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なにかあり/とくになし

野田薫のありのまま 野田薫インタビュー その4

シンガー・ソングライター野田薫インタビュー、第4回にして最終回。


前回までのインタビューは、5月に高円寺円盤での公開イベントとして行われたもの。今回は、そこからはみ出した話を、あらためて6月に阿佐ヶ谷のRojiで取材したものだ。


だが、話の内容としては、新作『この世界』について、がっつりとしゃべってもらっているので、〈ボーナス・トラック〉といいつつも、じつはこれこそが〈本題〉なのだった。


では、『この世界』についての、ありのままの話をどうぞ。


前回までのインタビューはこちら → 
野田薫のありのまま 野田薫インタビュー
その1
その2
その3


野田薫ホームページ


メタ カンパニー:野田薫『この世界』販売ページ(特典CD-R『Letters』情報あり)


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●『この世界』(2015)


1. おはようさん
2. リズム
3. あとかた
4. 気配
5. 帰り道は楽しい
6. 夏のおわりに
7. ラジオ
8. 小さな世界


野田薫
西井夕紀子
角飼真実
あだち麗三郎
表現(Hyogen)
  佐藤公哉
  権頭真由
  古川麦
  園田空也



──『この世界』について、あらためてたっぷり話を聞きたいと思います。ロンドンから2012年に帰ってきて、ライヴを重ねてきて、いよいよアルバムを作ろうと思ったのはいつごろなんですか?


野田  じつは、アルバムのことを思いながらも、どういうかたちにしたいかというのがあんまりはっきり頭のなかになかったんです。曲は作っていたし、“いつかできたらいいな”くらいの気持ちでした。ちょうど試聴室での〈マン・ツー・マン〉もやっていたので、むしろ毎月ライヴをやるということのほうに重きを置いていたんです。ライヴをやって、他のミュージシャンに出会っていくことがおもしろくて。


──そうなんですね。


野田  それが、その試聴室のピアノが、もうすぐなくなりますという話がでてきたんです。「野田さんが〈マン・ツー・マン〉をやりきるまでにはあるようにしておくから」とは言われたんですけど、わたしは試聴室のピアノが大好きだったので、なくなること自体がショックで。「じゃあ、このピアノでアルバムを録りたい!」って思ったんです。


──なるほど。録るべきタイミングが向こうからやってきた。


野田  そうなんです。あのピアノでなにかを残したいというのが動機のひとつになりました。それと同時に、ちょうど試聴室で表現(Hyogen)がヨーロッパ・ツアーから帰ってきてのワンマンをやった日があったんです(2014年10月7日)。そのライヴを見たときに「表現(Hyogen)とわたしの共演を、ここ(試聴室)で録ってもらったら最高だな」って思ったんですね。もともとは去年の〈フジサンロクフェス〉(2014年8月15日、16日/写真家の鈴木竜一朗が主宰し、静岡の御殿場市で開催される、世界に稀な自宅音楽フェス)で、表現(Hyogen)と共演させてもらって、一曲「Letter」を一緒にやったときから、その共演がわたしのなかであまりにも衝撃的すぎて、いつかは音源でも一緒にやりたいと思っていたんです。その話を当日、たまたま試聴室で表現(Hyogen)のPAをやっていた三浦(実穂)ちゃんに話したら、「野田さん、それ録りましょうよ」って言ってくれて。




──〈フジサンロクフェス〉も、きっかけにあったんですね。


野田  はい。あのとき、わたしの曲が表現(Hyogen)によって成仏したように思えたんです。


──“成仏”しちゃったんですか!


野田  本当に。天にのぼっていくような衝撃を受けたんです。


──“成仏”したらもうその曲なくなっちゃうじゃないですか(笑)


野田  そうなんですけど、感覚はそれに近かったんですよ(笑)。曲に込めた個人的な思いが、人の手が加わることで結構意外な方向に飛んでいって、そのことで“わたしの思いが浮かばれた”って思えて。そういう感動があったんです。とにかく、その感動があったので、「アルバムを録りたい」と決めたときは、表現(Hyogen)にはすぐに声をかけようと思ってました。あと、もちろんトリオのメンバーと、あだちくんも。で、そこからはトントン拍子だったんです。試聴室の予定と三浦ちゃんの予定とわたしの予定がピタッと合った日に、「まずピアノだけ録っちゃいましょう」ということで、わたしが録りたいと思っていた7曲を試聴室のピアノでまず録って、それがベーシックになりました。どういうアルバムにしたいかは、そこからもっと具体的に考えていきました。


