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なにかあり/とくになし

夢と時間の境目を触れる、たたく/角銅真実インタビュー その1



2ヶ月くらい前、ceroのライヴが終わったところだったかな。古川麦くんに「松永さん、今度、角ちゃんのインタビューをしてくださいよ」と話しかけられた。


「角ちゃん、今度ソロ・アルバムを出すんです。ぼくも参加していて」


そう聞いて驚いた。去年の11月、〈Modern Steps Tour〉からあらたにceroのサポートに参加した3人は、それぞれ際立った個性を持つ音楽家だ。麦くんはソロのほか、表現(Hyogen)、Doppelzimmerでも活動しているし、小田朋美さんもソロ、CRCL/LCKS、DCPRGなど忙しくやっていて、セカンド・ソロ・アルバム『グッバイブルー』を出そうとしているところだった。たしかその時点で、小田さんにインタビューする依頼をもらっていた(→ Mikiki / 小田朋美とは何者か? ceroやCRCK/LCKSなどで活躍する才媛が語る、早熟な音楽的歩みと歌うことへの葛藤経て見出した新起点)。


でも角銅さんがソロを作っていたなんて、まさかの驚きだった。ceroを通じて知り合ってから間もないし、伝える機会がなかったということもあるのかもしれない。それに、彼女のソロ・アルバムって、どういうものなんだろうか?


角銅さんの自由度が高く、楽しそうにプレイするパーカッションはceroのライヴでも見ていて楽しい。コーラスもceroにあらたな彩りを与えている。さらにいうと、彼女の歌がすごかった。去年(2016年)の暮れに発売されたジャズ・ドラマー石若駿のソロ・アルバム『SONGBOOK』の一曲目「Asa」で聴こえてきた彼女の歌声に、一瞬で魅了されてしまっていた。


果たして、角銅真実の初めてのソロ・アルバムは、メロディアスなのか、パーカッシヴなのか、プレイヤーなのか、シンガー・ソングライターなのか、そのすべてなのか、それ以外のすべてなのか。とても気になった。


でも、そんなことをつらつらと考えて、インタビューを承諾したわけじゃなかった。麦くんの依頼を聞いて、1秒も置かずに「やるやる」と返事していた気がする。角銅さんのプレイから、音楽から、人柄から、すでに答えは出ていた。


だって、そのインタビューは、ぜったいおもしろいだろ。


というわけで、今回から角銅真実『時間の上に夢が飛んでいる』発売を記念して、彼女のロング・インタビューを掲載する。このインタビューの定番として、生い立ちからじっくりと、最終的にアルバムに至るまでを彼女と一緒にひもといていくことにする。


タイトルは、彼女のアルバムを聴いて最初に思ったぼくの感想からつけた。


では、このあとは角銅さんのお話を。


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──たぶん、一番最初に角銅真実というミュージシャンを意識したのは、古川麦くんのアルバム『far/close』のリリース・パーティー『Coming of the Light』(2015年3月17日)だったと思うんです。あのとき、舞台の上にかわいいしけどずいぶん変わったキャラのパーカッショニストがいるなと思って見ていて。


(写真:鈴木竜一朗)



角銅 変わってましたかね?


──変わってたというか、「芝生の復讐」でソロを回したときに、口でパーカッションやりましたよね?


角銅 やりました(笑)


──それが第一印象でした。


角銅 へえ。


──そこから回り回って、ceroにサポートで入ることになって、去年11月から始まった〈Modern Steps Tour〉の初日、仙台で、ぼくは「はじめまして」のごあいさつをしたんだと思います。


角銅 そうでしたね。


──じっさい、そこで舞台に立った角銅さんのことを初めて気にかけたceroのファンも多いだろうし、そこまでの人生や音楽履歴にぼくもすごく興味があります。なので、いろいろと昔の話をうかがいつつ、最終的に初のソロ・アルバム『時間の上に夢が飛んでいる』に至る流れでインタビューをさせてください。よろしくお願いします。


角銅 よろしくお願いします。


──まずは、出身ですが、佐世保ですよね?


