mrbq

なにかあり/とくになし

野田薫のありのまま 野田薫インタビュー その3

シンガー・ソングライター野田薫インタビューも、第3回。


ファースト・アルバム『あの日のうた』を自主制作し、いよいよ本格的に音楽活動を活発化……と思いきや、彼女の人生はまたおもしろく寄り道をする。


今回はその顛末を、ありのままにめぐってみた。


前回までのインタビューはこちら → 
野田薫のありのまま 野田薫インタビュー
その1
その2


野田薫ホームページ


メタ カンパニー:野田薫『この世界』販売ページ(特典CD-R『Letters』情報あり)

====================


──ここからは、いよいよ2010年にリリースしたファースト・アルバム『あの日のうた』を皮切りに、シンガー・ソングライターとして野田薫が世に出るにあたっての話、そしてそれからの話をいろいろ聞いていきたいと思ってます。最初に作った3曲のCD-Rは別として、アルバムのレコーディングとしてはこれが最初ですよね。プロデュースは、あだち麗三郎くん。


●『あの日のうた』(2010年)


1. 秋のおとずれ
2. ただあたりまえに
3. メロディー
4. ふと想う
5. わたしの知りたいこと
6. あの日



野田  そうです。あだちくんからは「音源を録りたいときも手助けするから、もし必要だったらなにか言ってね」と言われていましたし、その会話のなかで“プロデュース”という言葉も確か出てました。わたしもひとりではなにをどうしたらいいかぜんぜんわかってなかったので「お願いします」と言ったんです。そしたら、あの豪華なメンバーと録音場所とをバン!と用意してくれて。


──MC.sirafu、古川麦くん、関口将史くん、片想いのダイちゃん(大河原明子)、そして今も野田薫トリオで一緒にやっている西井夕紀子さんが参加してます。


野田  わたしはほとんどみなさんに「はじめまして」状態でした(笑)。あだちくんが、「じゃあ、この曲はシラフくんと誰々とで、これやって」みたいな指示もしてくれて。「こういう曲です」ってわたしの曲を聴いてもらったら、彼らはすぐにいろいろやってくれるので、わたしは「あだちくん、すごい」って、なってました(笑)


──また(笑)


野田  このときは「短期で全部録ろう!」ということになって、1日半ですべての素材を録り終えて。そのメンバーで泊まり込みでやりました。そういうことも含めて、全部あだちくんがセッティングしてくれました。


──そうやってアルバムができあがった「あの日のうた」。アーティスト野田薫の名刺代わりの一枚になったわけですけど、自分としてはどうでした?



野田  うれしかったですね。でもじつは、わたしはレコーディングの前あたりから、すごくイギリスに行きたくなってたんです。


──え? ようやく自分がシンガー・ソングライターとしてやっていく最初のアルバムを作ろうとしているのに?


野田  そうなんです。ようやく名刺代わりになる作品はできたんですけど、それができた瞬間、なにか次の未知のことに一歩踏み出せる自信が芽生えてきてしまって。それで、イギリスに一年半ほど行ってしまうんです(笑)


──イギリスはなぜ浮上したんですか? レディオヘッドから?


野田  元をたどれば、そうですね、レディオヘッドから(笑)。日本以外の国を意識したのもイギリスが初めてだったし、「イギリスって国でこういう音楽をやってる人がいる。いつか行ってみたい」と、すごく漠然としてはいましたけど憧れはありました。


──せっかく、こういうお膳立てをしてもらってアルバムができたのに。


野田  うーん、それはよく言われました。「これからってときにイギリスに行っちゃうの?」とか。でも、わたしはアルバムというかたちになったということで自信がついたし、今やりたいことがまずひと段落したというとらえ方だったんです。そのときやりたかったことは達成したので、次はイギリスに行きたいという考えになったんです。それに、こんなにいい名刺として自分のアルバムがあるんだったら、向こうでも人と話したりしやすくなるんじゃないかなとも思ったし。家族、友だちも当時みんな健康だったし、わたしも仕事は派遣でそんなに拘束されてる感じでもなかったし、ミュージシャンとしても別にライヴに引っ張りだこではなかったので、わたしがここで好きなほうにバン!って動いても大丈夫だろうと思ってました。ワーキングホリデーのビザも申請したらすんなり取れたし、「これは、今だ!」と思って、行っちゃいました(笑)


──行っちゃいましたか(笑)


野田  イギリスでは物価が高いということもあって、はじめは向こうの学校が用意してくれたホームステイ先にお世話になりました。それから自分で物件を探して、誰かとシェアしながら住むというかたちで暮らしてました。


──行ってみた、憧れのイギリスはどうでした?


