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なにかあり/とくになし

「人間」の音しかしない。吉田ヨウヘイgroupインタビュー


7月27日土曜日、夜11時。苗場で開催されているFUJI ROCK FESTIVALの場外ステージである〈Rookie A Go-Go〉に、吉田ヨウヘイgroupは一番手で出演した。


グリーンステージではアーケイド・ファイア、ホワイト・ステージではマニック・ストリート・プリーチャーズがまだ演奏を続けている時間帯でのスタートは、ある意味、分が悪い。


しかし、この夜、吉田ヨウヘイgroupを見るために決して少なくない人数が会場を訪れた。この晴れ舞台を見る、ただそれだけのために車で夜道を飛ばしてやってきた者もいた。


ステージに現れた吉田ヨウヘイと吉田ヨウヘイgroup。演奏を始めるにあたって、たいていのバンドは照れながら「こんばんは、○○○○○です」とかいうのだろう。


だが、吉田ヨウヘイは、ステージ中央に立ち、毅然とした態度で、こういいきった。



   アーケイド・ファイアマニック・ストリート・プリーチャーズを振り切ってここに来てくれた人
   疲れてるのに宿に帰らずに残ってくれた人
   おれたちを見るためだけに、チケットもないのに来てくれた人も結構いるらしい
   いろいろな人がいると思うけど、来てくれたみんなに感謝します。
   どうもありがとう。吉田ヨウヘイgroupです。



まるで締めのあいさつのように異例の、決意表明みたいなこの最初のMCを見ることができて本当によかった。


自分の運命のように、見ている者たちを音楽にのめりこませるなにかがあった。


これから掲載するインタビューは、その〈Rookie A Go-Go〉でのライヴから一夜明けた午前中に、前夜の熱が醒めないうちに収録した。


出席したのは、リーダーの吉田ヨウヘイ、ギタリストであり吉田くんともっとも長い付き合いである西田修大のふたり。


本来なら『Smart Citizen』レコ発ツアーの最終日であった東京・渋谷クラブクアトロでのワンマン・ライヴ前にアップする予定だったが、ぼくの怠慢からワンマン終了後のアップとなってしまったことを先にお詫びする。


しかし、ふたりのインタビューは吉田ヨウヘイgroupの本質と熱量を生々しく伝えているし、ワンマンでひと区切りではなく、このテンションでバンドが進み続けているということを言葉にしておく意味があると思い、本人たち承諾を得て、公開することにした。



 『FROM NOW ON』(2013)



 『Smart Citizen』(2014)


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──昨日の〈Rookie A Go-Go〉、演奏もすばらしかったですけど、まず聞きたいのは、吉田くんが最初にやったMCのことです。


吉田ヨウヘイ  ありがとうございます(笑)。一週間前につくばの野外フェスに出たんですけど、演奏はわりとよくできたのに盛り上げ切れない感じがあったんです。そのときに、「おれはすごい」みたいな、ちょっと一段上の感覚を自分でまとわないと、普段出ているライヴハウスと違う客層が相手になったときに乗り越えられないかなと、かなり真剣に思ったんですね。他のバンドは手を振ったり、手拍子でお客さんをまとめたりしてすごく盛り上がっていて、「自分たちもそういうことをやったほうがいいのかな」と思ったり、でも「うちのバンドはそうじゃないな」とも思ったり、「どうしたらいいだろう?」ってずっと考えてました。


──それがあのMCに出た。


吉田  「もっと凄みを出せるようにしていかないといけないんじゃないかな」と考えてやってみたという感じなんです。


──でも、演奏を始める前に自分たちを追い込むようなMCをして、「すべったら怖い」という部分もあるでしょう?


吉田  「おれがしゃべると盛り上がるぞ」というのを信じ切れないといけないんで、本当にきついですよね。しかも、それが今までにできたことがあるわけじゃないんで(笑)。でも「この場面で一段上がらないと、バンドを引っ張っていけないかな」と思って「やるぞ」と決意した感じですね。


──メンバーはしゃべる内容は知ってたんですか?


