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なにかあり/とくになし

ザ・ロスト・ウィークエンド

 報せは突然だった。


 カリフォルニアのウェスト・ハリウッドにあるライヴハウス、ラルゴで、2015年5月8日、9日の二夜にわたって、ヴァン・ダイク・パークスが“ラスト”・ライヴ〈ザ・ロスト・ウィークエンド〉を行うというのだ。


 一瞬「え? 引退コンサート?」と動揺したが、これはあくまでピアノを弾きながら自作曲を歌うシンガー・ソングライター的なパフォーマーとしてのラスト・ライヴとのこと。72歳を迎えたこの天才はこれまでの活動に一区切りを着け、音楽家として次のステップを目指すのだという。


 とは言うものの、1968年にリリースされた革命的なファースト・ソロ・アルバム『ソング・サイクル』を皮切りに、21世紀に入ってのアナログ・シングル6枚連続リリースから結実した近作『ソング・サイクルド』(2013年)に至るまでの、佳作でありながらひとつひとつが濃密な約半世紀のキャリアに、ひとつの句読点を打つ催しであることは間違いなかった。会場に選ばれたラルゴは、ジョン・ブライオンエイミー・マンも寵愛する、古い映画館を改装したライヴハウスで、キャパは250人程度。当然両夜ともソールドアウトした。アメリカ音楽界の偉人の節目のコンサートの場所としては不釣り合いなくらいの小ささだが、音楽で過去のアメリカと現在、未来の音楽をつなげてきた音楽人生を思うと、むしろここラルゴにある古さもあたらしさも一緒にある時空間こそがふさわいいシチュエーションであるとも感じられた。


 2晩のコンサートのために用意されたバンドは、ストリングス6名、ベース、ドラムス、ギター、ハープ、そしてヴァン・ダイクのピアノという構成。さながらミニ・オーケストラのようにクラシカルな演奏を繰り広げたかと思うと、アメリカ南部やカリブ海のグルーヴにも対応できる自在なミュージシャンたちが揃った。そこに登場したスペシャル・ゲストは、以下の通り。旧知のイナラ・ジョージ(8日)、ギャビー・モレノ(両日)、ニュージーランドからこの日のために駆けつけたキンブラ(9日)といった女性シンガーたち、名プロデューサーでもあるジョー・ヘンリー(両日)、グリズリー・ベアのダニエル・ロッセン(両日)、ローウェル・ジョージに捧げるスライドギターがすごかったジョー・ウォルシュ(9日)。そして、8日のライヴが始まるにあたって司会として挨拶をしたのが、ヴァン・ダイクの70年代以来の親友であるモンティ・パイソンエリック・アイドル! いきなり度肝を抜かれた!


 エリック・アイドルが場内を毒舌で爆笑させてヴァン・ダイクを呼び出すと、蒸気機関車が到着した駅の雑踏の音が場内に流れた。「ここはどこだ?」と、あたりを見渡しながら、ピアノを離れ中央に歩み出すヴァン・ダイク。それはかつて彼を生まれ故郷のテキサスから南カリフォルニアに連れてきた汽車の音の再現だった。オーケストラに向かって、すっと腕を振り上げると、その柔らかい弦の調べと同時に、一曲目が始まった。


 「That's the tape that we made...」


 一瞬気が遠くなるかと思った。それはあの『ソング・サイクル』の幕をおごそかに開ける曲、「ヴァイン・ストリート」。ランディ・ニューマンの曲だ。信じられないことに、この日、客席にはランディ・ニューマン自身がいた。それだけじゃない。ヴァン・ダイクとともに60年代末のあの魔術的なバーバンク・サウンドを作り出したプロデューサー、レニー・ワロンカーも、1960年代に若き二人を雇って未来を託したワーナー・ブラザーズの社長、モ・オースティンもいた。彼らが見ている前で、ヴァン・ダイクが「ヴァイン・ストリート」を歌い、演奏しているという事実は、その場に居合わせたすべての観客を、1968年『ソング・サイクル』制作中のバーバンクに引き戻したはずだ。


 グアテマラ出身の女性シンガー、ギャビー・モレノが基本的にヴォーカル面でのさまざまなサポートを行い、ゲストが曲によって入れ替わりに登場するかたちでコンサートは進行した。ビーチ・ボーイズの「英雄と悪漢」(1967年)、『ディスカヴァー・アメリカ』(1972年)、『ジャンプ』(1984年)、ブライアン・ウィルソンと制作した『オレンジ・クレイト・アート』(1995年)と、重要な作品から重要な曲がピックアップされていく。ブライアン自身がラルゴに現れることはなかったし、ランディ・ニューマンも舞台に上がらなかったが、ヴァン・ダイクは、彼が一緒に仕事をし、大きな影響を受けてきた偉大な音楽家たちの楽曲をカヴァーすることで、音楽そのものをスペシャル・ゲストとして丁重に扱った。


 ナッシュヴィルの鬼才ジョン・ハートフォード、ニューオリンズアラン・トゥーサン、親友ハリー・ニルソン、19世紀の作曲家ルイス・モロー・ゴットシャルク(ラルゴのロビーの片隅には、ゴットシャルクの古いポスターが貼ってある)、イナラの父であるローウェル・ジョージカリブ海で見つけた神秘の楽器スティール・パンのプレイヤーたち、陽気で知的なカリプソ歌手たち……。まるでヴァン・ダイクが書き換えてきたアメリカ音楽の歴史と地図の俯瞰図を、目の前で見せられているよう。


