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なにかあり/とくになし

野田薫のありのまま 野田薫インタビュー その1 

野田薫のセカンド・アルバム「この世界」が、すごくいい。




そして、ぼくは野田薫にちょっとした恩を感じている。彼女が歌うのを初めて見た晩。それはぼくにとっては結構、運命的な夜だった。


2012年4月28日、阿佐ケ谷のRojiで行われた〈野田薫帰国記念ライヴ〉で聴いた、ロンドン帰りの彼女の歌には、歌そのものの誠実さの、さらにその向こうに、彼女の考えていること、やりたいことがむずむずとして芽生えるのを待っているんだろうという気配を感じた。


そして、その夜のライヴが終ってからも、彼女にひさびさに会うためだったのか、いろんな顔ぶれがひょっこりとお店に顔を出した。そのうち、出しっ放しになっていた楽器をめいめいに使って、ボーナストラック的なセッションが始まった。表現(Hyogen)の佐藤公哉古川麦が演奏したかと思うと、さらには伴瀬朝彦も現れ、求められるままに「いっちまえよ」を歌った。


考えてみれば、その夜に出会った古川麦にも、伴瀬朝彦にも、ぼくはその後にロング・インタビューをしているのだ。その出会いのきっかけにいた野田薫をさしおいて。


そしたら、今年の春、野田さんからDMを受け取った。「今度アルバムを出すので聴いてください、もしよかったらなにかコメントを書いてください」という内容だった。とてもいいアルバムだったので、よろこんでコメントを書いた。


さらにしばらくして、今度は見汐麻衣さんから、高円寺の円盤で、野田さんのミニ・ライヴのあとで彼女に公開インタビューをしてほしいという依頼を受けた。それが2015年5月23日。そのときの録音が、このインタビューの前半部分になっている。じつは、その日の野田さんの話がおもしろかったため、新作発売を記念してのイベントだったにもかかわらず、話が新作にたどり着く前に時間切れになってしまったのだ。そのため、後日、Rojiでインタビューの後半を行った。


生い立ちから音楽を志す過程、渡英の経験や曲作りに対する姿勢など、シンガー・ソングライター野田薫の話は、ありのままを素直に話しているだけなのに彼女自身にとってもあらためて気付きがあるような、とても興味深いエピソードだらけだった。


なので、インタビューのタイトルは「野田薫のありのまま」にしてみた。計3回か、もしかしたら4回の予定。


まずは、ふりだしから始めてみる。


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──シンガー・ソングライター野田薫ができるまで、というか、もうできてると思うんですけど、小さいころの話から最新作の『この世界』に至るまでの、いろいろ話を聞かせてください。まずはこういう長いインタビューでは最初によくやる質問なんですけど、一番古い音楽の記憶は何ですか?


野田  あー。何歳くらいだろう? 一番最初に思い浮かぶのは、母親がピアニストだったんで、家にアップライトのピアノがあったんですね。母がピアノを弾いてるその下にわたしが立ってチョロチョロしてるっていう、それは覚えてます。3歳くらいかな?


●最初の記憶に近い時期です。覚えているピアノは、まさにこの後ろに写っているアップライトです。ここを歩いていました。(野田)



──じゃあ、音としてもお母さんの弾いているピアノの音というか、メロディを覚えてるんですね。


野田  覚えてますね。


──お母さんはピアニストだったということですけど、お仕事としてピアノを弾いていたんですか?


野田  母は宮城出身で、もともと芸大を受けてプロのピアニストになりたかったそうなんですけど、わたしにとっては祖母にあたる自分の母親に「東京には出るな」と言われたらしく、大学までは地元に通って音楽を学んでいたんです。それから社会人になったときに渡米して、そこでピアニストとして勉強をずっと積んできた人です。そののちに帰国して、ピアノの先生をやりながら、プロの演奏家としても結婚する前まで仕事をしていたそうです。


──クラシック・ピアノ?


野田  そうです。


──じゃあ、野田さんが物心つく前に聴いていたメロディもクラシック。


野田  そうです。


──好きな曲はありました? 「お母さん、これ弾いて」みたいな。


野田  母が弾くのを聴くのも、わたしが弾くのも、両方で好きだったのは、バッハです。結構暗い曲が多いイメージなんですけど、カタカタカタカタ両手がせわしなく動くのが好きで。


──お母さんが自分にとってのピアノの先生でもあったんですよね。


野田  そうです。初めは母親から習ってました。でも母親なので、すぐにケンカをするんですよ。わたしが「うるさい!」って言ったりとか。母が言ってることはもちろん正しくて、言う通りにやればピアノもうまくなるんですよ。でもそれがシャクでまたさらに悔しくなって、ケンカを繰り返して、結局、違う先生に習いに行くようになりました。でも、本当にわからないところや譜面が読めないところは「お母さん、これどうやって弾くの?」って聞いてましたけど。


──聴くことよりも演奏するほうが好きな子供でした?