──なるほど。じゃあ整理すると、試聴室のピアノがなくなるという期限と、表現(Hyogen)と一緒にレコーディングしたいという気持ちの高まりと、このふたつが新作へのスタートラインを作ったということなんですね。


野田  そうです。録るのが先に決まりました。


──でも、アルバムに入れる8曲はすでに決めていた。


野田  はい。曲ごとに一緒にやりたい人も決めていたけど、じゃあどうやってそれをアルバムとして見せていこうかというのは、あとからでした。それで、この8曲で一本の映画のようなストーリー性のあるアルバムを作ってみたいと思うようになりました。


──曲順は?


野田  ざっくり決めてはいたかな? 一本の映画にするには、この曲が最初かなとか。


──〈マン・ツー・マン〉みたいなおもしろい企画を月例でやっていたわけだから、その共演の数々から得た関係性をそのままアルバムに反映していくという方法もあったと思うんですけど。


野田  それは思わなかったですね。なんでだろう? 継続して毎月「Letter」の共演を録り溜めしていたので、そっちはそっちで別のかたちに残そうと思っていたんでしょうね。


──アルバムは映画みたいにしようという話でしたけど、たとえば誰のどんな映画をイメージしてました?


野田 今回思ったのは、エミール・クストリッツァです。「アンダーグラウンド」とか「ライフ・イズ・ミラクル」とか、結構不幸なことが起こってるのに「わー!」って盛り上がっちゃうというか。あの強さがいいなと思って。あんまり湿度が多めにはわたしはしたくないし、クストリッツァの映画みたいに一本を通してああいうふうに光が見えるようにしたいと思ってました。




──そのために意識してやった作業って、どういうものでした?


野田  緩急みたいな意味で物語っぽくしたかったわけなんですけど、まず思っていたのは、表現(Hyogen)が加わる2曲「夏の終わりに」と「ラジオ」の間にちょっとしたセッションみたいなパートを入れたりすることでした。あの2曲に関して言うと、夏の記憶がそのままフィードバックして、自分の子ども時代に戻って、そのときラジオを聴いてたな、みたいなことを考えた部分があったんです。〈フジサンロク〉で表現(Hyogen)と一緒に「Letter」をやったときから、“昔に還る”みたいなイメージはすごく強かったので、まずその2曲は彼らにやってもらうというのは決めてました。にぎやかな曲があっても、表現(Hyogen)の演奏によるこういうイメージがあることでぐっと情緒的というか、ノスタルジックになって、でもそこからまたからっといくような流れが作れるという意識はありました。わたしは、ちょっとさみしい部分があっても明るく見せる映画監督が好きなんです。


──そういう自分なりのコンセプトを意識的に音楽に落とし込もうとしたのは、今回が初めてですか?


野田  そうです。自分の考えでやったというのは今回が初めてだったので、具体的な音の指示とか、どうしたらいいかをすごく考えました。自分以外の人への細かい指示に、わたしは結構苦手意識があって、だからこそ、わたしの感覚的な言葉をそのまま投げてもうまくキャッチしてくれるミュージシャンにお願いしたというのはあります。コーラスの部分以外でわたしが細かく指示した部分って、全体を通してもちょっとしかなくて、ほとんど彼らにおまかせしたんです。


──「ここにはこの音が必要なんだ」っていう感じの細かいディレクションではない。


野田  ほぼないです(笑)。わたしはライヴでも音源でも、いつもいろんなミュージシャンに甘えっぱなしなんです。


──でも結果的に音像はすごく豊かですよね。野田さんと一緒にみんながイメージや記憶のなかで遊んでるような感覚がある。


野田  それはもう、わたしの本当に大ざっぱな指示をキャッチしてくれる人たちにわたしは恵まれたんです。でも、音の動かし方とか、ミックスの面での作業は三浦ちゃんとすごく遊びました。作業をしていて「ユッキー(西井夕紀子)だったら、ここは歩いて弾くよね」みたいな話が出たら、「じゃあ、ここからここまでどんどん音を動かそう」って言って、そうやってみたらじっさいに歩いてる感じが出て感動したり。「(権頭)真由ちゃんだったら、ここらへんでこういう音出すよね」ってなったら、「じゃあもうちょっと遠くの配置にしよう」とか。そういうふうに個人の音がいつもどういうふうに鳴っているかを考えてやりました。三浦ちゃんも彼らのことはみんな知ってるからできたことですけど、そういう音作りの作業はすごく楽しかったです。「ベースだからこういう音で」とかいう固定観念じゃなく、彼らのパーソナルなほうを見たんです。