野田  じつは留学する前に、母親と一緒に一度イギリスに行ってたんですよ。ひとりで街をぶらぶらしてたら、そのときからもう肌に合う感じが勝手にしてました。そのとき違和感なく居られたことが大きかったです。通りがかりの家でも外にスピーカーを向けて音楽を鳴らしながら室内で騒いでる子たちとかいて、そういう光景を横目で見てて、それでも叱られたりしない感じがいいなと思ったし。やっぱりこの土地の文化に興味があるし、音楽がどうやって受け入られているのかを、自分も住んで知りたいと思うようになっちゃったんですね。


●イギリス時代です。街角で。(野田)


──向こうでもライヴをやっていたんですよね。


野田  やってました。毎週日曜日が“オープン・マイク”だったパブがあったんですよ。とりあえずマイクがあるので、だれでも自由に歌えるんです。ハンドマイクで歌ってもいいし、自分で楽器を持ってきてもいい。そこはたまたま友だちとよく行ってるパブだったので、「カオル、やってみなよ」って後押しされたこともあって、たまにライヴをやるようになったんです。CDも手売りでたまに売れたりしました。


●パブのオープン・マイク・ナイトで歌っている様子です。(野田)



──そのパブって、ピアノはあったんですか?


野田  いいえ。なかったので、エレピを中古で買って、それを持って行ってました。


──すごい。担いで行ってたんですね。日本語で歌ってたんですか?


野田  はい。ファーストからの曲をたくさんやりました。みんな一瞬、「おっ? 何語だ?」みたいな感じになって視線が集まるんですけど、もちろんパブなんで、またすぐにうるさくなるんです。でも、それでもなにか関心を持ってくれたり、すごくじっくり聴いてくれる人もたまにいて。


──言葉が通じない、わいわいがやがやした場所で歌うっていうのは環境としは明らかにアウェーですけど。


野田  その分、すごくはっきり日本語の言葉を歌ってた気がします。言いたいことや思ってることを歌っていても、みんな意味ではなく音として聴いているので、そういうやりやすさはあったかな。「日本語はわからないけど、あなたの歌はきっとこういうことを歌ってる気がする」と言われたときに、結構当たってることがあって、「あ! やっぱり言葉だけじゃなくて、メロディにちゃんと意味合いを持たせた曲をわたしは作れてるのかな」という自信にもつながりました。


──それって、言葉が先にあって、そこに合うメロディを作っていくという当時の野田さんの曲作りの方法が生んでいる反応でもあると思います。ロンドンでのそういう日々から生まれた曲は、ロンドンで録音した5曲入りの『The London EP』(2012年)に結実していくわけですが。


●『The London EP』(2012年)


1. slow
2. 日々 Hibi - Every day -
3. Letter
4. Because
5. マイルエンド Mile end



野田  「言語にそこまでとらわれなくてもいいのかな」と感じたことで、無理矢理に英語の歌詞にして歌う必要もないと思えたんです。だから、EPの曲も一曲「Because」以外は、自分が使う日本語で書いて作っていきました。


──そのなかでも、メロディへの意識がより高まったという部分もある気がします。


野田  そうですね。なので、「この方法で作っていってきっと大丈夫」と思えたというか。


●イギリスのとあるスタジオで『The London EP』のレコーディングをしている様子。(野田)



──それで、日本に帰ってきたときの帰国記念ライヴをぼくは見に行ってるんです。その時点では、正直に言って、野田さんの歌をそんなにぼくは知らなくて。


野田  2012年の春でしたね。


──あとになって気がついたんですけど、震災は経験していないんですよね。


野田  そうなんです。BBCのテレビとかで日本で大変なことが起きているというのをひたすら見てました。向こうは、特に悲惨な状態の映像ばかり流すんですよ。ロンドンにいる日本人同士でも集まって「この人とは連絡が取れた」とか、そういう情報交換はしてました。


──じっさいに約1年ぶりに帰ってきた東京は、どうでした?


野田  どうだろうなあ。すこし静かになっているように感じたかもしれません。でも、わたしが帰ってきた時点ですでに震災からすこし時間が経っていたので、わたしがそう感じたのは、震災があったという意識をわたしがかなり持ってしまってるからなのか、ちょっと定かではなかったですけど。


──音楽については、どう思いました? すこし状況が変わって見えたとか?