角銅 本当は佐世保市の隣の佐々(さざ)町です。両親の実家が福岡なので、生まれたのは福岡なんですけど、お父さんの仕事が長崎に決まって佐々町に。


──「角銅」って名字はめずらしいですけど。


角銅 福岡にある名字なんです。でも、本当に少なくて、自分の家族の周りくらいしかいなかった。


──どういうルーツがある名字なんでしょうね?


角銅 祖父が亡くなったときに親戚が集まったときに聞いた話なんですけど、炭鉱や採銅所の町の名字で、「角銅原(かくどうばる)」って地名もあるそうなんです(福岡県田川市)。銅を掘ってるときに、たまに銅の結晶ですごく角ばったのが出ることがあるらしくて。そういった銅を、奈良の大仏を作ってるときに都に送ったりしていて。もしかしたら弥生時代? 朝鮮半島とかの大陸からの青銅の流れがあるのかもしれないですけど。


──千年以上昔の話ですよ。


角銅 そう! でも、そのときに何かゆかりのある仕事をしていたという由来があるような話をしてました。


──やっぱり、ちょっと古さのある名字なんですね。ご家族の話を聞いていいですか? 何人兄弟?


角銅 ふたりです。2歳下の弟がいます。


──前にTwitterのアイコンが、子供のころの写真でしたよね。ああいう写真が残ってるのは、わりと家族仲がいいのかなと思うんです。


角銅 そう。いいですね。


生まれて半年くらいの写真(コメントはすべて角銅真実)



約二歳、夏祭りの花火の日におにぎりを持って機嫌が良い時の写真です



9,10歳の頃、夕ご飯の蟹の甲羅を洗って乾燥させたものをかぶっている写真(蟹の甲羅をかぶるのが大好きでした)


同じく9,10歳の頃、みかんのネットをかぶって、家族の誰かに上に引っ張ってもらって撮った写真(父に教わったこの遊びも大好きでした)



──ご両親は音楽好き?


角銅 お父さんは音楽がすごく好きですね。いわゆる音楽好きというより、自分の好きなものが好きというタイプで。八神純子山下達郎竹内まりや大黒摩季ABBAとか、ドライヴのときにいつもかかってて。わたしは車酔いするほうだったから、そういう人たちの曲を聴くと車酔いしてたときのことを思い出して「うっ」ってなってました。最近になって山下達郎とか、「いい曲だな」って思えるようになってきたけど。八神純子さんは大好きです。


──家に楽器があったりとか?


角銅 ピアノがありました。お母さんがちっちゃいときにやってたピアノがあって、誰も家族は弾いてなかったけど、わたしはいつもそれを弾いて遊んでました。でも、家族はわたしが弾いてることにはノーコメントでした。多分、暗い感じで取り憑かれたように弾いてたから(笑)


──ピアノ教室に通うでもなく。


角銅 小学校のとき一回「習いたい」って言って教室に行ったんですよ。でも練習が大変で、やめました(笑)


──じゃあ、子どものころは何が一番好きでした? 外で遊んだり?


角銅 食べられる木の実が周りにいっぱいあったんで、そういうのを見つけて食べるのが好きでした。


──え?


角銅 植物の実が好きでしたね。木いちごとか、柿とか、自生してるみかんとか、桑の実とか。食べられない実もあるんですよ、ピーピー豆とか。頭の中に季節の地図があって、その時期になったらあの実が成るからあそこに行こうとか、そういう感じでした。


──子どもだから、なにが食べられて、なにが食べられないかとか、わからないでしょ。どうやって見分けていたんですか?