──人から考えた結果の音。音や技術で判断するというより、その人の人柄や行動で決めてくっていうのがおもしろいですね。


野田  そうですね。本当にこのメンバーじゃなかったら、こういう音にならなかったなって思いますね。あだちくんにもサウンド・アドヴァイザーとして関わってもらって、最初は、この音がこう鳴るときちんと成り立つという枠組みをまず作ってくれたんです。でも、そこでわたしと三浦ちゃんは「すごくいいサウンドでばしっと決まってるんだけど、なんかもっと崩せないか」って考えて、ふたりで“音を動かす”って方法を思いついて。あだちくんにいい配置でいい音を作ってもらったのに、それをわたしたちで崩して、またあだちくんを呼んで違う曲の配置を作ってもらって、というのを繰り返しました。もちろん、最初にかっこいい音を作ってもらってるので、わたしたちが崩していけるんですけどね。あだちくんの力を大いに借りて、わたしたちで大いに遊ぶということをやったんです。


──それはおもしろい作業だったでしょうね。そこで音だけにフォーカスして遊んでしまったら、もしかしたら下手な自主映画みたいになっていたかもしれないけど、人対人の通じ合いとか、思いやりみたいなものがあるせいで、ちゃんとしたドラマに感じられましたよ。


野田  はい。わたしと三浦ちゃんが一番盛り上がったのは、ミックスだったんです(笑)。それがあったから結果的に、ちゃんと一本の映画のように登場人物みんなのキャラクターを出したふうな音にできたんじゃないかなと思います。


──アルバムの軸を定めたと自分で思える存在の曲はどれですか?


野田  どれだろうな? アルバムのなかで一番古いのは「おはようさん」か「あとかた」で、2013年の初めのほうだったかな。あの2曲は、テニスコーツのライヴをよく見に行ってたことが大きいんですよ。もともとの出会いはロンドンだったんですけどね。



──そうなんですか。


野田  当時、Cafe OTOってところでわたしはボランティアスタッフをしていて。


──ああ、野田さんがアルバムにも参加したイギリス人シンガー・ソングライター、ジェームス・ブラックショウの奥さんになった女性も同僚だったという。


●ジェームス・ブラックショウ『サモニング・サンズ』(2014年/野田薫、森は生きている参加。野田さんは「Towa No Yume」の日本語詞も提供している)


野田  はい。そこにテニスコーツがライヴで来たんです。そのときに植野さん、さやさんと話をして、「次の日もおいでよ」って言われて見に行って、飲みにも行って(笑)。別の機会でテニスコーツスウェーデンでライヴをやるときも、わたしはロンドンからスウェーデンまで行ったりして。それで帰国してからもテニスコーツのライヴを何回も見ているうちに、植野さんが「やっぱり曲ってどんどん作っていったほうがいい」みたいな話をしてくれて、それで思い立って作ったのが「おはようさん」や「あとかた」なんです。「おはようさん」は、ある日の朝の感じでわーっと作ってみた曲でした。「あとかた」も、さやさんの身振り手振りや言葉とかに影響を受けて作った曲です。


──そのときの曲作りの方法って、言葉が最初にあって曲をつけていた初期とは、ちょっと違うものになっていたんじゃないですか?


野田  そうですね! 違う感じで作りはじめたのは、「コンスタントにどんどん作ってみたら?」っていう植野さんの話があったからです。それまではそういう作り方をしたことがなかったけど、いつもより早いペースであえて曲を書いてみたのが、そのあたりなんです。そういえば、「あとかた」を作ったときは、ユッキーとか身近な人たちにも「変わったね」って言われたんですよ。自分では「あ、そうなんだ?」って感じで、無意識だったんですけど(笑)


