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なにかあり/とくになし

なぜエルメート・パスコアールは2年連続で八代に行くのか?/山口功倫インタビュー その1

昨日(5月11日)の〈FUJI & SUN〉フェスティヴァルから今年も始まったエルメート・パスコアールのジャパン・ツアー。去年、「まさか!」と誰もを驚愕させた熊本県八代市での単独公演(やつしろハーモニーホール)が、なんと今年も5月18日に行われる。去年はツアーの皮切りだったけど、今回はツアー最終日。当日はさまざまな出店が集うマルシェ形式のイベントが昼間から行われ、ちょっとしたお祭り状態のまま夜のライヴに突入する流れになるという。


八代市はぼくの地元だ。ぼくがいたころはまだ実家は「隣町」だったけど、平成の大合併で市に統合されて、いまは市の一部になった。中学高校と八代市内にはよく通ったし、なつかしい思い出もすくなくない。そんな土地にブラジルの国宝みたいな音楽家がやってくると聞いたらたまらなくなって、去年はハーモニーホールに駆けつけた(里帰りも兼ねて)。


その一度だけでも田舎の都市にとって奇跡のような出来事なのに、なんと2年連続で八代をエルメートが訪れる。ツアーを主宰する〈FRUE〉の代表を務める山口彰悟さんは八代出身だと去年うかがっていた。そして、弟さんが八代にいて、公演を担当するのだとも聞いた。だけど、いくら兄弟だからって話はそんなに簡単じゃないってことはわかる。地元を離れてずいぶん経つけど、大きな繁華街を持つ熊本市と、県内第二の都市とはいえ徐々にさびれつつある八代市では事情が違うだろう。


去年、実家の母にその話をしたら、「ああ、宗覚寺の人だろ?」と意外にも訳知りの反応だった。ぼくの実家もおなじ日蓮宗(違う檀家)なのだが、どうやら宗覚寺には特別な個性があるらしい。「あそこは昔から談志さんを呼んだり、いろいろしよらしたけんね。息子さんもそがんとが(そういうのが)好きらしかもん」という。


そうなのか。興行主と兄弟の縁という以上の、なんかおもしろい話がありそうだとそのとき直感した。


今回、エルメートの2度目の八代公演が決定したとき、微力ながらも自分の地元で行われる突飛なイベントになにか助力できないかと思ったし、なによりも「なぜエルメート・パスコアールは2年連続で八代に行くのか?」と素朴な疑問をお持ちのかたもすくなくないはずで、その疑問に答えたいし、ぼくもいろいろ知りたいと考えた。それに、〈FRUE〉の山口彰悟さんのインタビューはいくつか発表されているけど、弟さんであり、宗覚寺のお坊さんであり、エルメートの八代公演担当者として動き回っている山口功倫さんの取材は地元メディア以外にはほとんど出てないんじゃないか?


というわけで、山口さんの地元で、ぼくの故郷でもある八代市で、先日インタビューを行った。もちろんテーマは「なぜエルメート・パスコアールは2年連続で八代に行くのか?」だけど、それだけの話じゃない。ぼくよりひと回り下で、八代で生まれ育った兄弟がおもしろいことやってるのが興味深いことこの上ないし、日本のライヴイベントの慣習に対してかなり型破りな興行を持ち込んで、すかっとした風を吹かせてる、その情熱のわけもぜひ知りたいと思った。


インタビューは4月半ばのある日、八代駅前の喫茶店「ミック」で行った。ぼくにとって、八代駅で電車を降りたのはじつに30年ぶりのことだった。

 

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──まず基本的なことから。山口功倫さんの生年月日は?


山口 昭和54年の3月です。40歳になります。


──ご実家が八代市妙見町のお寺(日蓮宗)の宗覚寺で、お父様がご住職ということですが、兄弟構成は?


山口 長男がいて、お寺でお坊さんをしてます。あと次男(山口彰悟)がいて、今回もエルメート・パスコアールの招聘や〈FESTIVAL de FRUE 2017〉などを主催している〈FRUE〉をやってます。それでおれがいて、3人が年子(一歳ずつ違う)なんです。


──3人が年子! それはわりとめずらしいですね。


山口 あと、おれの下に3つ離れて妹がいますけどね。

 

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──4人兄妹なんですね。みなさん、ずっと八代?


山口 いいえ、みんな一度は東京に出ました。おれはこっちで(八代)高専を出て、それから東京に出てフリーターをしばらくやりました。そのころ、二番目の兄(彰悟)は日芸に入ってたんでよ。そのつながりもあったので、「おれ、ちょっと東京行くわ」って行って、ヒッチハイクで行ったんです。


──すごい(笑)


山口 それで東京で一緒に家を探して、兄とふたりで住んでたんです。


──それ以前はどういう少年時代だったんですか?


