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なにかあり/とくになし

池田俊彦の世界にようこそ。/T.V. not january『ふつー』発売記念インタビュー その1

 池田俊彦こと「池ちゃん」と初めて話したのはいつだったか。Hei Tanakaが3人で初めてライヴをやったのは2012年の日大芸術学部での「プチロックフェス」だったけど、そのときだったっけ? もしかしたら、それ以前から知っていたような気がする。

 

マッシュルームふうのヘアスタイル、大陸ふうのひげ、ずんぐりとした体格、そういう基本要素はそのときから変わってない気がする。そのうちHei Tanakaのドラマーとしてだけでなく、T.V. not januaryのメンバーであり、ソロで「おれ、夕子」を名乗るシンガー・ソングライターであり、イラストを描かせれば抜群に味のある名人だとも知った。

 

でも、そうやってあとで知ったことよりも、「この人のことをずっと知ってるような気がする」と思わせることのほうが「池ちゃんらしさ」をかたちづくってるような気がずっとしてた。人なつっこくて、陽気で、酒飲みで、だけど、気い使いで、なんとなく小心で、人がひとりでいたいときがあることのたいせつさも知っていて。なぜかはわからないけど「子どものころにこういうクラスメートがきっといた」という気がする。だから、どういう出身の人で、どういうバンド歴があって、とかが、ぜんぜん気にならなかった。そう感じてる人って、ぼくだけじゃないと思う。

 

今回、T.V. not januaryのアルバム『ふつー』発売にあたって、バンドとして話を聞きたいという気持ちも強かったんだけど、いい機会だから池ちゃんの話を聞いてみることにした。池ちゃんのことをぼくも知りたいし、みんなにも知ってもらったら、そこから見えてくるバンドのこともあるはずと思う。

 

インタビューには、思い出野郎Aチームトロンボーンにして、今回『ふつー』のジャケット・デザインを担当した山入端(やまのは)祥太くんに加わってもらうことにした(取材の数日前にぐうぜん中野のディスクユニオンで会ったので)。

 

まずは第一回。池田俊彦の世界にようこそ。

 

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ちなみに、いつもの取材だと子どものころの写真とかいろいろ出してもらうんですが「秘蔵写真お願いします」と池ちゃんにお願いしたら、「アイドル?」と思うほど最近のいろんな写真送ってきてくれたので、それを毎回掲載してみます。

 

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──T.V. not january(以下T.V.)やHei Tanakaでの活動を通じてのミュージシャンとしての姿や、独特の味わいのあるイラストを描く人としても池田俊彦のことを認識してる人は少なくないと思うんですけど、あらためて「あれ? 池ちゃんってどこから来たどういう人だっけ?」って、これまでちゃんと言葉になってなかった気がして。なのでT.V.の新作『ふつー』リリースを記念して、池ちゃん本人にいろいろ聞いてみようという企画です。さらに、今回『ふつー』のジャケット・デザインを担当した山入端祥太くん(思い出野郎Aチーム)にも話に加わってもらいました。

 

山入端 なんか、池ちゃんって誰とでも仲良くなるよね。

 

──いろんな前提なく、人の気持ちにすっと入ってくるというか。

 

池田 前提がない?

 

──どこどこの出身で、こういうものが好きで、みたいな前置きがいらない付き合いがいきなりできる人という感じなんですよ。

 

山入端 そうそう。池ちゃんを知ったのは、Hei Tanakaと思い出野郎が対バンした日(2017年7月12日、青山WALL&WALL「タイワンド&ダンスに間に合う 7inch Release Party」)で、そのあと長岡(智顕)と池ちゃんがmeiちゃん(mei ehara)のバンドで一緒になった頃に初めて飲んだんだっけ?