 そういえば、ヴァン・ダイクにはこんな話も聞いた。何年か前、ノースカロライナ州のアッシュヴィルという街で行われたフォーク・フェスティヴァルに出演したときのこと。街を歩いていたら、通りの向こうからジョン・ハートフォードとロバート・モーグ博士が談笑しながら、こっちにやって来たという! 「モーグ博士は、アッシュヴィル出身だったんだよ。そして、ハートフォードと博士には交流があったんだ。ものすごい天才ふたりが一緒に歩いているのに、周りの人は誰も気がついてなかった」それもまた、音楽の教科書には書かれていない歴史のひとつだ。


 かつてインタビューしたとき、ヴァン・ダイクは「どんな時代であれ、音楽とは異文化を伝える最良の手段なのだ」という意味のことを言っていた。人間が移動することで、その人の知っている歌や音も伝わっていく。そして、知らない場所で知らない文化と交わって、新しい何かが生まれていく。その最良の神秘と成果のひとつが、はっぴいえんどの「さよならアメリカ さよならニッポン」でもあった。21世紀を迎えて、戦争や環境破壊などいろいろな憂慮や絶望はあっても、ヴァン・ダイクが今も前を向いている理由は、根本にその信念があるからだろう。この巨人はスマホを使い、Youtubeを今も丹念に検索し、SNSをおそれない。そして、自らの新しい音楽キャリアへとアクセスを続けていく。


 両夜のMCでもヴァン・ダイクの脳内メモリーから引き出される逸話の数々は、健在だった。スコット・フィッツジェラルドアーネスト・ヘミングウェイの友情とその決裂について語ったり、近年カリフォルニアを襲う飢饉の深刻さと政府の無策(「アワ・ウェット・ドリーム・イズ・オーヴァー」と彼は表現した)にも言及をした。福島原発の事故収拾と海洋汚染についても彼の関心は高い。だが、一方的に権利を主張したり、誰かを非難することではこれらの問題がもう解決できないことも知っている。「自己顕示欲で生きてる場合じゃない。世界中が力をあわせなくちゃいけない難局がこれから来るんだから」と、ヴァン・ダイクは観客に語りかけた。


 コンサートの終盤、ヴァン・ダイクはピアノを離れた。そして、6人のストリングスを従えて20世紀を代表するビートニク詩人ローレンス・ファーレンゲッティ(サンフランシスコの書店〈シティ・ライツ・ブックス〉の店主で、95歳の今も健在)の詩「アイ・アム・ウェイティング」を歌うように朗読した。チェンバー・ミュージックとポエトリーを融合させた表現で、このすばらしい言葉の芸術を伝える表現を、自らのネクスト・ステップでは追求したいのだと彼は言った。音符と言葉にまみれて生きてきたヴァン・ダイクらしいチャレンジだと思えた。


 コンサートは両夜ともに3時間に及ぶものだった(2日目は休憩を挟む構成になったので3時間半を超えた)。


 2日目のアンコールで、ヴァン・ダイクは、予定の曲を演奏しようと準備するバンドを手で制すと、ヴァン・ダイクはひとりでピアノを弾き始めた。もしかしたら、もともとは演奏の予定になかったのかもしれない(初日は演奏されなかった)。その曲は「オール・ゴールデン」。1965年、ピアニスト、カーメン・キャバレロの演奏を見て書いたとヴァン・ダイクが語ったこの曲は、実質的に『ソング・サイクル』制作の原点にある存在だ。その白昼夢のような響きは、この音楽家が見ていた半世紀の夢を宝箱にしまいこむエンディングテーマのようでもあったし、長く彼とともに音楽を奏でてきたピアノとのお別れの場面を見ているようでもあった。その過去は、まるで未来のように光で揺らめいていた。息をこらえているうちに涙が出た。


 「オール・ゴールデン」を弾き終えて、猛烈なスタンディング・オベーションが巻き起こるなか、「さて、これが私のスワン・ソングだよ」と笑うと、バンドがカリプソを奏で出した。最後はカーニバルじゃなくちゃね。その曲は「アナザー・ドリーム」(『ヤンキー・リーパー』1975年)。


 “スワン・ソング”とは、日本語では“辞世の歌”。こうしてヴァン・ダイクは、ひとつの音楽人生にさよならをした。終わりがあるからその次がある。カリプソのリズムに見送られ、辞書ほどの厚みのある譜面の束を抱え、舞台を降り、旧友たちと握手して、客席を抜けていった。ドアを開けたその先には、もう次の夢が待ってる。


Van Dyke Parks "The Lost Weekend" at LARGO, LA
2015/05/08, 09
setlist (incomplete)


Vine Street (Randy Newman cover)
Heroes and Villains (The Beach Boys cover)
Palm Desert
FDR in Trinidad
Sail Away
Jump!
Opportunity for Two
Come Along
An Invitation to Sin (feat. Inara George / Kimbra)
He Needs Me (Harry Nilsson cover) (feat. Kimbra) *09 only
Riverboat (Allen Toussaint cover)
Delta Queen Waltz (John Hartford cover)
Danza (Louis Moreau Gottschalk cover)
Night in the Tropics (Louis Moreau Gottschalk cover)
Orange Crate Art
Cowboy
I Am Waiting (Lawrence Ferlinghetti poem)
Sailin' Shoes (Lowell George cover) (feat, Daniel Rossen / Joe Walsh)
Death Don't Have No Mercy (Reverend Gary Davis cover) (feat. Joe Henry)
The All Golden *09 only
Another Dream


曲順、曲目は両日で多少異なりました。




photos by courtesy of Lincoln Andrew Defer


(『CDジャーナル』2015年7月号掲載の原稿を、編集部の許可を得て加筆訂正して掲載しました。)