山口 兄弟仲はよかったですね。おれと二番目の兄の仲がよくて一緒に遊んでいたので、アニとオトートって呼ばれるようになって、「じつは、兄兄(アニアニ/長男)もいるらしいよ」って。


──うち(松永)も男4人兄弟で二、三番目が仲よかったんですよ。そういう傾向はあるのかも(笑)。子どものころはどんな音楽聴いてました?


山口 わりとヘビメタ中心でしたね。メタリカメガデスパンテラ、セパルトゥラとか。高専のころはコピーバンドを組んで学祭でやったりしてました。それが、3年生のときにバンドがいろいろ揉めて変な感じになってたんですけど、そのころの同級生にテクノのDJがいたんですよ。そのDJの友達と仲良くなって。ちょうどそのころって、ドラムンベースとか出てきた時期で。


──90年代半ばくらいですね。


山口 プロディジーとかが出てきて、ブレイクビーツとかも流行りだしたころでした。それが入り口になって、おれもバンドをやめてDJをやるようになりました。


──それは八代で?


山口 熊本市内に〈GREEN〉ってクラブがあったんですよ。〈CLUB INDIGO〉って店もありました。でも〈GREEN〉でやることが多かったですね。あとは天草にある倉庫を借りて、ちょっとレイヴっぽいことをやったり、阿蘇の俵山の上にスピーカー持って行ってイベントしたり。許可とかちゃんと取らずにやってましたけど(笑)。そのころからそういうのが好きだったんですね。


──本当に!(笑)


山口 兄もそのころからよく一緒に遊んでましたね。で、おれも高専を卒業するんで「東京のクラブ行きたいよね」という話になり、就職はしないでお寺の手伝いを一月やってお金を貯めて、先に東京に行ってた兄貴のところに転がり込んだんです。兄は二浪して大学に入ってたんです。


──そうか、高専って5年行くから、そこでなんとなくタイミングが合いますね。お兄さんは1年先に東京に行っていたという。


山口 それが99年とか2000年くらいですかね。おれは東京ではずっとフリーターやって、10年近くいました。戻ってきたのは東日本大震災の翌年だったので。


──フリーターで、DJもやって、みたいな?


山口 DJはあんまりやってなかったですね。とにかく遊びに行ってました。そのころはFRUEへの繋がりとか関係なく、純粋におれも兄貴もお客さんでしたね。〈オーガニック・グルーヴ〉というイベントに出会ったというのも大きかったです。それまでは歌舞伎町にあったころの〈LIQUIDROOM〉とか、その向かいの〈CODE〉とか、青山の〈MANIAC LOVE〉とか、西麻布の〈Yellow〉とか、おもしろかったですね。


──ゼロ年代の東京のクラブのおもしろいところで遊んでた感じですね。


山口 そうですね。ギリギリ体験できた感じでした。そのころのおれは、Chari Chariとか、DJ Tsuyoshi、MOOCHYあたりがだんだん好きになってきてたんで、その流れで〈オーガニック・グルーヴ〉に行くようになって、DJにつられて行ってバンドにやられた、みたいな感じでした。バンドといえば、そういうのにハマるちょっと前にPHISHも来日してたんですけど、それは見に行けてないんです。「すごいのが来るらしい」とは聞いてたんですけど、おれが予習で借りてきたCDはPHISHじゃなくて、FISHって人のほうだった(笑)。「これのなにがいいのかわかんないよね?」って言ってるまま通り過ぎちゃったんです。あそこでPHISHに出会ってたらもっと早くに変わってたかもしれないし、いま思えば、そのとき見なくてよかったなという気持ちもあります。


──ちなみに、そのころは宗覚寺はご長男が継ぐというのが規定路線?


山口 そうですね。長男も東京の大学を卒業して実家に帰ってきてました。


──山口さんご自身も帰ってお寺に入るというのを決めたきっかけは、やっぱり震災ですか?


山口 震災でしたね。帰りたいという気持ちはずっとあったんです。2000年代の後半から、今もエルメートのライヴに来てくれる音楽仲間たちと千葉のほうで田んぼとか畑を2、3年やってたんですよ。それを始めてから、土日もクラブ遊びに行かなくなって、朝方の生活になってきて、東京にいる意味がないなと思うようになっていたんです。(東京からは)田んぼも遠いですしね。そういうのをいろいろ考えてたときに震災があって、嫁さんのお母さんが病気だとわかった。彼女の実家もおれの実家に近いので、その看病もあって帰ろうということになったんです。でも、なかなか踏ん切りがつかなかったんですけどね。だけど、あの震災が考えを変えるきっかけになりました。


──震災のときは、どうしてたんですか?


