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なにかあり/とくになし

Anyone Who Had A Heart

バート・バカラック自伝」(ロバート・グリーンフィールド共著/奥田祐士訳)を読んだ。


バート・バカラック
子どものころ
母親のアイデアで「ハッピー」と呼ばれていた。


しかし
実際のバート少年は
学校にも宗教にも自分が教わっている音楽のレッスンにもなじめない
ハッピーからはほど遠い少年だった。


あまりハッピーではないハッピー少年。
人生のはじまりでさらりと語られるそんなエピソードに
心をつかまれる。


おおくの音楽家の伝記がそうであるように
名曲の舞台裏や
数多く登場する20世紀の伝説的人物の素顔には
当然ながらどきどきする。


こういう類いの本は
その歴史や背景を知っていなかったら楽しみづらい部分もあるものだが
語り口が気持ち良くウィットが利いているので
読みやすさも保証する。


でも、なんだろう。


バカラックが85年の人生を回顧するこの一冊で
本当に伝えたかったことは
出会ってきたひとびととの日々の描写や、
自分が生み出したマジカルな音楽の種明かしではないような気がする。


二番目の妻であるアンジー・ディッキンソンとのあいだに
未熟児として生まれた娘ニッキー。
おさないころからエキセントリックというには過激すぎる性格で
両親の手を焼いた彼女は
後年、アスペルガー症候群であったと診断される。


病気のせいでもあったとはいえ
はじめての子どもであったニッキーと
彼は愛情ある関係をまったく築けない。


その苦悩は本書の後半でも繰り返し語られる。
そして
ニッキーが亡くなるまで
それが本質的に解決されることはなかった。


またバカラック
彼女のために心を砕いて時間を設けることはあっても
「彼女の存在のおかげで自分の音楽がこう変わった」みたいな
ありきたりな救済めいた言葉は間違っても口にしない。


本当に断絶していたのだ。


そしてその断絶は
楽家バカラック自身が知りすぎている
自分自身の本質の痛烈な投影でもあると思える。


共作者である作詞家とは一定以上距離を置いた関係を望んだ。
後年、三番目の妻キャロル・ベイヤー・セイガーとコンビを組んだときは
彼女のアドバイスが的確であり年老いた自分には必要と受け入れたものの
本心ではそれを「譲歩」と感じていた。
恋愛関係や結婚についても
その距離感の必要性は常についてまわっている。


自分以外を愛せず
だれかと心からつながれるなんて思っていないからこそ
(思ってはいても現実には到底受け入れられないからこそ)
そのロマンチックで傲慢で独創的な音楽は生まれてくるのだと
この本は伝える。


変拍子や不思議なコード感の体得だけで
すばらしい音楽がにょきにょきと生まれるだなんて
そんな楽な話はありえないのだ。


邦訳本の副題には
(おそらく版元の意向で)
バカラック作の名曲から「ザ・ルック・オブ・ラヴ」が添えられている。
これだと本書は
彼の恋愛遍歴の華やかさを表しているように思えるだろう。


じつは
原書での副題は
「Anyone Who Had A Heart」だ。


これは仮定形のフレーズの一部で
意味は「もし思いやりのあるひとがいたら」。
意訳すれば「あなたが思いやりのあるひとだったらよかったのに」となる。


このほうが
本書の真価が読み手にはもっと、ぐっとくる。


それでも
このご時世にこういう本が
きちんとした邦訳で出たことには感謝の念しかない。