吉田  いってないです。最初に何か話すということだけ伝えてました。いおうと思うことは三日前くらいには固まってたんです。でも、試しにしゃべってみたらぜんぜんダメだったんで、家でちょっと練習してました(笑)


──選手宣誓みたいな(笑)


吉田  この件については、先週のフェスに出たあとで西田くんと2人で結構話していたんです。「演奏力とか楽曲とかを重視して、カリスマ性というか、フロントとしての持ってく力を今までは意識的に考えないようにしてたけど、そういうものをちゃんとつけるようにしないとまずいんじゃないか」という話をおれから切り出して。西田くんもそう思ってるだろうなっていうのがなんとなく分かってたし、その話をおれからしたときはちょっとほっとしてたのが分かりました(笑)。フェスとか、普段と違う環境では、フロントとしての魅力とかそういう見たくなる要素みたいなのがまず最初にあって、初めて「演奏を聞かせる」っていう話になるんじゃないかって。それを真剣に考えてきたのが昨日はいい方向にいったと思います。


西田  ロック・フェスティヴァルってみんな音楽を聴きにきてるんですけど、いっぽうで本当にフェスというもの自体を楽しみに来てる。だから、その人たちに対して自分たちがどういうものを出すのか、どう楽しませるのかとなったときに、やっぱり考えるべき部分があったというか。


吉田  わかってはいたんですけどね。最近は好意的に見てくれる人も多かったから、ライヴハウスでは一曲目からすごく盛り上がる。でも、フェスでは人が多くて、みんな盛り上がる気でいるのに、うまく伝わらなかった。その経験は大きかったですね。


──FUJI ROCKに向けてよい弾みになるかと思っていたら、逆に課題を突き付けられたという。


吉田  そうですね。


──でも、その苦い薬はバンドにとってはよかったんじゃないですか?


吉田  昨日だけじゃなく、今後もうまくいくなら「よかった」といえますけどね(笑)


──昨日はよかったじゃないですか。あえてアーケイド・ファイアを振り切って見に来た人たちもいたし、〈Rokkie A GoGo〉というステージの可能性に対して前向きなお客さんもいたし。


吉田  そうですね。それは本当にありがたかったです。


──逆に一番手でよかったんじゃないかと。


吉田  結構音作りには苦労して、ハウったりしてたときは「最初のMC強気で行けんのかな」って焦ったんですけどね。ベストな状態で勝負できるときに初めて思ってることを堂々といえるという気持ちがあったんで。結果、音がちゃんと作れたから、よかったです。


──本当にあのMCがこちらにもバンドにも響いた気がします。吉田ヨウヘイgroupは友だち付き合いから始まってるバンドじゃないから、ばらばらな人間がおなじ舞台にいる関係性や必然性を見る側に提示するのが難しかったりするでしょう? そういうときに、ああいう統率力のある言葉が響くんですよね。最近、『ホドロフスキーのDUNE』という映画を見たときに、映画監督のホドロフスキーがスタッフや役者を集めるにあたって、彼らを“戦士”と呼ぶんですよ。それに近い感覚もあるんですけど、それはちょっと大げさすぎますかね?



吉田  でも、本当にそれぐらいの気持ちには思ってますね。今は8人均等に音が出ててるから、だれか突出した他の人に頼るとかじゃなくて、みんなすごくないと成り立たないだろうというのはイメージとしてすごくあるんです。


──西田くんは、吉田ヨウヘイgroupのなかで唯一、吉田くんと大学の先輩後輩という縁があったわけですが、最初から吉田くんの考え方や理想は理解していたんですか?


