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なにかあり/とくになし

野田薫のありのまま 野田薫インタビュー その2

シンガー・ソングライター野田薫インタビュー、第2回。


今回は、自分で自分の音楽をやるとはどういうことなのかを考え続けた時代の彼女を追った。


「曲って、自分の音楽って、どうやったらできるんだ?」って真剣に自問自答していた時期を、彼女は忘れていない。作品の作り手が、どういうふうにして自分がものを作り出せるようになったかを、これほどあけすけに語るインタビューも、あんまりないかもしれない。


では、音楽家としての道を、とにかく自分なりのやりかたで進みはじめた彼女の日々におつきあいください。2000年代後半の野田薫のありのまま。


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──大学時代にコピーバンドで歌っているうちに“ソトバン”をやりたくはならなかったんですか?


野田  やらなかったんです。それまで一回も曲を作ったことがなかったし、「よくみんなできるなあ。どうやって曲を作ってるんだろう?」って思ってました。わたしも、そこまで真剣に音楽を続けようと思ってなくて、大学卒業を機にサークル活動も終えて、そのまま就職をしたんです。


●大学でいろいろと音楽を知っていった時期です。髪型が昔のフォーク歌手のよう……。(野田)



──そうだったんですね。


野田  ただ、就職して、同期のみんなも社会人になって、音楽に対するモチベーションも落ちていってたなかで、おとぎ話というバンドだけは加速して音楽に突き進んでいたんです。「あ、まだ続けてるんだ」と思って、わたしも結構頻繁に足を運んでました。それでまた「やっぱりあっちに行きたい!」と思うようになってきたんです。高校の吹奏楽部時代に思ってた“バンドやってる人たちは楽しそう”って思いがぶり返してきたようなところもあったんですけど。


──でも具体的には、どうしたら“あっち”に行けるのかって話ですよね。


野田  やりたいとは思ったんですけど、曲も作れないわけだし。だから、まずは社会人としての生活を継続しつつ、自分の曲を作ることからやってみようかなと思ったんです。曲作りをしながら、ちょっとずつ音楽のほうにシフトしていける道はないのかというのを探り始めました。


──ちなみに当時就職してやっていた仕事は?


野田  広告関係だったので、結構タフでした。朝から終電くらいまでずっと仕事で、それ以外何もできなくなっちゃって。土日になったら、おとぎ話とか友達のライヴに行くことで音楽のエネルギーを浴びて、それでまた日々の仕事に戻るという感じでしたね。


──「どうやって曲を作る時間を捻出したらいいんだ?」ってなりますよね。


野田  ですね。


──思い余って、辞表バーン!とかしたくなりませんでした?


野田  いや、それはまだ。でも、音楽をなんとかして継続はしたいと思うけど、それが曲を作るというかたちなのか、なにかバンドとか吹奏楽のサークル的な活動をすることなのか、自分でもわからなくなってきちゃってましたね。なので、とりあえずひとり暮らしをしようと思ったんです。ひとりで生計が立てられるかどうか自分を追い詰めてみて、それでも音楽を選んだら思い切ってみようと。そしたら、そのころにわたしも含めて同期の女の子たち何人かが、会社の仕事の関係でちょっとした問題に巻き込まれて、結果的に解雇されることになってしまったんです。


──大変じゃないですか!


野田  そう、みんなは困ってたんですけど、わたしは音楽をやりたくなっていたので、「時は来た!」と思いました(笑)。「仕事がわたしから逃げていった。これはうれしい!」と。そこから定時で切り上げられる派遣社員に仕事を変えて、音楽をやる時間を設けるようにしました。


──いよいよ本格的に曲作りに。


野田  そうです。そして「曲作りってどうしたらいいんだろう?」ってかなり悩んでました。そのときのわたしに曲作りのきっかけをくれたのが、前野健太くんなんです。前野くんは、おとぎ話とよく対バンしてたんです。ちょっと失礼かもしれないんですけど、彼の音楽を聴いて「あ、こんなことでも歌にしていいんだ」って思えたんです(笑)



──“こんなこと”って!


