mrbq

なにかあり/とくになし

2003年の「Fakebook」

2003年にP-Vine Recordsからヨ・ラ・テンゴの「フェイクブック」(1990年)がリイシューされるときに、ライナーノーツを書かせてもらった。


どういうわけかそのCDが手元になく、今はもっぱらリイシューされたアナログで聴いているのだが、古いファイルを整理していたら、幸運にもそのときのライナーの元ファイルを発見した。日付を見たら10月29日で、その前の日に、ぼくは35歳になっていたというタイミングで書き上げたらしかった。たぶん、しめきりには遅れていたでしょう!


ヨ・ラ・テンゴの新作「スタッフ・ライク・ザット・ゼア」は「フェイクブック」の続編としての性格を持つアルバムだし、その新作をたずさえての来日公演には、いつもより思いが高まるところがある。前回の来日時には、ひさびさにアイラにインタビューすることができたけど、今回はそのときよりもっと話を聞きたい気分だ。


パリで大きなテロがあった11月13日の夜、彼らがLAで行ったライヴのセットリストの一曲目がビッグ・スターの「Take Care」だったこととか。このおだやかでほがらかな音楽日記のようなプロジェクトに見え隠れする、日々と音楽を断線しないという決意のような気配のこととか。


ともあれ、現在はマタドール・レコードの日本での配給元も移り、ぼくが2003年に書いた「フェイクブック」のライナーが今後どこかで陽の目を見ることもないかと思う。なので、ここで公開する。


ぼくが今、ヨ・ラ・テンゴを見ておきたい理由を、すでに自分で書いていたという気がした。


なお、文章にはすこし加筆訂正をした。


====================


 「フェイクブックっていうのは、結婚式とかで演奏するような稼業のバンドが持っている、たくさんの曲の入った楽譜集のことさ。だれかが『バーブラ・ストライザンドの曲を演ってくれ』とリクエストしたら、バンドは彼女の曲なんか知らなくても、その本さえあればOK(笑)。つまり、いかにも“それ風”に演奏するための本なんだよ」


 ヨ・ラ・テンゴ(以下YLT)のアイラ・カプランは、かつてぼくにそう語った。ぼくにとって1990年にリリースされたYLTの四作目『フェイクブック』は、最初に買ったYLTのアルバムであり、長年の愛聴盤だったから、数年前にインタビューする機会を得たときに、これを聞かずにはいられなかったのだ。


 アイラはこのとき苦笑いしながらそう答えてくれたのだけど、彼が言っているのは“フェイクブック”という言葉本来の意味であって、このアルバムの持つ意味についてではなかった。確かに、全体の半分以上をカヴァーが占め、緊張感とは一線を画した、どこか日常の延長線的な雰囲気で録音されたこのアルバムについて、アイラの言ったことは半分は当たっている。しかし、もう半分は、ぼくが考えるべき宿題として残されたままになった。このアルバムには、もっと重要な何かが表現されていると信じていたからだ。


 発売からすでに10年以上の月日が経つが、いまだにぼくはこのアルバムを引っ張り出して折にふれては聴き続けている。もちろん、最新作である『サマー・サン』や、日本での人気を決定付けた『アイ・キャン・ヒア・ザ・ハートビーツ・アズ・ワン』『ナッシング・イットセルフ・ターンド・インサイド・アウト』にも心を奪われてきたつもりだし、YLTのデビュー作であり、なかなか入手困難な状態が長かった『ライド・ザ・タイガー』がマタドールから再発されたときは嬉々として買い求めもした。しかし、気がつくと、ぼくはいつしか『フェイクブック』に立ち戻っている。