西田  吉田ヨウヘイgroupに関しては、最初から吉田さんのグループだから、そこが起点というのはあるんですよ。むしろ、その前に一緒に別のバンドをやっていた時期が長いんです。吉田さんとは異常なほど話をしたし、けんかもしました。もともとは吉田さんに引っ張ってもらって自分の音楽的な考えができてきたんですけど、お互いの考え方が衝突したこともあります。でも、今の感覚としては話のなかで共通の考えみたいなものができてるんですよ。自分たちのなかで答えとして設定していいようなものができてきて、それが共有できてる。だから考えを「合わるせ」「合わせない」っていうレベルじゃなくなったなというのはありますね。


──一緒のバンド歴はどれくらいなんですか?


吉田  5年?


西田  バンドを一緒にやり始めて5年くらいですね。


吉田  知り合ってからは8、9年かな。


西田  ぼくが18歳のときですからね。


──おなじサークル?


吉田  そうです。ぼくが大学院2年目の年に、西田くんが大学1年で入ってきたんです。歳は離れてたんですけどなんとなく仲良くなって、家に泊まりに行ったりしてたんです。


──そんなに昔から知り合いだったということは、お互いの考え方の変化も間近に見てきたわけですね。


西田  そうですね。吉田さんは本当に変わったと思います。


吉田  西田くんが一番それを見てますね。おれのバンド・キャリアはほぼ全部知ってると思います。彼は大学を出てから一時期スタジオ・ミュージシャン的な仕事もしたし、認められるというか、他人にほめられることが多くて。おれは逆にぜんぜんダメな時期だったんです。それが3、4年くらい前かな、めちゃくちゃ西田くんに怒られたんですよ。でも、それがきっかけで「本当に自分が音楽をやらなきゃな」と思えたというか、「音楽で勝負する」という決意ができたんですよ。


──西田くんが吉田くんを叱った?


吉田  そうです。「自分がやってることが一番いいとか、自分がステージに出たらすごくいいとか本気で思ってるのか?」ってすげえいわれました。でも、本当にその通りだったんです。以前は「自分がすごくなるわけない」って思いながらやってたんです。


西田  本当にそうだったよね。


吉田  だから、西田くんにプレッシャーをかけられたことですごく自分も焦れていて。西田くんがぼくになにかを感じて、周りに結構反対されたり評価されないなかで「一緒にやりたい」といってくれてるのにはっきりしないから、「なんでそんなに煮え切らないんだ」って怒られて。


西田  吉田さんもすごく変わったと思うんですけど、おれもめちゃくちゃ変わったはず。


吉田  そうだね。


西田  ですよね、たぶん。


吉田  すごく寄りました。


西田  考え方がすごく近寄って。一緒に考え方が変わっていった結果、今があるという感じで。


吉田  「おまえダメだ」みたいなことをお互い本当にいいあってたから(笑)


西田  そうですよね(笑)


吉田  もはやお互いにいえないことがないくらい、弱いところとかすごくぶつけあったし。


──年齢差が逆によく作用したのかもしれないですね。


吉田  そうですね。西田くんとバンドを始めたのは、彼が大学卒業するちょっと前くらいなんですよ。最初はすごく人間的には遠いやつだと思ってたんですけど、周りにいた音楽サークルの同期とか先輩とか後輩は、卒業して就職したらみんなどんどん変わっていくのに、彼は「どうしても音楽やるんだ」って感じで続けてるじゃないですか。結局おなじ状況でおなじ熱さで一番近い存在は彼しかないんだと浮き彫りになってきて。なんかすげえ遠いと思ってたけど一番近いんじゃないかと感じざるをえなかった(笑)。知り合いの結婚式に行ったら、お互いにひとりではぐれるし、仲良くするしかないんじゃないかと思う機会が多かったんですよ(笑)


──(笑)


西田  ぼくにとってはもともと先輩で、本当にかわいがってもらってました。吉田さんは、「今どういう考え方してんだ?」とか「今どういうふうにしたいんだ?」みたいなことをすごく聞きたいって常に思える存在なんです。


