10分程度にまとめられたそのドキュメンタリーで、ドット、ベティ、レイチェルの3人が現在から過去を振り返りながらインタビューに答えている。ヘレンの死について触れられているので、おそらく2007年頃に放映されたものだろう。


 その中で、シャッグスの40周年が来年(注:2009年)に迫っていることを問われたドットは、苦笑しながらこう答えていた。


 「そうね。たぶんもう再結成はしない。でも“決して無い”とは言わないわよ」


2008年5月
松永良平


(当時、構成上の都合で割愛した部分の復活と修正を一部行ないました。また、字の間違いや言い回しなどを最低限修正しました)


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しかし、このとき書いてたことが結果的に実現したんだなー。
うれしい。
素直にうれしい。