角銅 おいしいか、おいしくないか(笑)。「へびいちごは食べたら死ぬよ」って言われてたのに一回食べたんですよ。そのあと「あれ? 食べたら死ぬって言ってたな」って思い出して。しかもあんまりおいしくなくて、すぐ吐いた。ヤマブドウと思ったら違う実で、食べたら口のなかが真っ青になってまずくて。そのときもお母さんに「死ぬよ!」って言われて、わーって吐いたりして。でも本当に食べれない実はなかったな……。あ、最近大人になって高尾山に行ったときに、わりと太い木に成ってる桑の実の仲間みたいな木の実があって、実自体はおいしかったんですけどトゲがすごくついてたんで、口のなかがイガイガになっちゃって。26、27歳でしたけど、そのとき初めて「ああ、なんでも口に入れちゃいけないんだ」って思った(笑)


──そっかー(笑)


角銅 山椒の実とかが自生して、芽が出てたりすると掘り出して持って帰って、自分で育てたりもしてました。すぐ枯れちゃうんですけど。そういうのが好きでした。道端の草とか。


──「自然が好き」というか、目で見て愛でるとかじゃなく、触って、食べて、みたいなじかで触れることが好きなんですね。


角銅 それが一番好きでした。


──学校では、どうでした?


角銅 学校は、ぜんぜん行ってなかった。


──行ってなかったかー(笑)


角銅 低学年のときは本当に理由をつけては休んだり、早退したり、保健室行ったりしてて。だんだん大きくなってからは、家を出てそのまま違うところに行ったり。小中高、そんなに学校は行ってなかったです。でも、昼休みには学校に行って、みんなと話して帰ってくるとか。学校の先生とはわりと仲よくて、なんで仲よかったは謎だけど。


──ウマが合う先生がいた。


角銅 好きな先生は好きでしたね。学校は嫌いだったけど。制服のごわごわした感じも匂いも嫌いだし、机が並んでるのもいやだったし。でも陸上部には入ってて、ハードルをやってました。中学では一応吹奏楽部にも入ってて、ジャンケンで負けて打楽器になったんです。


──あ、そこでパーカッション人生の始まり?


角銅 でも、そのときはほとんどやってなかった。打楽器の部屋があって、そこにみんな漫画の本を隠したり、グラウンドが見えたのでサッカー部にいる好きな人を見てたり、そういう感じだったんで、たまに授業いかない時も一人で部室には行ってました。楽器を梱包する毛布置き場に寝転がって漫画読んだり、書き物をしたり、その時、こっそり小さな音で部室の打楽器を演奏するのは大好きだった。


──陸上はなんでやってたんですか? 走るのが速かった?


角銅 そう。学校選抜みたいなのに入れられて、そこからやるようになったんです。県大会にも行きました。短距離を走るのが好きでした。パッと始まってパッと終わるし、スタートして一直線走るだけとかが超ドキドキするじゃないですか。長距離の駆け引きとかは無理でしたね。体が長距離向きって言われて、練習させられたりもしましたけど、「やっぱりわたし長距離はいやです」って言って、やめました。ハードルが楽しかった。


──ハードルは、一直線ではあるけど障害があるじゃないですか。


角銅 本当ですね。なんで好きなんだろ? でも楽しかったですよ。跳ぶのが楽しかったんだと思う。障害をどうにかするみたいな感じじゃなく。ハードルという競技に特別な気持ちがありました。


──これはこじつけかもしれないけど、ハードルってトントントーンって足の動きのリズムがあるじゃないですか。そういうおもしろさもあったのかも。


角銅 そうかもしれないですね。繰り返しの楽しさみたいなこと。


──そのころの角銅さんを覚えてる人は、走るのが好きな子だって印象だったのかな。


角銅 そうですね。走るのが好きで、学校行かない、ヘラヘラした人って見られてたと思う。


──ぼくも田舎だから感覚としてわかるけど、佐世保の街を高校生が平日にうろうろしてたら心配されるでしょ。


角銅 高校生のときは佐世保をぶらぶらしたり、知らない住宅街を歩いたりしてました。高校生の子どもを持ってるお母さんに、わたしが制服を着てるから「あなたどうしたの?」って声をかけられて、すごくうそついてその場を逃れようとしたらなぜか車に乗せられて学校まで送ってもらうことになったり(笑)。あと、よく行ったのは橋の下でしたね。中高生のころは、町にすごく好きな川があって、そこにひとりで行ったりしました。そこは人目につかないから、そこでじっとしてました。結構、悶々としてましたね。


──なんでしょうね? やりたいことを探していた?