──おたがいに言葉をぶつけあってきたという関係は、吉田ヨウヘイgroupの音を聞いてもわかる気がするんですよ。技術の達者な人たちによる反射神経的なセッションじゃない、言葉や気持ちのやりとりで積み重ねられたような感覚が音楽にも出てる。他のメンバーに対してもそうだけど、自分対自分という関係でそれぞれ向かい合ってるというか。


吉田  うれしいですね、それは。結局、歌詞にも、メンバーとのコミュニケーションとかで思うことが出てるのかなと思うんです。


──なんでこのサウンドでこの日本語詞なのかって考えると、バンドの成り立ちやサウンドの関係性とも密接な関係がある気がするんです。


西田  吉田ヨウヘイgroupの歌詞とか、メロディの感じとか、冷静に考えるとすごくバランスとして「いびつ」なはずなんですよ。でもそれは、おれと吉田さんの考え方が寄っていったとか、いろんなメンバーに出会って彼らとも考え方を寄せていった結果というか。極端な話、フルートとファゴットが入ってるのもいい意味での「なりゆき」だと思ってるし、いろんなことを話したり共有したりしながら、そのときそのときで自分たちでも気づかないかたちでやり方を変えてきてるんじゃないですかね。最初から今の形態は思いつかなかったかもしれないけど、今はそれが本当に必然だと思える不思議なバランスになっていて。


──いい意味で「なりゆき」だし、いい意味で「いびつ」なんですよ。


吉田  そうですね。


──ストレートで単純なものには見えないかもしれないけど、成り立ちにはわけがある。でも、その「わけ」の中身を聴き手がみんな正しく理解してなくちゃいけないということでもないですよね。内容はわからなくても、その「わけ」があるからこの音楽が成立してるってことの価値を聴き手が理解できるというか。


吉田  たしかに、すごく正確にわかってほしいといかぜんぜんないですからね。聞いたままで「いい」と思ってもらえたらいい。


──「いびつ」だからこそ、ジャンルじゃなく人間に寄った音楽に思えるんですよね。


吉田  ジャンルの話ってしたことないもんね。


西田  ちょっと最近思うのは、バンドって、リーダーがいて、「こういうのをやるから、こういうふうにやってくれ」っていうトップダウンの形態がありますよね。吉田ヨウヘイgroupの場合は、吉田さんもそうだったし、おれがコミットするようになってそれがふたりになったりとか。でも、そのいっぽうで、最近はメンバーの影響もめちゃくちゃ受けてますよね。音楽性とかじゃなく、その人の楽器とか、女の子メンバーの性格だったりとか。そういう意味では、めちゃくちゃバンドっぽいなと思います。だから、だれでもよくてこのバランスができてるって感じじゃない。


──この展開は予想してなかったですか?


吉田  去年、フルートの(池田)若菜ちゃんやファゴットの(内藤)彩ちゃんをバンドに誘った時点でも、自分に「自信がある」という感じではまだなかったですね。たとえば「ここはこう吹いてくれればいいんだ」って今ほどにはぜんぜん強く指示できなかったんです。若菜ちゃんでいえば彼女は音大生で「音大のキャリアをどう活かそうか」と思いながら、「ちょっと迷ってるからロックやってもいいか」みたいなところがあった。その彼女に対して「ロックも凄くおもしろいしやりがいがある」って納得できるように説明する力がおれになかったんです。それは今もあんまりないんだけど(笑)。それでいろいろ考えた結果、パーソナリティも含めてこっちから彼女を好きになるというか、彼女の側にもバンドに徐々に慣れてもらって好きになってもらうという方法しかたぶんなくて。結果的にトップダウン的な方法はしてるけど、かなり相手をわかろうとしてる感じにはなってるかなとは思います。