 YLTによる“それ風”の楽曲集『フェイクブック』に収められているのは、キンクスNRBQなど、自らのルーツを示すようなアーティストから選曲したカヴァー、YLT自身のオリジナルと過去にいちど発表したナンバーのリメイク、さらに、彼らの周囲にいるあまり知られていない友人たちの素晴らしい作品へのトリビュートだ。ニュージャージー州ホーボーケンの、薄曇りの空にさす木漏れ日を思わすようなおだやかでアコースティックなたたずまいも、このアルバムならではのものだ。 80年代の三枚のアルバムや、知能犯的なニヒルさと直情的な衝動の狭間で繰り返してきた初期の試行錯誤をいったんリセットするような空気がここにはある。YLTの過去と現在を繋ぐミッシング・リンク。『フェイクブック』を経たことで、90年代以降の作品が抜群に訴求力のあるものになっていったことは間違いないと思えるのだ。


 YLTの『フェイクブック』リリース前後の動きを書き留めておこう。


 アイラ・カプラン(g., vo.)とジョージア・ハブレイ(ds., vo.)は夫婦だ。70年代末から『ニュー・ヨーク・ロッカー』などに寄稿するインディペンデントなロック・ライターだったアイラは、高名なアニメーター夫妻、ジョン&フェイス・ハブレイ(“ハブリー”とも表記される)の娘であったジョージアと出会い、84年には仲間を募ってYLTを結成した。


 やがて、コヨーテ・レコードからレコード・デビューのチャンスをつかみ、『ライド・ザ・タイガー』(86年)、『ニュー・ウェイヴ・ホット・ドッグ』(87年)、『プレジデント・ヨ・ラ・テンゴ』(89年)と、同レーベルから三枚のアルバムをリリースした。


 本作『フェイクブック』は、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツなどが所属していたバー/ナン・レコードでの移籍後の最初にして唯一のアルバムとなったものだ。アルバムの重要なコンセプトであるシンプルなアコースティック・セット(当時はまだ“アンプラグド”という言葉もなかった)は、しばらく前から彼らが地元のニュージャージーで行っていたアコースティック・コンサートが起点となっていた。当時、メンバーの入れ替わりが激しかったYLTにあって、録音メンバーには、アイラとジョージアの他、『ライド・ザ・タイガー』でギターを弾いていたデイヴ・シュラムが復帰、さらにシュラムのバンド、ザ・シュラムスからベーシストのアラン・グレラーが参加した。アイラとジョージアのハーモニー・ヴォーカルと、彼のウッドベースの響きが結構、このアルバムのキモになっているのではなかろうか。プロデュースは元dB'sのベーシスト、ジーン・ホルダー(彼は前作『プレジデント・ヨ・ラ・テンゴ』にもベースで参加していた)。


 録音はホーボーケンのスタジオで、時間をおきながら半年ほどのあいだ、断片的に行われた。アルバムの中に微妙な季節の流れを感じるのはそのせいもあるかもしれない。スタジオを訪れたゲストは二組。ちょっと前にフェイクなフレンチ・ガールポップ・シンガーとして話題を呼んだ才女エイプリル・マーチが在籍していたプッシーウィロウズ。素人っぽいモータウン調ガール・グループだったこの三人娘は、この同じ年に『スプリング・フィーヴァー』というミニ・アルバムを発表している。もうひとりは、アイラ自身がファンであることを公言している伝説のビートニク・フォーキー、ピーター・スタンフェル。元ホーリー・モーダル・ラウンダーズで、元ファッグス。ニューヨーク・アンダーグラウンドの最深部でヴェルヴェット・アンダーグラウンドと同じ空気を60年代に吸っていたこの怪人。自身の持ち歌だった「Griselda」ではなく、「The One To Cry」でそのニワトリの首を絞めたような奇声を披露している。


 詳しい曲の解説は、アイラがオリジナル・リリース時に掲載した、いかにも彼らしいウィットの効いた文章の和訳がCDに付くそうなので、ぼくなりに少しだけフォローをしておく。