野田  でも、その“こんなこと”が、わたしにとってはすごく衝撃的だったんですよ。「これはもしかしたらわたしにもできるかもしれない」って思いました。それで、自分が「いいな」と思えるメロディとか言葉だけをまず集めてみて、それをつなげて曲っぽくしたんですよ。そういうのを3曲ぐらい作ったかな。その3曲は「メロディー」「ふと想う」「秋のおとずれ」で、3曲とものちにファーストの『あの日のうた』に入ってます。でも当時は、これが音楽としてきちんと評価されるものなのかどうかぜんぜんわからなかった。そしたら、その時期に、今度はあだちくんと出会ったんです。


──出ました! あだち麗三郎



野田  あだちくんは、おとぎ話のサポートを当時やっていたんですよ。ライヴの打ち上げに行ったときに、前野くんに「野田さん、この人、あだちくん」って紹介されたんです。わたしも「さっきのサックス、すごくかっこよかったです」ってあいさつをして、そのあともずっと話してたら、あだちくん、結構わたしが音楽をやりたいということに理解を示してくれる感じなんですね。「あなたの歌、よさそう」とか(笑)


──言いそう!(笑)


野田  わたしは「こういう音楽が好きで、わたしも自分の音楽をやってみたい」みたいな話をひたすらしてたんですよ。そしたら「きっとあなた、それ、やったらいいと思う」って(笑)


──それも言いそう!(笑)


野田  「もしできあがったら聴かせてよ」って言われたので、自分なりにできたと思われる3曲を録音してCD-Rにして、あだちくんに渡したんですよ。そしたら、「あなた、ライヴやったほうがいいよ。この音源は前野くんにも渡したほうがいい。きっとすごく気に入ってくれるから」って今度は言ってくれて。前野くんにも渡してみたら、興奮して聴いてくれて「すごくよかったです」って電話をくれたんです。そんなことがあってようやく「あ、音楽をわたしは作れてるのか?」というふうに思いはじめたという流れなんです。


──それが初めて野田さんの音楽が人に審査された瞬間だったわけですよね。


野田  そうです。すごく緊張しました。ちっちゃいころの“自分の歌はだれにも聴かれたくない”って気持ちが根っこにあったので、最初のうちは「作ってみたものの、どうしよう?」って思っていたんですよ。でもそれを、あだちくんが聴いて褒めてくれたし、それで、わたしもどんどん曲を作るようになっていったし。「これからライヴとか録音とか、なにかやることがあったら、ぼく手伝うよ。あと、ライヴをやる場所を探したほうがいい。ぼくの知ってるライヴ会場がいくつかあるから、“あだちから紹介されて来ました”って言えば、音源を突然渡しに行っても聴いてくれるんじゃないかな」ってアドバイスもしてくれましたね。


──じっさいに“あだちから紹介されて来ました”って、あちこちに持っていったんですか?


野田  はい。下北沢のmona recordsとか、青山の月見ル君想フとか。そしたら本当にすぐにライヴを組んでくれて。「わ! あだちくんってすごいんだ!」って思いました(笑)


──野田薫としての初ライヴは?


野田  mona recordsでした。そのときは弾き語りで、持ち曲も録音した3曲+新曲2曲くらいしかなくて、曲をやり終えたら即終了、みたいな感じでしたね。初ライヴは、お客さんが1、2人しかいなかったんですけど、そんなに緊張せずに歌ってすごく爽快だった記憶があります。


──「えー? 少ない!」って落胆じゃなくて、むしろ子供のころのひとりで歌っていた体験に近い感じだったから、マイナスにはならなかったのかも。


野田  そうですね。ステージだけ明るくて客席は暗くなってるので、まさにあの部屋の状況になっていました。たぶん、楽しそうにやってたんじゃないかな。そういう初ライヴでしたね。その次の月見ルでは、あだちくんがドラムでサポートしてくれました。わたしは好きに弾いて歌って、あだちくんがドラムで好きに入ってきてくれるというスタイルでした。スタジオで練習もしたと思います。そのころのわたしはライヴのことなんか何も知らないし、たどたどしく弾いて歌ってたと思うんですけど、それでも「いいよいいよ」って持ち上げてくれるんですよ(笑)。「本当かなあ?」と思いながらやってましたね。


──どういうところがいいとか、わるいとか、具体的な指摘もなく?


野田  あだちくんは言わなかったですね。あまりにもわたしがなにもできず必死だったので、とりあえず「いいよいいよ」って言ってくれてたんだと思います(笑)


──しかし、あだち麗三郎前野健太が、初期の野田薫を認めてくれた2人っていうのがおもしろいですね。


野田  そうですね。聴いてくれて感想を言ってくれたという意味では、大きな存在でした。人から意見をもらったなかでも一番記憶に残ってるのは、その2人かな。


──予想もしていなかった人からよいリアクションをもらったという意味では、どういう記憶があります?


野田  うーん。音源を渡した人はみんな「よかったよ」とは言ってくれたんですけど……、あ! 感想はもらってないんですけど、自分のなかに大きく残ってるのは、銀杏BOYZの峯田(和伸)さんなんです。この話、ちょっと長くなりますけど、いいですか?