西田  たとえば吉田さんが雛形だけを提示してメンバーに自由に裁量を与えて「みんな勝手にアレンジしてくれ」ってやってる、世間的にいう「バンドっぽい」話かというと、それよりはずっとぜんぜん作り込んでるし、細かい設計図まできちんと提示してるくらいまではトップダウン的なんですよ。なんですけど、そのいっぽうで、その理念や設計図には完全に従わなければいけないというわけではないというパターンの曲も結構あったと思うんです。だから、今のあり方っていうのはかなり特殊ですよね。ある意味ではすごくバンドっぽくもあるし、ある意味では吉田さんのトップダウンもある。かなり両方エッジーなバランスでできてると思います。


吉田  若菜ちゃんだったら、アレンジにも興味はあるけど、演奏に凄くやりがいがあれば、アレンジにはそんなにかかわらなかったとしても、やる気を持って活動できるんだってことがやってるうちにわかってきたり。そしたらそれがこっちにもフィードバックされるので、むしろおれが最初から作り込んで渡すことに躊躇しなくなったり、逆にこの曲だったら得意そうだから若菜ちゃんにアレンジしてみてほしいと投げてみるとか、いろいろ線引きができてきた。トップダウンのやりかたが人によって変わるというのはありますね。



──話をふたりの関係に戻すと、もともとやっていたバンドから吉田ヨウヘイgroupへの変遷は、どういう流れだったんですか?
吉田 おととしの4月におれが今につながる活動を始めたときは、とりあえず三軒茶屋のHEAVEN'S DOORの人しか知り合いがいなくて、そこで毎月弾き語りみたいな感じでやってました。


西田  時系列でいうと、その年の2月か3月にぼくと一緒にやっていたバンドを吉田さんがやめたんです。でも、その前くらいから吉田さんは弾き語りを始めてたんですよ。前から、おれは吉田さんに「弾き語りしてみたらいいんじゃないか」とはいっていて。


吉田  たぶん、それまでのバンドじゃなくて新しいバンドをやろうと思ったきっかけは、西田くんが「どうしても弾き語りとかやって強くなったほうがいい」っていいだしたからなんです。3年ぐらい前かな。六本木のバーみたいなところで弾き語りのイベントを西田くんが企画して、おれが出るという不思議な日があったんですよ(笑)


──ちなみに、その「前にやっていたバンド」は、どんなバンドだったんですか?


西田  吉田さんと女の子とツイン・ヴォーカルだったんですけど、曲は吉田さんが書いてるし、リーダーも吉田さんでした。でも、吉田さんが歌うのか、その子が歌うのかという問題とかもいろいろありました。


吉田  そうだね。


西田  「評価されたい」といつも思ってました。でも、O-Nestとかに出させてもらうようになっても「動員が10人を超える日はない」みたいな状態で、すごく煮詰まっていたんです。


吉田  おれの歌やフロントとしての雰囲気とかが周りに評価されてなくて(笑)。「スター性がないから、女の子のほうに歌わせたほうがいい」とか、おれがいないところでメンバーがいわれたりとかね。でも、その助言は適当にいってるわけじゃなくて、本当におれやメンバーに親身になっていってくれてることでもあったので、葛藤もありました。


西田  おれも当時は本当に悩んだ気がするんです。


吉田  そうだね。


西田  それで、吉田さんがバンドをやめてからやっていたソロで、おととしの夏ぐらいにおれと一回一緒にやったんですよ。そのときが吉田ヨウヘイgroupの雛形みたいな感じになったと思うんですけど。でも、あのころはまだおれはその……。


吉田  西田くんは、おれがリーダーだったのに辞めたバンドを率いてたんですよ。彼はそのバンドをうまく活かさないといけないと思ってたから、おれともう一回やるにしてもそっちを適当にやるわけにはいかないと思ってたんです。だから、吉田ヨウヘイgroupも軌道に乗せづらかった。そういう時期が、去年の3月にファースト・アルバム『FROM NOW ON』が出るくらいまでは続きましたね。