──いい意味で「変わったね」なのか、そうじゃないのか、迷いますよね。


野田  そう、だから「どっちなの?」って聞いたら、ぜんぜんいい意味でした(笑)。「違うステージに入ったんじゃないかって思った」みたいなことを、確かあだちくんにも言われました。それでわたしは「じゃあ、この作り方でも大丈夫かな」って思ったんです(笑)。だから、『この世界』は、前の2枚とは違う作り方をしてできた曲もいくつかあります。


──『あの日のうた』は、言葉やメロディに対する大切さの度合いが高いですよね。もちろん『この世界』ではそれが大切じゃなくなったという意味ではなくて、もっと自由なつきあい方になったように感じました。


野田  はい、自分でもそう思います。


──言葉と音をひたすら吟味して「これだ!」とたどり着いた結果が歌になっていたのが『あの日のうた』で、もっとふらっと寄り道したっていいじゃないと思えるのが『この世界』で。


野田  そうですね。まったくその通りだと思います。『あの日のうた』のころは、曲作りをはじめて間もなかったというのもあるんですけど、友だちにも「もうちょっと気軽に曲が作れるようになってもいいんじゃない?」って言われたりしてました(笑)。一個一個が重めというか、あの時期は、自分が完全にまっさらな状態にならないと、言葉とか音が自然と浮かんでこなくて。ちょっとでも音に迷ったら、夜中だろうがすぐに外に出て、いろんなものを見てそこからインスピレーションを得て音を降ろしていくみたいなことをやっていましたね。体力勝負でした(笑)


──「あとかた」を聴いて「変わったね」って言った人の気持ちが、ぼくもなんとなくわかるんです。ぼくの場合は最初の「おはようさん」から、そう思いましたね。力が抜けたというか、曲がどこにでも行けそうなおもしろさがあると思ったんです。テニスコーツがその背景にあったという話もうなづけるし。でもそれは“触発された”ということであって、たぶん、もともと野田さんのなかにあったものだったんじゃないかなと思いますよ。


野田  テニスコーツのやってることに対しては、本当に憧れが強いんです。あんなふうに音と遊んで素敵だなっていう。でも、今回のアルバムを作って、やっぱりわたしに大事なのは言葉とメロディのしっかりした関係性だなっていうのは、逆によくわかったことでもあるんです。違う作り方になってもそれは変わらなかったと思います。曲の感じは変わったのかもしれないですけど、自分の気持ちは、またちょっと『あの日のうた』のころの作り方に自然と戻ってきていて。


──戻るというより、あたらしいものになっていきそうですけどね。いくらでも寄り道でも回り道でもできる自信がついた結果として。


野田  歌詞的に、最初のころに近いなと思えるのは、アルバムのラストの曲「小さな世界」なんです。もともと、この曲の最初のタイトルが「この世界」だったんですけど。



──そうなんですね。


野田  ロンドンで生活してからこっちに帰ってきたときに、向こうでもこっちでの生活につながる人たちに出会ったりして、結局、大きなサークルのなかに自分がいるというのをすごく思ったんですね。自分が居たい場所とか居る場所って、どこに行ったとしても、このひとつの大きな円のどこかに収まっていたりする。そこで出会うべき人と出会ってるんだと思ったことを、ざっくりと「この世界」って表現してたんです。でも、そのあとに、自分の身の周りにいる、つながる人、途切れない人、これからつながっていく人っていうのを考えて、“この”を“小さな”に変えちゃったんです。


──でも、それはわるい意味での“小さな”じゃないですよね。


野田  ないです。


──自分の手が届くとか、歩いて会いに行けるとか、そういう意味でのつながりの確かさを持つ“小さな”で。


野田  そうです。だから内容的には、この曲には2014年に一番思ったことが入っています。


──アルバム・タイトルとしての『この世界』を残したのは?


野田  わたしの思う『この世界』と、これを手にとってくれる誰かにとっての『この世界』とがあって。その人が“どの世界”を思うのかはそれぞれいろいろでよくて、わたしのなかの“この世界”はこれでしたけど、この言葉ならもうちょっと広い意味でいろんな人にも伝わるかなって思ったんです。


──それぞれ違う『この世界』があっていい。


野田  そうですね。そのなかのひとつの物語がこのアルバムであって。


──アルバム・ジャケットと、『この世界』って言葉も、すごく呼応したイメージがありますよね。そういえば、このジャケットですけど、最初は写真にしたくなかったそうですね。すごくいいのに。