野田  そうですね。向こうにいたときもラジオから日本の音楽がちょくちょく流れたりするんですよ。金延幸子の昔の曲とか、PIZZICATO FIVEとか。やっぱり日本は発信基地としてこんなに注目されている国なんだなとは思ってました。それで、日本の音楽がすごく好きになって帰ってきました(笑)。「日本っておもしろいな。やっぱりわたし、ここ(日本)が好きだわー」って。


──イギリスにいるときは、他にはどんな音楽を聴いてました?


野田  友人に紹介されて、ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキを初めて聴いたんですけど、衝撃的でした。彼らもメロディと言葉がすごく一体になって、言葉とつながってるメロディを自由に操ってる印象があって、「やっぱり国って関係あるけど、関係ない」とも思えたんです。彼らの作品は向こうで買い漁りました。


──彼らは、デビューは1990年代でしたよね。野田さんが渡英した時点では解散してましたっけ?


野田  そうですね。今はヴォーカルのユーロス・チャイルズがソロでやっていて、彼の作品も聴きました。日本にも彼らを知ってる人は昔からいっぱいいたと思いますけど、わたしにとってはイギリスでの大きな発見でした。国のカラーってもちろん音に出るんでしょうけど、言葉と音のぴったりとした絡み方っていうのは、国籍を超えて共通して発見できるものがあるんです。あと、2014年6月に、ユーロスと前野健太くんのツーマンライブが吉祥寺曼荼羅であったんです! もうそれを知ったときは大興奮で、すぐにチケットを取って。このふたりを組み合わせようとするということは、やっぱりわたしと同じように音をとらえる人がいるんだなと、なんだかうれしく思いました(笑)



──野田さんとゴーキーズの出会いは興味深いです。


野田  あと、ジョアンナ・ニューサムですね。今回のわたしのアルバムの曲「小さな世界」を聴いた人が、彼女の作品を聴いたら「あ、パクってる!」って思われるところがあるかもしれないんですけど(笑)。こんなふうに楽器の音を決まった枠にとらわれずに自由にできるんだというのがすごく衝撃的でした。



──ゴーキーズにジョアンナ・ニューサム。そういう音に惹かれていったって発言には、ファーストのときよりも今の野田さんに「こういう音を作りたい」という意識をはっきり与えた感じがありますね。


野田  もっと自分が「いいな」とか「好きだな」と思う音を、自信を持って出してみようかなと思えたというか。もともとクラシックをやっていたから、そういう音楽とも結びついてイメージが湧くという部分もあります。あと、これはイギリスから帰国後ですけど、『この世界』にたどり着くにあたっての、もうひとり重要なアーティストが、ニーナ・シモンです。


──アルバムだと、どれですか?


野田  『ニーナ・シモン・アンド・ピアノ』ですね。じつは彼女の音楽は最近ようやく聴いたんです。前野くんにすごくお勧めされたのがきっかけでした(笑)。「野田さん、これは買ったほうがいい。とりあえず買って、聴いて!」って言われて、すぐに買いに行きました。このアルバムには、本当に衝撃を受けました。まだ自信がないですけど、いつかわたしも、ひとりの弾き語りを作ってみたいと思いましたし。



──野田さんは思ったら、やるでしょう?


野田  次はそこに向けて、気持ちをシフトしていく気がします。矢野顕子さんも大好きなんですけど、ピアノひとつで世界があそこまで広がるというのは憧れます。


──でも、こうやって話を聞いていると、“ピアノとわたし”みたいな純粋さへのこだわりというより、今は自分以外のいろんな音や人が入っているおもしろさに惹かれていますよね。新作『この世界』を聴いても、頭のなかでも音がいろいろ鳴っている気がします。


野田  今回のアルバムが、本当にそういう作品だったんだと思います。わたしの曲は、自分がやりたいことが言葉とメロディできちんと完結しているつもりなので、だったらもっといろんな人と遊びたいという感じが最近は強いですね。言葉とメロディはもうここにあるので、もっとみんなと遊びたい。みんなと遊ぶことでいろいろな世界を見せてくれることが、ようやく今楽しいと思えてるんです。


──そのひとつが、神保町の試聴室でやっていた月イチ・ライヴ〈マン・ツー・マン〉(2013年10月〜2014年12月/神保町試聴室)で、必ず毎回、野田さんの曲「Letter」を共演するというかたちになっているんですね。すごい顔ぶれで驚きます。pocopenさんから藤井洋平までって幅広すぎですし。