──そうなんですか! あの時点ではたしかにメンバーも今とは違うけど、バンド自体もそんなに安定してなかったとは思ってませんでした。


吉田  安定したのは去年の4月くらいですね。西田くんがこっちをがっつりやると決めたんです。


西田  そうですね。結局「吉田さんとやるのはやっぱり楽しいな」という結論にどこかで達したんです(笑)。でも、最初に「ボーダーレス」(『FROM NOW ON』収録)のギターを弾いてくれないかっていわれたとき、やりたさが半分で、やりたくなさも半分か、もしかしたらやりたくなさが7分くらいの印象があって。というのは、吉田さんへの対抗意識もすごく強くなってたし、「吉田さんと一緒にやる」ってことをおれはバンドのメンバーにどういえばいいのかって気持ちもあったし。吉田さんと一緒にやるのは楽しいけど、それを一義的にしてしまったらおれのスタンスとか取る道が本当に意味わかんなくなって、人に説明できなくなるようなやつになると思ってたんですよね。


──たしかに思い返せば、最初に吉田ヨウヘイgroupを見たのは去年のO-Nestだったと思うけど、まだ危なっかしかった。


吉田  たぶん、その最初のときは西田くんがしっかりやるかどうか決めようとしてるぐらいのころでしたね。


──ギターも今ほどサウンドにがっちり絡む感じではなかったし。


西田  今はこうやってこのバンドで弾くギターがおれの本質だと思えてるし、すげえうれしい瞬間がたくさんあるんですけど、当時はまだ吉田ヨウヘイgroupでギター弾くことにプライド持ったり、自負心持ったりしたら本当にダメだと思ってたんです(笑)。吉田さんととことん話すことで、それに折り合いが付けられたのがようやく去年の春で。


吉田  去年の夏に前のバンドを西田くんが休止にしたんですよ。やっぱり、おととしの夏に一緒にやって、おれの曲も西田くんがギターを弾かないと突き抜けないし、西田くんと一緒にやったらもっと可能性があると思ったんです。道義的なところよりも、もっと音楽的なところでそれを感じました。


西田  「もうしのごのいわずにやる」と思ったんですよ。そのバンドはすごく仲良くなってたし、みんなが本当にがんばってくれてるのもよくわかってました。信頼関係があったし、感謝してます。でも、続けていくなかで理想の音楽を求めることが徐々に難しくなっていって、一緒にやることのほうが大事みたいな話になっていってるところにみんな気づき始めて、それは出発点とはちょっと違うんじゃないかなという面もあって。結局いろいろ考えて、やっぱり吉田さんと一緒にやることしかおれが成功できる道はないんじゃないかと考えるようになったんです。しのごのいわずに力を傾けること。それしか救いがないというか、それしか音楽を続けていく道がない。つけたいけじめはその後でつけるしかないと思うようになりました。吉田さんにも「どういうふうにしたらいいんだろう」ってすごく相談しましたし。


──そんな時期を乗り越えて、去年の暮れまでには高橋“TJ”恭平くんやreddamさんも参加してメンバーも8人固定になり、強力なセカンド・アルバムも出した。こういうふうに振り返ってみると、なおさら昨日みたいな晩は感極まるものがあったんじゃないですか? 別にFUJI ROCKの、それもを〈Rookie A Go-Go〉を目指すことがすべてのバンドの目標だとはぜんぜん思わないですけど、ああいう「ハレ」感のある舞台にバンドが祝福されて立つというのはすごくいいことだなと思ったんです。


吉田  そうですね。去年、森は生きているが出て、ああいう何かに憑かれてるような、状況に求められているようなバンドが出て、その後うまくいってるのを見てるから、「出れた」というのはすごい感慨がありました。