野田  そうですね、クラシックのCDを聴くということがわたしはぜんぜんなくて。自分で弾いてる曲とか、だれかが弾いてる曲を聴いて「あ、これは素敵」というのはありました。そういう感じが多かったですね。


──弾くのが好きで、思うように弾けるようになってくると、子供ながらに自分なりの曲を作ったりとかしませんでした?


野田  ありました! なんだったっかな? 一番初めは、蒸しパンがおいしくて「蒸しパンのうた」っていうのを作ったと思います(笑)


──「蒸しパンのうた」!


野田  本当にワンフレーズしかないんですけど。そういうのをいっぱい作ってました。


──「蒸しパン大好き、蒸しパン大好き」みたいな?


野田  そうそう(笑)。ずっと「蒸しパン! 蒸しパン!」って連呼する歌でした。


●「蒸しパンのうた」などを作っていた時期です。(野田)



──パンクですね(笑)


野田  結構パンクでした。姉にハモらせたりもしました。今でも歌は覚えてるんですけど、録音に残しとけばよかったですね(笑)。あと、なんだったけ? 小学校低学年のころ、家族旅行でサイパンに行ったときに、帰るのがさびしかったんでしょうね、「サイパンのお別れのうた」っていうのを作って(笑)。それをずっと空港で歌ってました。


──野田薫のオリジナル曲第2作目は「サイパンのお別れのうた」!


野田  その歌もワンフレーズしかないんですけど、さびしさを隠すようにカラッと明るい曲調なんです。歌詞は、タイトルのままの「サイパンのお別れのうた〜」みたいでした(笑)。このころは、“曲を作る”というよりも、なにか言葉があって、それに勝手に音を乗せて口ずさんでいたという記憶があります。


──でも、ワンフレーズとはいえ、メロディのある歌を好きで作っていたんですよね?


野田  そうです。歌は聞くのも歌うのも好きでした。


──それはクラシックではなく、J-POPの曲?


野田  そうですね。小学生のころはドリカムをすごく聴いてました。歌を聴いて初めて泣いたのが、吉田美和さんの歌なんです。『ミュージック・ステーション』を見てて、彼女が「未来予想図II」を歌ってたんですけど、その日の歌が本当にすごかったんですよ。歌が画面から飛び出してくるような印象で、わたしは母の膝の上に座ってテレビを見てたんですけど、それを見て「わーっ」って泣いてしまったという記憶です。それが歌で感動したっていう初めての体験かな。


──へえー。


野田  それで中学生になったわたしは、今度はイエモンTHE YELLOW MONKEY)に行くんですよ。それもテレビで見たのがきっかけなんですけど。母親が「日本にすごいバンドがいる」みたいなことを言い出して、それで私もテレビで見て、すごく好きになって、中学生でしたけどライヴ見に行ったりしてました。


──ということは、人生初ライヴは、イエモン


野田  そうです。西武ドームでした(笑)。母についてきてもらって。


──シンガー・ソングライター的な音楽より、最初はバンド的なものに惹かれていたんですね。


野田  結構大きな音で鳴っているバンドの音が好きで、漠然と憧れを持ってました。「あんなふうに『わあーっ!』て大きな声で歌ってみたい」とか。


──部活は何をやっていたんですか?


野田  中高では吹奏楽をやってました。パートは、クラリネットでした。


──そうか、吹奏楽部にはピアノはないんですよね。


野田  そうなんです。でも、いつかバンドをやりたいという気持ちはずっとあったので、大学ではバンド・サークルに入ろうと決めてました。


──中学や高校時代にも、文化祭とかでバンドをやるような機会があったのでは?


野田  そういう軽音楽サークルはあったんですけどね。わたしは吹奏楽部で体育館でバーン!って盛大に演奏をしつつ、違うところでやっているバンド・サークルの演奏を見に行っては「わたしも早くあっちに行きたい」って思ってました。


──「でも、わたしは吹奏楽部所属だから、今はそっちには行けない」と。


野田  度胸がなかったというか、人前にバーンって出てわーっとやる、みたいなことをすごくやってみたい自分と、「いやいや、無理!」っていう自分と両方がいたんです。それに、吹奏楽みたいにみんなでひとつの音を作るのも好きだったので、高校まではずっと吹奏楽に専念してました。


●高校時代に吹奏楽部に所属していたときの写真です。(野田)



──そういうエピソードを聞くと、やっぱり野田さんってまじめだなって思うんです。


野田  まじめでしたね。あんまり目立って遅刻するようなこともしませんでしたね。さぼったこととかも、人生で一回だけあります、高校生のときに。


──人生で一回だけしかないんですか?