──いいですよ。



野田  わたしが音楽をやり始めたころに、たまたま検索をしてたら峯田さんのブログに行き着いたんです。それを読んだ瞬間から、「わたし、この人と友だちになりたい!」って勝手に思ってしまって。まだ銀杏の音も聴いたことがなかったのに(笑)。で、ブログの愛読者になって、音楽も大好きになって銀杏のライヴも行くようになったんです。それがちょうどわたしがひとり暮らしを中野で始めたくらいの時期でした。そしたらある日、おとぎ話の有馬(和樹)くんとたまたま中野を一緒に歩いてたら、「ああ、峯田さん家、ここだよ」って彼が建物をパッと指差したんです。そこって、わたしの当時の家から20秒くらいの場所だったんですよ! 「これはもう運命!」としか思えなくなりました(笑)


──20秒の距離はすごいですね(笑)


野田  そのころ、わたしは曲をうまく作れなくてもがいている最中だったんです。それで「わたしはファンとしてではなく、いちミュージシャンとして自分の音源を渡すときを、初めて峯田さんに接触を試みる機会にしよう」と決めたんです。でも、わたしが家に帰るときとか、いつも峯田さんの家のあたりを通り過ぎるわけですよ(笑)


──「部屋に電気点いてるなあ」とか、思いますよね。


野田  使うコンビニも一緒なんで、会ったりするんです! 会ってあいさつしたくなる気持ちを、「音源ができるまでは」と自分に言い聞かせて、ぐっとこらえてました。何度もコンビニでじっと峯田さんを見てたから、たぶん、わたしすごくきもちわるい感じだったと思います(笑)。銀杏のメンバーも中野によくいたからしょっちゅうすれ違ってたし、偶然スタジオで一緒になったこともあったんですけど、すれ違うたびに「この人たちに渡すためにわたしは曲を作ってるんだ」って思うようにしてました。


──そして、ついに3曲を録音して。


野田  それからは、いつ会ってもいいように、中野の街をキョロキョロしながら歩いて、常にカバンのなかにCD-Rを潜ませてました(笑)


──できたから、もう渡せますもんね(笑)


野田  そうなると、わたしはもうすぐにでも会いたいんですよ。コンビニ入ってもいないか探したりして。でも、そういうときに限ってなかなか会えなくて、そのまま月日が経っていきました。それがある夜、あたらしい曲をどんどん作りたい意欲が湧いてきて、深夜12時過ぎくらいに急にスタジオに行きたくなったんですけど、平日夜中の中野の道を歩いていたら、向こうからひとりの男性が歩いてくるんですね。夜道で一対一になるので、わたしはちょっと緊張して歩いていたら、その前から歩いてきた人が峯田和伸さんだったんです! 「時は来た!」ですよ(笑)


──まさに!


野田  でも、あまりに不意に来たので、「わー!」って混乱して、「あの……」と声をかけてからカバンを興奮してガサゴソやる不審者状態になっちゃって。峯田さんもわたしを怖がってか少し避けて通ろうとして(笑)。でも「渡したいものがあるんです」って言ったら、立ち止まってくれて。ようやくわたしも落ち着きを取り戻して「音楽をやっているんですが、よかったら聴いてください」って音源を渡すことができたんです。もちろんその感想は聞けてはいないんですけど、わたしの音楽を渡して少しお話もできたんです。


──よかったですねえ。


野田  わたしが曲を作るきっかけとして、わたしのなかで峯田さんの存在はすごく大きかったですから。「あなたに会うために曲を作ってました」っていうのは、ちょっときもちわるいので言わなかったですけど(笑)。あと、渡した次の日に、Yahoo!に「峯田和伸、吐血!」ってニュースが出たんです! 「わたしのこの異様な念がもしや吐血させた?」って思いました(笑)


──それはもう感想を聞けたかどうかというレベルじゃないですね。下手したら、その吐血が感想だった、くらい(笑)


野田  念を受け取っていただいた結果の吐血(笑)。でも、自分の音源を作って峯田さんに渡すというのは、わたしにはすごく大きな出来事でした。「翌日吐血するくらい体調がわるかったのに話してくれたんだ」って、あらためて感動もしましたし。とにかく、あの日のことは一生忘れないだろうなと思ってます。


──銀杏以外にも、この時期の野田さんに強い影響を与えた音楽や、好きだったバンドの話を聞いていいですか?