西田  なんか昨日からおれはすごくハイになっちゃって感極まってることもあって、今日のインタビューでは吉田さんとのこれまでの関係をできるだけ正確に伝えたいと思うくらいうれしかったんですよ。そんなことは別にいわなくてもいい話だったりもするんですけど(笑)。吉田さんがあれだけやってくれたし、すげえおれがうれしかったことを伝えるにはこれまでの全部をいわなくちゃいけない気がして。


吉田  でも最近、本当にバンドがよくなったんですよ。西田くんも5月くらいから本当に身が入ったなと感じることが多い。森は生きているの岡田(拓郎)くんの存在も大きいと思うんです。岡田くんと出会うまでは、西田くんは他に比べたらギターが圧倒的にうまくて、地道に練習して経験をちゃんと積み上げるということに対してちゃんと向き合う必要がなかったんですよ。だけど、岡田くんがあそこまでストイックに音楽を究める人で対照的で。ふたりは結構ライバル意識があるんです。西田くんは、おれが岡田くんを「すごい」っていってるのが癪にさわってるんですよ(笑)




──スタイルは違いますけど、ギタリストとしての存在感はふたりともかなり際立ってますよ。


吉田  西田くんはギターを始めたのがすごく遅くて、19歳からなんですよ。


──え? そうなんですか?


西田  それまではテニス部でした(笑)


──ギターは弾いてなくても、ピアノを子どものころからやってたとか?


西田  ぜんぜんやってないです。


吉田  ひどいいいかたですけど、おれの長い付き合いでの西田くんの印象は「ギター弾くのはうまいけど音楽的な能力は低い」(笑)。でも、岡田くんが現れて、そこをすごく変えようとしてると思うんですよ。岡田くんみたいに小学校からやってると音楽的な能力も付いてくる。でも、發展っていう岡田くんと若菜ちゃんとやってるグループの練習の帰りかな、車のなかで西田くんの話になったら、岡田くんが「あいつ、本当すげえ! その歳から始めてあれほど弾けるなんて、あいつの才能に嫉妬する」みたいなことをいったんですよね。それを西田くんに伝えたんですよ。そしたら「自分のなかでギターを遅くに始めたのはコンプレックスでしかなかったけど、なんかちょっと救われた気がする」みたいなこといってて。そのへんからかな、すごくいろんなバランスがよくなったし、日によって結構波があったのが、かなりストレートにがんばれるようになったんですよね。


──たしかに、ステージ上での見え方も、左端の西田くんが引き立つ感じになりましたよね。自信が明らかに伝わってくる。


吉田  4月、5月くらいからそれがはっきりしてきたんです。それで、人としてしっかりしたから、バンドの運営をすべて託せるようになって。変ないいかたですけど、おれって楽器演奏とかの修得にすごく苦労してるんで、「いくらでもがんばらないと結果なんて得られないぞ」と思ってるから、本質的に他人に対して厳しいんですよ(笑)。西田くんの場合は「なんとなくうまくいった」っていう意識が大きいから、他人にやさしいんですよね(笑)。だから、メンバーに対して「練習しろ」とかきついことは西田くんにいうようにしてもらってから、さらにバンドがまとまるようになりました。


──名コーチの素質ありますね(笑)


西田  逆に最近は「マジでそんなに甘くねえ」とも思ってるんですよ。おれが吉田さんのどこを一番尊敬するかって話になってくるんですけど、知り合ってからずっと変わらない熱量で練習を続けてるところで。普通は目標が見えないとがんばれないじゃないですか。「FUJI ROCKに出る」とか、そういう具体的な目標がないと長期的な努力って人はなかなかできないと思っていて。自分のなかで見据えた目標があって、そのためにマイペースで邁進することっておれはできないんです。それは本当に自分にはない才能だと思ってるから。


吉田  「いいことがなくても音楽をがんばれるなんて思うのはおまえだけだ」って西田くんにいわれたことがあります(笑)。そのときに、「みんなはもっと短期的に目標とか達成感とか誇れることがないと続けられないし、だからこそやる気が出てうまくなっていく。そういうことをちゃんととらえないとダメだ」ってことをはっきりいわれましたね。