 先日、奇跡の来日をしてしまったダニエル・ジョンストンの「Speeding Motorcycle」は、この後、本人とのデュエットがシングルで実現した。ただし、電話越しにだけど。ジョージアがヴォーカルを取るナンバーは、オリジナルの「What Comes Next」をはじめ、どれも印象的だが、やはりNRBQの「What Can I Say」に尽きるだろう。『アイ・キャン・ヒア・ザ・ハートビーツ・アズ・ワン』収録の「My Little Corner Of The World」が登場する前は、よくライヴの最後に歌われていた(ひょっとしたら今でもときどき歌っているかもしれないが→2015年の今でもときどき歌っている)。そう言えば、バイオによると、このアルバムから彼女はヴォーカルに自覚的に取り組むようになったのだという。88年に来日し、新宿のタワーレコードでインストア・ライヴをスモール・セットで行ったときは、ここぞとばかり『フェイクブック』からのリクエストが集中した。「ジーン・クラーク!」とか、「ジョン・ケイル!」とか客席から声があがり、確かこのアルバムから「Andalucia」や「Did I Tell You」のような珍しいナンバーを演奏したと記憶している。ちなみにこのときはジョナサン・リッチマンの「Government Center」も歌われた。そうだ。『フェイクブック2』をもし作るとしたら何を歌う?というぼくの問いに、ジョージアは微笑しながら「ジョナサン・リッチマンの“Emaline”」と答えてくれた。


 話がちょっと脇道に逸れてきたので、本道に戻ろう。


 『フェイクブック』リリース後、ツアーの必要もあり、アイラとジョージアは、クリスマスというバンドにいた巨体のベーシスト、ジェームス・マクニューに助っ人を頼んだ。しばらく行動を共にするうちに、ジェームスは正式にYLTのメンバーとなった。そしてミニ・アルバム『This Is Yo La Tengo』(92年/アライアス)以降、YLTの現在へと道のりはまっすぐに続いている。


 *    *    *    *    


 初めて聴いたとき、まるでだれかの日記を読んでいるような気分になった。そして、聴き続けていくうちに、それがまるで、ぼく自身の日記になっていることに気がついた。パラパラと日記のページをめくるように、CDの再生ボタンをつい押してしまっているのだ。


 選曲の趣味が似ているからとか、フォーク・タッチのサウンドが肌身に合うからとか、そういうことだけじゃない。YLTのサウンドの本質にある、淡々とした日常を生きる実感が、そうさせるのだ。それは、ふとした瞬間に感じる「おれはこれが好きなんだ」というような愛情であったり、他愛もない思いつきであったり、何もすることのない時間であったり。決して“内面に潜む偏愛や狂気”とか、そういう大げさなものではなく、ありふれたものだ。静寂と爆音の交錯も、果てしなく茫洋と上昇と下降を繰り返すフィードバックも、すべてはそこから出発している。そのことがまるで自分のことのようにぼくには信頼できる。そして、『フェイクブック』こそ、さりげなく、小さな声で、ではあるが、そういう基本姿勢を率直に表現したYLTの最初の作品だ。


 もうひとつ。アイラの言わなかった『フェイクブック』の意味の“もう半分”を、今はなんとなくぼくはこう考えている。人間には、好きだからこそ本当の気持ちを嘘(ルビ:フェイク)として表現してしまう、そういう生き方をすることがある。うまくいえない、あいあいあい。それは、誰にでもありうる裏返しの愛のかたちだ。このアルバムには、そんな“素直になりきれない素直さ”が率直に表現されている。ぼくは彼らのことが大好きになった。


 このアルバムに収録されたキンクスの「Oklahoma U.S.A.」で、かつてレイ・デイヴィスが歌った一節。そこには、このアルバムと、YLTの根幹に深く根付く問いかけがある。「人生の目的が生きることだとしたら 生きるって何のためなんだろうね?」。


 現在のYLTの表現力の力強さ、影響力の大きさに比べれば、このアルバムは、随分ささやかなものとして受け止められるのかもしれない。しかし、ぼくはこの先も、このアルバムを愛し続けるだろう。何百回、何千回聴いても飽きない。彼らは今も『フェイクブック』で見つけた自分たちの音楽をずっと続けているし、これからも続けてゆくだろうと確信しているからだ。


2003.10.29 松永良平(リズム&ペンシル)