野田  いや、写真に映る自分があんまり想像できなくて(笑)。わたしは、音にあんまりイメージをつけすぎたくないという思いがあって、抽象的なイメージのほうが好きだったんです。でも、わたしの大学時代の同級生である長州ちからくんが、「シンガー・ソングライターは顔を前に出してこそだ!」みたいなことをすごく言うんですよ。「柴田聡子さんとかを見習いなさい。今度アルバム作るときは絶対にそうしなさい」って(笑)。それで、自分が映るかどうかは別として、写真をジャケットにするという案でやってみようかなと思ったんですよ。今回は『この世界』というタイトルにしたこともあって、“自然のなかにわたしがいる”みたいな写真にしようと思って、竜ちゃん(鈴木竜一朗)にお願いしました。ちなみに、この写真で、わたしは木になりすましてるんですよ。


──あ、このポーズは木だったんですか。


野田  自然のなかに溶け込んでるんだけど、どこか異物感を出したくて。竜ちゃんにも「わたしがこういうことをするから、このへんに写して」って言って、結構細かく指示を出しました。


──この撮影は、朝ですよね。


野田  そうですね。朝の光がいいだろうって思ったんです。じつはそのとき、まだ竜ちゃんには音源を聴かせてなくて、行きの電車のなかで全部聴いてもらったんですよ。そしたら「野田ちゃんが朝のほうがいいって言ってる理由がわかった」って言ってくれて。それで、湘南の海に行ってたくさん撮ってもらったうちの一枚なんですよ。


──でも、ぼくが長州ちからくんだとしたら「顔がわかんないじゃないか!」って言いますね(笑)


野田  長州くんにもすぐにそう言われました! 「もっと顔が出たらよかったんですけどね。誰かわかんないじゃないですか」って(笑)


──確かに(笑)。でも、これはいい写真だし、いいジャケットですよ。


野田  今年、酒井幸菜さんというダンサーの方とたまたま共演する機会があったんですけど、そのときに彼女がわたしの曲に合わせて踊ってくれたのに本当に感動してしまって。だからこれは、わたしなりに彼女をイメージしたポーズなんです。竜ちゃんは彼女の撮影もしたことがあるので、そのことを伝えたら「そしたらもっと背筋伸ばしてみて!指先までしっかり意識して!」とか、いろいろアドバイスをくれました(笑)。で、もともと、このあとは山のほうも下見に行く予定もあったんですけど、「これでもう撮れたね」って感じになったんで、あとは観光して打ち上げました(笑)


──ライナーにはもう一枚、野田さんの手の写真がありますね。



野田  こっちは竜ちゃんのイメージで撮った一枚です。「ピアノじゃなくて海を弾いてるようなイメージでちょっとやってみて」って言われました。竜ちゃんが撮る手の写真、前から素敵だなと思ってたんです。彼もざっくりとしたイメージを汲み取ってくれる人なので、写真だったら竜ちゃんかなと思ってました。


──〈フジサンロクフェス〉から生まれた関係をふんだんに使って。


野田  そうですね(笑)


──『あの日のうた』も『The London EP』もそれぞれその時点での野田さんの名刺代わりになってきたと思うんですけど、このアルバムの完成度は、シンガー・ソングライター野田薫にとっての名刺以上の存在になると思いますよ。なんていうか、歌が自分から離れたものになりつつある、いい意味で、ですけど。


野田  そうですね。不安と希望との葛藤のなかで手探りで作ったアルバムですけどね。わたしが働いているなぎ食堂の小田(晶房)さんや見汐(麻衣)さんには本当に相談によく乗ってもらいました。


──自分で自分をプロデュースしたわけだから、そういう意味での自問自答はあって当然と思うんですけど、野田薫野田薫的現在がちゃんと作品として一般性のあるものになってますよ。この先どう変わっていっても大丈夫な感じがあります。「野田薫はこれじゃなくちゃダメ」じゃなくて「これがあるから、野田薫はなんでもやれる」みたいな。


野田  でも、自分がいいと思ってるものをかたちにするという意味では、元をたどれば、やっぱり『あの日のうた』が一番自信の素にはなってるのかも。


──次の野田薫は、これまでの野田薫とこれからの野田薫が混ざり合うことで、もっと変わっていく気がします。


野田  そうですね。


──長州くんにも、また「今度こそは顔を出すように」と言われ。


野田  「近めで」って(笑)