──そこを乗り越えられなくて解散したバンドや音楽をやめた人はいっぱいいるだろうし。


吉田  ぼくと西田くんのバンドも一回解散してますからね。吉田ヨウヘイgroupは再スタートですから。おれの最初のバンドだと見られていて、短い期間でうまくいってるっていってもらえることがありますけど。


西田  以前は、吉田さんが吉田ヨウヘイgroupの音楽をやっていくうえでつながりができた人たちに対して自分がコミットしてはいけないし、したくないと思ってたんですよ(笑)。「ここは吉田さんがいる場所だから横やりを入れるべきではない」と思ってたし。でも、本当に最近はそれもなくしていいよという感じがしてます。おれと吉田さんはこういうとりとめもない話が永遠にできるくらい気が合っちゃってるんですけど(笑)、メンバーともそういうふうになっていけたら幸せなんじゃないかなと思ってますね。最初は、本当にメンバーとは音楽だけのつながりでいいと思ってたのに。


吉田  そうだね。もっとドライで大人の人を集めて、ロック・バンドだから固定ではあるけど、緊張感があって屹立しててそれがかっこいいみたいなイメージがあったんですけど、そうじゃない人ばっかり集めちゃったみたいな(笑)。ぼくはこれまでもメンバーにはすごく厳しく接してきたんですけど、最近は普通に仲良くなってきてて、そのへんのバランスは自分のなかでも変わってきてます。音も強くなってプロ意識も出てきてるんですけど、サークル乗りみたいなワイワイしてる感じとか、純粋にこっちを頼ってきてる感じとかも、それはそれで別の絆としてあってもいいのかな(笑)。そこを気に入って見てくれてる人も多いですし。


西田  いろいろありますけどね。本当に「すげえ好きじゃん」ってメンバーに対して率直にいえるようになったのって最近のことだし。でも、好きだという感情が枷になることもありますよ。


吉田  そうだね。自分たちはこの一年すごくいいペースでよくなってると思うんですけど、そういう枷を意識することによって怒れなくなって、必要な緊張感がなくなっちゃうんじゃないかとかね。



──バンドはけんかばっかりしてるほうがよい、みたいな考え方も昔話としては、ありますけどね。


吉田  「絶対こいつらと一緒にやりたい」って思ったら、バンドとして弱くなると考えてました。


西田  そことはせめぎあうよね。


吉田  そうだね。でも、メンバーのほとんどが「おまえしかいないんだぞ」っていわれたほうが、がんばれるんだなというのはわかりました。


西田  メンバーのことを思いやることでメンバーにも思いやってもらうというぐらいでいいんだと。そしたらそれを返してくれると思ってるし、最近は。


──強さも弱さもひっくるめてのこの2人だし、この8人がいる。なんかいろんな意味で「人間」しか感じないインタビューでした。それがつまり、吉田ヨウヘイgroupを応援したくなる感覚というか、背中を押したくなる感覚につながっているのかもしれない。


吉田  でも、押してもらった瞬間って「違うよ」って思うんですよね(笑)。「おれもバンドもそんなにすごくないよ」っていうか「勘違いだし、ぜんぜんダメなところがいっぱいある」って思う。でも、最近分かったのはそういう後押しをいっぱいもらえると、「“すごくない”っていってるほうが嘘なんじゃないか」とも思えてくるんだってことです。昨日、舞台に出る前も、そういう今までかけてもらった言葉を「違う」とは思わずに、「そうなんだ」と思うようにして、そしてそれが「できた!」と思いました。


(おわり/2014年7月28日、苗場食堂にて)


では最後に、彼らが堂々とワンマン・ライヴをやってのけた8月28日、渋谷クラブクアトロでの演奏をどうぞ!