山口 職場にいました。フリーターを続けたあと、東京にある日蓮宗の全国本部みたいなところで仕事をしていたんです。そこにいたときに震災がありました。ちょうどおれは日蓮宗の災害対策本部みたいなところにいて、夜中じゅうずっとGoogleマップで東北の海岸沿いのお寺をマッピングして、連絡が取れるか取れないかで心配してましたね。それで、一晩か二晩かしてやっと帰れるという日に原発が爆発して、東京に放射能が流れてきた時間帯だったんです。五反田の駅でぼーっと電車を待ってたときの記憶は鮮明に覚えてますね。そういうこともあったんで、嫁さんとも話し合って、一年かけて東京での仕事を整理して、それで、退職金をもらってPHISHを見に行ったんです。


──え?


山口 はい、アメリカまで。やっと本物のPHISHです(笑)。あのときはおもしろかったですね。ちょうどPHISH 2.0とか言ってたころで、ニューヨークのサラトガって街で3日間。その前には、フィル・レッシュとボブ・ウィアのファーザーを観て。あれはいい体験でした。アメリカに発つ前に官邸前のデモに行って、それから空港に向かったんです。兄にも、あのデモは見ておいたほうがいいと言われていたので。


──そういう体験ものちにつながるタネになっているんでしょうね。


山口 そうですね。そういうことの根底には〈オーガニック・グルーヴ〉があるし、もっと前には(立川)談志師匠との出会いがあります。


──ああ、宗覚寺で談志師匠の高座が行われていたというその話、お聞きしたかったんです!


山口 おれが中学生くらいのときですね。


──招聘されていたのは山口さんのお父さん。


山口 そうです。うちの住職が初めて呼んだのが平成の初めごろですかね。元々は長崎のお坊さんで談志師匠とお知り合いの方がいらして、「長崎に呼ぶからおまえのところもどうだ?」って声をかけられたらしいんです。


──そうなんですか。


山口 だけど、談志師匠をお呼びするちょっと前くらいかな。八代に高速道路が通ることになったときに、うちの近所を通るので父が反対運動をしていたんですね。そのとき、「宮地(宗覚寺のある地域)は八代の文化発祥の地だ。そこを横断するなんてとんでもない」っていう主張をして運動をしていたらしいんです。じっさい、それで道路は山の方に動いたんですけど、「じゃあ、なにか文化事業もやらなくちゃな」と考えていたときに、談志師匠の話が飛び込んできたそうなんです。


──へえ、それはまた絶妙なタイミングですね。


山口 平成3年が最初だったと思うんですけど、それから10数回、談志師匠はいらっしゃいましたね。3年に2回くらいのペースでした。本堂がいっぱいになるくらいなので、200人弱くらいですかね。


──ということは、晩年というより、まだギラギラした高座だったのでは?


山口 そうですね! 脂がのりきってておもしろかったですよ。目の前で「芝浜」とかを本堂で聞いて、「なんじゃこれは?」と思うという、そういう体験は根底にありましたね。ライヴ体験としては、それが始まりかもしれないです。

 

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──当時の談志師匠はどんな感じでした?


山口 いつもお弟子さんをひとり連れてきて、というパターンが多かったですね。今はリニューアルしたんですけど、日奈久温泉で歴史のある潮青閣に泊まってました。高座のあとは一緒にご飯を食べたりしましたしね。あれはおもしろかったです。


──それを兄弟みんな聞いてたわけですもんね。


山口 兄兄はそのあと「落語家になりたい」って言い出したりして(笑)。そういうのもあったから、兄兄は八代に帰ってきてからも落語のイベントをずっとやってきたし、結婚式の司会も談笑師匠でしたからね。


──そんなに近い距離感であれほどの芸を浴びたら、そうなるのもおかしくないですよ。


山口 そう考えると、いろいろいまにつなががってますね。談志師匠とうちの住職との関係があったから、その後のおれらは自由に動けるようになったというか。結構、以前の父は堅かったんですよ。「大学は国立しか行かせない」みたいな感じ。それが談志師匠に出会ったことで積み上げてきた価値観をぶち壊されて、「おまえら、もう好きなようにやれ」って変わって、おれら兄弟は解放されたんですよ。師匠がいなければそういう展開はなかったかもしれない。


──そうか、談志師匠からのつながりもいまの流れにあるんですね。おもしろい!


(第二回に続く)

 

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「このながーい紙はお寺の宝みたいな感じなんですが、落語会のあとの食事会で、談志師匠が調子よくて「クイズやる!」とおっしゃって書かれたものです。漢字で有名な人の名前書くから当てろ的な(昨年いらっしゃった談修師匠がいうには、よくやるクイズだけど、ここまで長いのはなかなか見たことないそうで)。チャップリンから始まってるみたいですね。チャーチルロートレックとか入ってます。後半は難しくて分からないです」(山口さん)

 

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