野田  はい。14組の方々とやりました。そこでわたしができることはまだまだわずかだったんですけど、発見したことはいっぱいありました。もっといろんな人と一緒にやってみたいなと思いました。


Vol.1 with 池間由布
Vol.2 with 古川麦
Vol.3 with 吉田悠樹
Vol.4 with 惑星のかぞえかたソロ(石坂智子)
Vol.5 with 潮田雄一
Vol.6 with 見汐麻衣(MANNERS)
Vol.7 with 伴瀬朝彦
Vol.8 with 中川理沙(ザ・なつやすみバンド)
Vol.9 with 倉林哲也
Vol.10 with 安藤明子
Vol.11 with 轟渚
Vol.12 with 藤井洋平
Vol.13 with pocopen(sakana)
Vol.14 with biobiopatata & 野田薫トリオ


●〈マン・ツー・マン〉でのひとこま。藤井洋平さんと「Letter」を演奏している様子です。(野田)



──その「Letter」音源をまとめたCD-R『Letters』が、『この世界』の購入特典になってもいるんですよね。ぼくは、その『Letters』でも、アルバム本編でも感じたというか、発見したことがあるんです。純粋なものってだいたいまっすぐで迷いのないものだってイメージがあるかもしれないけど、本当は自分に対して純粋だからこそ人はふらふらしたりでこぼこしたりするってことに気がつくんじゃないかと。


野田  あ、うれしいです。すごく。わたしも、そうやっていろんな人と一緒にやってみたり、野田薫トリオでやったりしてみて、人と一緒に作るという喜びを最近知っているし、もうちょっとそれをやってみたいと思っているんです。でも、ここからまたわたしがきっとどんどん歌に突き詰めていくからこそ、この次はひとりで弾き語りになっていくのかなって想像はしてるんですけど。


──その根源は、ひとりで家族がいない部屋で泣きながら歌っていたという、一番純粋な場所に戻っていくのかもしれないですね。でもそれを「お客さんがいたらダメ」みたいにするのではなく、人に対しても表現できるようになる境地。そこでさらにすごいものができるんじゃないかなと思います。


野田  そうですね。なので今も継続して訓練中という感じです。今やりたいことは『この世界』ではかたちにできたので、たくさん聴いてほしいですね。次に弾き語りアルバムに行けると思わせてくれた作品でもあるし、参加してくれたメンバーも含め、ぐっとわたしを後押ししてくれる作品にもなりました。


──あとは、ファースト出した後のロンドン行きみたいに姿を消さないで、今度はその姿を見せていてほしいですね(笑)


野田  はい(笑)。次の目標に向けて、もっと音楽をやりたいです。


──じつは、申し訳ないんですが、そろそろこの場は時間切れでなんです。結局、『この世界』のくわしい話までたどりつけなかったですね。あー、本当にごめんなさい。


野田  すいません(笑)。途中、峯田さんの話とかでわたしが興奮しすぎてしまって(笑)


──いやいやいやいや、あれは野田さんを作った重要なエピソードでしたよ。なので、『この世界』の話は、また日をあらためてインタビューさせてください。


野田  はい!


(2015年5月23日、高円寺円盤/第4回につづく)


====================


野田薫 ライヴ・スケジュール》


7月26日(日)
神保町 試聴室
OPEN 18:00 START 18:30
予約: 2,500円 (+1ドリンク、スナック込)
出演: 野田薫 / 古宮夏希 / やく


8月12日(水)
高円寺 Cafe&Bar U-hA
OPEN 19:00 START 19:30
2,000円 (+1drink)
出演: グルパリ / 野田薫 / 山田真未


10月4日(日)
「伴瀬朝彦まつり〜3〜」
渋谷 7th FLOOR
OPEN 18:30 START 19:00
前売: 2,500円 当日 3,000 (ともに1ドリンク代別)
出演:
伴瀬朝彦
カリハラバンド《服部将典/ みしませうこ / 遠藤里美 / 河合一尊》
biobiopatata《遠藤里美 / てんこまつり / ホンダユカ / ハラナツコ / 菅原雄大 / 林享》
生嶋剛(ペガサス)/ 兼岡章(ペガサス)/ 片岡シン(片想い)/ 野田薫


11月22日(日)
野田薫トリオ in 名古屋



====================


ライター、森豊和さんによる野田薫インタビューも公開されています。


SYNC4 : 【interview / インタビュー】野田薫Kaoru Noda 『この世界』