──すごく根本的な質問を最後にしますけど、音楽はずっとやっていきたいですよね? 作品を作って、人前に出て、自分の音楽を歌っていきたいという意味ですけど。


野田  そうですね。今はそう思います。これからさらにエンジンがかかる気がすごくするんです。最初の2枚を作ったときは、「これからわたしはどうなるのかな? どういう音がやりたいのかな?」ってよく思ってたんですけど、『この世界』ができたことで「あ、そうか! わたし、こういうのが好きなんだ。こういうのを大事にしたいんだ」って気づくところがあって、それが前の2作よりもはっきり見えた感じがあるんです。なので、未来を見据えてのこのアルバムなんだなっていうことは自分でも思いました。前の2枚は、作った時点で「あー、作ってよかった」っていう感動があって、そこでそれぞれ完結してたんです。でも、今回はこの先を見据えてる部分がある。それは過去にはなかった経験かな。


──しばらくは『この世界』と一緒に歩いて行けそうですね。


野田  このアルバムで見えたことがあるから、「じゃあ、もっとこういうことをやりたい」っていうのがありますね。こないだも話しましたけど、ニーナ・シモン矢野顕子、ゴーキーズのユーロス・チャイルズもやっている全曲ピアノ弾き語りのアルバムを録るまでは、当分やめられないですね。


──ピアノ弾き語りのライヴは野田さんもいっぱいやってるけど、作品として残すということになると、一番高いハードルなんですよね。矢野さんも映画(『SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女』1992年)で弾き語りレコーディングの現場を見ると、めちゃめちゃ緊張感あって怖いですもんね。あの親しげな“アッコちゃん”なんかどこにもいない(笑)


野田  そうなんですよ。弾き語りって、だいぶストイックな行為だと思います。わたしはピアノ一本だけで世界を成り立たせるには、まだまだがんばらなくちゃいけないですね。今の自分の実力でどこまでできるのかということと、自分の曲のなかでの理想とが、まだ結びついてないんですよ。今はそこをだんだん俯瞰して見られるようにはなってきている、その途中かなと思います。ピアノと声だけを使って自分を完璧に表現できるようにはなりたい。それまではがんばらないと。


──そのときに、誰も近寄れないこわい野田薫になってるのか、それともやっぱりみんなとわいわいがやがややってる野田薫なのか、楽しみですね(笑)


野田 そうですね。ただ、ちっちゃいころにわたしが勝手に単調なピアノに乗せて歌ってて、それも泣いたりしてた、そのちっちゃな殻にこもった世界を、もうちょっと自分の力で成仏というか、脱出させてあげたいというのは思ってます。このノンフィクションすぎるものをもっとフィクションに近づけて、物語にできないかなというか。そこを救ってあげられるのが、もしかしたら自分かもしれない。そこはわたしの好きな映画監督にならって、自分の音楽で現実にファンタジーを持たせていきたいんです。


(2015年6月16日、阿佐ヶ谷Roji/おわり)






●レコーディングに参加したミュージシャンを迎えての『この世界』リリース記念ライヴより/2015年7月7日、渋谷7th FLOOR/撮影:鈴木竜一朗)


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野田薫 ライヴ・スケジュール》


7月26日(日)
神保町 試聴室
OPEN 18:00 START 18:30
予約: 2,500円 (+1ドリンク、スナック込)
出演: 野田薫 / 古宮夏希 / やく


8月12日(水)
高円寺 Cafe&Bar U-hA
OPEN 19:00 START 19:30
2,000円 (+1drink)
出演: グルパリ / 野田薫 / 山田真未


10月4日(日)
「伴瀬朝彦まつり〜3〜」
渋谷 7th FLOOR
OPEN 18:30 START 19:00
前売: 2,500円 当日 3,000 (ともに1ドリンク代別)
出演:
伴瀬朝彦
カリハラバンド《服部将典/ みしませうこ / 遠藤里美 / 河合一尊》
biobiopatata《遠藤里美 / てんこまつり / ホンダユカ / ハラナツコ / 菅原雄大 / 林享》
生嶋剛(ペガサス)/ 兼岡章(ペガサス)/ 片岡シン(片想い)/ 野田薫


11月22日(日)
野田薫トリオ in 名古屋



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ライター、森豊和さんによる野田薫インタビューも公開されています。


SYNC4 : 【interview / インタビュー】野田薫Kaoru Noda 『この世界』