 

池田 青山のときにも一緒に打ち上げ出てるけどね。

 

山入端 そうだ! あのときはおれはまだ思い出野郎に復帰してなくて、客として行ってたんだよね。

 

──ああ、あの日、ぼくもいましたね(笑)。打ち上げの会場がなかなか決まんなくてひたすらうろうろしてたときに、山さん(山入端)があちこち電話して最終的に店を見つけてくれた。「なんて有能な人なんだ!」って思ったの覚えてます。

 

池田 あれ、山さんがやってくれたんだ! おれはおれでそんなに思い出野郎と面識なかったのに、Heiのメンバーがみんな帰っちゃったからおれだけでも残っていこうと思ってて。だから、あのときみんなについて行きながらじつはすげえ緊張してたんだよね。

 

山入端 そうだったんだ。

 

池田 店まで歩いてるときに思い出野郎の岡島(良樹)くんが気を遣って、おなじドラマーとしておれに話しかけてくれてたんだけど、おれ、ドラマーとしての機材の知識とかゼロだったから、「そうなんですね」とか相槌打ってたらそのうち会話もなくなって、徐々に前に離れて行って(笑)

 

山入端 そうか、あの夜かー。でも、おれは池ちゃん自身は、馨さん、シャンソンシゲルとの3人編成だった最初のHei Tanakaから見てるんだよね。〈月刊ウォンブ!〉(2013年6月25日、渋谷WOMB)のとき。リング上にドラムセットがふたつ左右に並んでて、超衝撃な演奏で感動したもん。

 

 


Hei tanaka 2013/06/25 月刊ウォンブ!

 

──山さんはあの頃、普通にこのインディー・シーンのファンとしてあちこちで会ってたもんね。

 

山入端 でも、それとは別に池ちゃんのことは絵がうまい人としても知ってたんだよね。似顔絵描くイベントで見かけたのかな?

 

──ぼくが池ちゃんの絵のうまさを知ったのは、6人になってからのHei Tanakaが渋谷WWWで初めてやったライヴ(2016年1月14日、「列島は世界の雛形 ~あの世のザッパに教えたら なんて言うだろ?~」)のフライヤーでしたね。

 

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池田 あー! あれは本当にがんばって描きましたから! 本気を出すとああいうのが描けちゃうんです。

 

──いやー、なかなかあそこまで際立った絵はいくら本気になっても素質や下地がないと描けないですよ。なので、そういうところの謎も含めて、今日は池ちゃんの半生をたっぷり教えてください。まずは、そもそもいつどこで生まれた人なんでしたっけ?

 

池田 1983年の生まれで、出身は大分県の南のほうにある佐伯市という街です。竹内力さんの地元でもあります(笑)。あと、ダイノジのふたりが出た高校も佐伯市ですね。

 

山入端 池ちゃん、おれより年上なんだよね。最初は年齢がぜんぜんわかんなかった。

 

池田 歳はわかんない、ってよく言われる! でも、大分にいた高校時代に、外国から来た先生の家でホームパーティーがあって、おれもそこに行って酒も飲まずにがんばって一緒にダンス踊ったりしてたら、そこにいた30代くらいのお姉さんたちにおれはおない年くらいって思われてた、ってエピソードもあった(笑)。そういうことは昔からあったから、いまやっと実年齢に追いついてきてる感はある。

 

──早くに大きくなった子どもだったのかな。

 

池田 そうかもしれないですね。身長はいまくらいでしたけど体重は30キロ少なかったです。

 

──早く大きくなる子ってガキ大将になるパターンもあるけど、意外と内向的になるというパターンもありますよね。

 

池田 おれは、どっちかな。どっちもあるというか。精神的にはすごく弱かったけど、それを補うために強く生きようとしたところはあるかも。

 

山入端 なんかそれ、わかるわ。

 

池田 外ではみんなと遊ぶけど、家ではすごく静かにしてた(笑)。音楽ずっと聴いてたり。

 

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──そのころはなにを聴いてました?

 

池田 小学校のときに好きだったのはTHE YELLOW MONKEYですね。初めて買ったアルバムもイエモンのベスト盤で、ずっとそれを聴いてました。歌謡曲っぽく感じていてすんなり入れたというのもあるし、あのセンスが大好きでしたね。だから、活動休止するまでの曲のイントロドン!やったら、めちゃくちゃ答えるの速いですよ(笑)。アルバムの曲でもコンマ何秒でいけます。

 

──とはいえ、吉井さんの歌詞の世界観とかを考えたら小学生ではずいぶん大人びてますよね。

 

池田 確かに。いま考えるとかなりエロチックでしたね。でも、その後、中学~高校時代は友達の影響もあって、Hi-STANDARDとか静岡のGOOFY'S HOLIDAYとかヌンチャクとか、メロディック・パンクとかハードコア寄りの音楽を聴くようになりました。実家にケーブルテレビが導入されてからは、THE MAD CAPSULE MARKETSのMVを録画したり、いろいろなミュージシャンのMVのなかでスケボーやってる動画見てかっこいいなって思ったり。スケボーは中学の頃からもうやってたので。

 

──さっきの話からすると、外では活発な子どもだったんですもんね。学校の部活はなにを?