角銅 うん、そういう感じに近かったと思います。結末のないお話とか完成しない絵をずっと書いたりしてたし。


──「こういうことをしたい」とか「こういうふうになりたい」みたいな具体的な夢もあった?


角銅 そういう欲求はすごくあったんです。ピアノもよく夜に一、二時間くらい謎の即興演奏を弾き続けたりしてたし。将来は、精神科医か薬剤師になりたいと普通に思ってました。薬剤師になりたいと思ったのは、漢方で植物の実を煎じたりするのとかが面白そうで興味があったから。長新太がめっちゃ好きで、絵本作家になりたいとも思ってました。


──精神科医というのは?


角銅 音楽とも近いんですけど、精神的なこと、言葉で説明できないことに興味があって。あと、学校にカウンセリングの先生が来てて、わたしは学校はあんまり行ってなかったけど、放課後にその先生のところにはよく行ってたんです。その人が唯一身近で学校以外の価値観を持った大人だったし、一対一で話せて、わりと仲がよくって。その先生に心の話を結構聞いたりしてて、憧れてたんでしょうね。


──ここまで話を聞いた感じだと、音楽も話題としては出てくるけど、その道に進むという流れは出てきてない。


角銅 そうです。音楽はすごく聴いてたんですけどね。


──でも、大学は東京藝大(東京藝術大学音楽学部器楽科打楽器専攻)ですよね? 高校はあんまりちゃんと行ってない。そこの目標のジャンプアップはどうやって起きたんですか?


角銅 山口ともさんっていうドラマーの人がいるんです。わたしが高校のころに『ドレミノテレビ』って教育テレビの番組をUAと一緒にやってたんです。そのころわたし、UAがすごく好きだったし、学校行ってないから朝の放送が見れるんですよ。山口さんはいろんな、いわゆる廃品的なものを集めたり、色々な素材を改造をしてパーカッションのセットを作って演奏する方なんです。衣装もすごく素敵で、「この大人の人は誰なんだろう? どういうこと考えてるんだろう?」って思ってたんです。そしたら高2の冬くらいに、山口さんが長崎の旧上海銀行(旧香港上海銀行長崎支店多目的ホール)にライヴに来て、ちょうどわたしの目の前でポコポコやってくれて、なんかもうドキドキしちゃって(笑)





──ドキドキしましたか(笑)


角銅 たぶん、すごく自由に見えたんでしょうね。自分のやり方と自分の音楽で、世界と向き合って、世界に何かを投げかけている。「わたしもこんなふうになりたい」と思ったんです。それで、とりあえず、打楽器の教室に本格的に通い始めました。長崎にはマリンバの先生しかいなかったんですけど、ちゃんと打楽器を習いたいと思ってマリンバを習いに行きました。でも、わたしは音楽も好きだけど絵を描くのも好きだし、やりたいことの延長線上に音楽があるという感じだったから、あんまり音楽だけをする人になるイメージはなかったんです。だから、大学に進むときも、いっぱいいろんな人がいるほうがよかった。そのときに、藝大なら美術もある学校だと思ったんです。あと、そのときの芸大の打楽器の先生が、クラシックだけじゃなくジャズのヴィブラフォンも叩く方で、お父さんのパソコン借りて先生が演奏してる写真を見たら、白黒の写真で、うつむいて楽器を弾いてる姿がなんだかすごくかっこよかった(笑)。「あ、わたし、この先生のいるところに行く!」って思ったんです。学費も安いし、美術もあるし、「藝大ってわたしのためにあるんじゃない?」って(笑)


(つづく)





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もう今日の夜(7月15日)ですが!


〈時間の上に夢が飛んでいる〉リリースライブat 渋谷7th Floor


開場: 18:30 / 開演: 19:00
当日: 3000円


出演
角銅真実とタコマンション・オーケストラ
夏の大△
Doppelzimmer


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