野田  大学ではいっぱいありますけどね。中高では、一回だけでした。


──そういうことはできない性格というか。


野田  しようとも思ってなかったですね。学校生活を楽しんでたと思います。


──じゃあ大学に入ってからが、ようやく野田薫のバンド・ライフの始まり。


野田  2002年に明治学院大学に入って、そこでバンド・サークルに入ってしまったことが、わたしの人生を、今のこっち側に向けさせてるんです。バンドのサークルは本気な感じから遊び半分なところまでいくつかありました。“本気”なサークルには、わたしの世代だと、“おとぎ話”がいました。わたしは急にはいろいろできないと思ったんで、コピー・バンド系のサークルに入りました。「世界民族音楽研究会」という名前です(笑)


──そこでまずはコピー・バンドを。


野田  そうですね。だんだん経験を積んでいって、それ以上のことをやりたい人はオリジナルをやり始めるんですけど、そういうバンドは、“ソトバン”って呼ばれるようになるんです。


──へえ、“ソトバン”。


野田  人の“ソトバン”を見に、下北沢のGARAGEに行ったりしましたね。


──野田さんはだれのコピー・バンドで、どのパートをやってたんですか?


野田  ライヴごとにメンバーが変えられるサークルだったんですけど、基本的にわたしはヴォーカルかキーボードでした。いろいろやりましたね。レディオヘッドからUAまで(笑)


──野田さんがUA


野田  二回くらいやりましたね。AJICOの曲とか。


●大学の学園祭で演奏している様子です。このときはAJICOでした...! ちょっとだけ恥ずかしい写真です(笑)(野田)



──ピアノを弾きながら歌ったりもしました?


野田  それは、そのサークルでベン・フォールズ・ファイヴをやったときが最初です。「なんて難しいんだ!」って思って、海外から譜面を取り寄せたんです。でも、難しいとも思ったけど、自分で自分の歌に伴奏がつけられるというのがちょっと衝撃でもありましたね。「ひとりでここまで音楽を完成させられるんだ」って思ったんです。


──それは、ベン・フォールズのコピーをしてみてわかったことだったんですか?


野田  わかったというより、よりはっきりしたというか。ちっちゃいころにもそういうふうにちょっとやってみたことはあったんです。だけど、なんか人前で歌うってことがやっぱり恥ずかしいと思ってたんですね。だから、家族が出かけてるときとか、家にだれもいないときに、ひとり家のなかで大きい声で歌うということをしてたんです。そのときにピアノを弾きながら声を出してみたんですけど、そのときに泣きながら弾いてたのを覚えてて(笑)


──へえ!


野田  「わーっ!」と声を出してて、伴奏も鳴ってるということが、すっごい楽しくて感動してしまって。家族が帰ってくる前にひとしきり泣いて、ピアノもちゃんと片付けて、何事もなかったかのように出迎えるんですけど。


──じゃあご家族はまったく知らないんですね。野田さんが大泣きしながらピアノを弾き語りしてたってことを(笑)


野田  そうなんですよ。あぶないやつですよね(笑)。でも、なんか感動してしまったんです。それがわたしが自分で音楽をやるうえでの、第一の感動だったんです。のちに大学でピアノを弾きながら歌ったことで、ちっちゃいころの感動が確信へと至った。そんな感じでした。


──ということは、よく「この人の音楽に感動して音楽を始めました」とかいう発言がインタビューにはありますけど、野田さんの場合は、音楽を始めるきっかけになった感動は、もしかしたら自分自身だったのかも。


野田  ああ、そう言われたらそうかもしれないです。自分で音楽ができちゃうというか、ひとりでもこんなに音楽が成り立つということがわかった。それなのかなあ。


(第2回につづく)


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もう本日ですが、アルバム「この世界」発売記念ライヴがあります。


2015/07/07(火) 渋谷7th Floor
野田薫『この世界』レコ発ワンマンライブ」
open 19:30 / start 20:00
当日 2,800円(+1ドリンク500円)

アルバムに参加してくれたミュージシャンたちを迎えた特別編成でお送りします!


ACT : 野田薫あだち麗三郎西井夕紀子、角銅真実、表現−1


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ライター、森豊和さんによる野田薫インタビューも公開されています。


SYNC4 : 【interview / インタビュー】野田薫Kaoru Noda 『この世界』


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野田薫ホームページ