野田  はい。さっきも話に出ましたけど、やっぱり前野くんの影響は大きいです。といっても昔の曲だけじゃなくて、前野くんの音楽はずっと好きで、これからも好きだと思います。わたしにとって目指すべき音楽家だと勝手に思ってます。もう何枚もアルバムを出してるのに、まだ「カフェ・オレ」(『ハッピーランチ』収録)みたいなタイプの曲を作るじゃないですか。わたしは、前野くんがこういう曲をやっていたからこそ自分でも「音楽をやりたい」って思えたので。あと、前野くんをきっかけにして、高田渡さんとか、日本のフォークも聴き始めたんです。高田さんってひたすら「お金がない」とかそういうことを歌うじゃないですか(笑)。やっぱり「こういうこと歌にしてもいいんだ」って思いましたね。



──それまではもっと決まりのある音楽をやろうとしていたのかもしれないですね。


野田  Aメロ、Bメロ、サビがあって、歌詞もちょっとかっこよくて、言葉遊びもちょっとできて、みたいなことばっかり考えて、ドツボにはまっていましたね。そこから抜け出すきっかけをもらったという意味でも前野くんは大きいですね。一気に視界が開けた気がします。あと、前野くんがじっさいにそうしてるかどうかは知らないんですけど、彼の音楽を聴いたことで、わたしも勝手に影響を受けて、メロディを作る前に、歌詞の言葉を書き出すようになったんです。それから、その言葉を言いやすいメロディを意識して、曲を作る。わたしはそのほうがナチュラルに自分の音楽が作りやすい感じがして。そのやり方は今もぜんぜん変わってないですね。


──ceroの高城(晶平)くんが最近は歌詞を先にして曲を作ってるという話ですよね。そうすると音楽的な約束事から言葉が自由になって、すごく新鮮な感じがします。


野田  どうしたら言葉がもともと持ってる音に近づくかは、すごく考えてますね。わたしは分析的に音楽を聴いたり、学習したりした経験がぜんぜんなくって。だから「曲ってどうやって作ったらいいんだろう?」って迷っちゃってたんです。でも、この方法でやってみたら、もしかしたらわたしができることが見つかるんじゃないのかなと思えたんです。今も前野くんのライヴに行くと、言葉とそれに乗ってる音をすごく気にして聴いちゃいますね。もちろんバックの音や彼の鳴らすギターの音もすごく好きですけど、最終的には、言葉とメロディだけでやりたいことが完結できてる感じがして、わたしもそうなりたいなって思ってるんです。あと、メロディラインがすごく好きだったのは、レディオヘッドですね。


──レディオヘッド! 今の野田さんの音楽からすると意外な感じもしますけど。



野田  中学生のときに、イエモンから“レディオヘッド”という単語を知って、それで『OK コンピューター』を買ったんです。初めて聴いたときは、家のコンポの前から動けなくなるくらい感動しました(笑)。特にこのアルバムは、メロディから“和”の感じがすごくするような気がして好きなんです。


──そう言えば、大学時代にコピーバンドで歌ってたって言ってましたね。“女トム・ヨーク”!


野田  「クリープ」とか歌ってました(笑)。わたしがヴォーカリストとして初期に衝撃を受けた三大ヴォーカリストは、吉田美和吉井和哉トム・ヨークなんです。すごい顔ぶれですよね(笑)


──レディオヘッドから洋楽の世界にずぶずぶと入っていったわけではないんですよね。


野田  外国の音楽をいろいろ聴くようになるのは大学でサークルに入ってからです。わたしは一回なにかを好きになると長いんです。このアルバムもそうだし、洋楽はレディオヘッドだけ好きってくらいずっと聴いてましたね。『KID A』とかが出たときも「おおっ!」って思いましたけど、やっぱり帰ってくるアルバムは『OK コンピューター』でした。


──なるほど。じゃあ、野田薫の音楽が始まるためのピースがいろいろ出揃ってきたところで、次回はいよいよファースト・アルバム『あの日のうた』以降の話を聞いていきたいと思います。


(第3回につづく)


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野田薫 ライヴ・スケジュール》


7月26日(日)
神保町 試聴室
OPEN 18:00 START 18:30
予約: 2,500円 (+1ドリンク、スナック込)
出演: 野田薫 / 古宮夏希 / やく


8月12日(水)
高円寺 Cafe&Bar U-hA
OPEN 19:00 START 19:30
2,000円 (+1drink)
出演: グルパリ / 野田薫 / 山田真未


10月4日(日)
「伴瀬朝彦まつり〜3〜」
渋谷 7th FLOOR
OPEN 18:30 START 19:00
前売: 2,500円 当日 3,000 (ともに1ドリンク代別)
出演:
伴瀬朝彦
カリハラバンド《服部将典/ みしませうこ / 遠藤里美 / 河合一尊》
biobiopatata《遠藤里美 / てんこまつり / ホンダユカ / ハラナツコ / 菅原雄大 / 林享》
生嶋剛(ペガサス)/ 兼岡章(ペガサス)/ 片岡シン(片想い)/ 野田薫


11月22日(日)
野田薫トリオ in 名古屋



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ライター、森豊和さんによる野田薫インタビューも公開されています。


SYNC4 : 【interview / インタビュー】野田薫Kaoru Noda 『この世界』


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野田薫ホームページ