 

池田 小学校では陸上で、中学ではバレー部でした。本当は、兄貴が吹奏楽部だったんで「入れば?」って言われてたんですよ。陸上もやめようと思ってたし、音楽いいかもって思ってたんですけど、小6の春休みに、中垣内(祐一/当時の全日本のエース)がズバーン!ってスパイク打ってるのをテレビで見て、「バレーボールかっこいい!」って思っちゃったんです(笑)

 

──お兄さんが吹奏楽部だったってことは、池田家にも音楽的な要素はあったんですね。

 

池田 そうなんですけど、音楽的な指向がぜんぜん兄貴とは違ったから。おれは初めて楽器に触れたのは、小5か小6でした。親戚のおばちゃんにもらった白いクラシックギターですね。仮面ライダーが背負ってるようなやつ(笑)。それをもらって帰って、2コ上の先輩に教わってスピッツの「空も飛べるはず」のイントロを練習しました。

 

山入端 ギター、小5って早くない?

 

池田 なんだけど、コードのFが押さえられなくて挫折して弾かなくなって。中学生のころに熱中してたのは、どっちかといえば、やっぱりスケボーでしたね。田舎だったから周りに楽器できる子も少なくて、バンドもできなくて。でも、中学でエレキギターを友達からもらったんです。雑誌のうしろのページに載ってるような安いモデルでしたけど。それでFを克服して、また弾きはじめました。いまでもFはうまく押さえられない(笑)

 

山入端 最初はギターなんだね。ドラムじゃなく。

 

池田 ドラムは叩けなかった。叩きはじめるのは高校卒業と同時に東京に来てからですね。もちろんそのときもギターを背負って、バンドをやるつもりで(笑)

 

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──上京するにあたってのビジョンっていうか、「なんかやるぞ!」みたいなのはあったんですか?

 

池田 そうですね。本当は親はもしかしたらいい大学に入って~みたいな期待してたかもしれないんですけど、おれは本当に勉強嫌いで次男で受験からもドロップアウトしてたから、とにかく東京に行くためだけに大学を選びました。そのときに経済学部みたいな門戸の広い学部には行きたくなくて、それで國學院神道学部を選んだんです。そこで神主になる修行をしてたんですよ。

 

山入端 えー! そうなんだ!

 

──それは知らなかった。ちょっとは修行もしたんでしょ?

 

池田 夏に数日ですが伊勢神宮とか明治神宮に泊まり込みで修行しましたね(笑)。朝4時に起きて、禊をして。

 

山入端 へー!

 

池田 おれは完全に興味だけで来ちゃったけど、他の生徒はだいたい神社のご子息なんですよ。だから、おれが行くところではなかったんです。途中でもう神主にはなんないと決めたんですけど、ずるずると大学にはいて、5年行って中退しました。クズ野郎ですよ(笑)

 

──でも、5年は行ったんだ。

 

池田 粘ったんですよ。

 

山入端 おれも6年行って(多摩美を)やめてるから。

 

──ぼくは7年行って卒業しました。この場はなかなかのクズの集まりってことで(笑)。まあ、それはいいとして、上京して音楽をやる気持ちはどうなったんですか?

 

池田 とにかくバンドをやるつもりで行ってるから大学もめちゃめちゃサボってて、立正大学フォークソング部に入り浸ってました。そこが、めちゃくちゃパンク好きなやつが多かったんですよ。学内だけじゃなく外でライヴやってるバンドもいくつかいて、やさしいモヒカンの人とかもいて。なぜ立正だったかというと、同時期に上京した同級生とよく東京でも遊んでて、そのうちのひとりが立正大に行ってて「うちのサークルおもれえよ」って教えてくれて。

 

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──時系列を確認しておくと、いま話してるのは21世紀に入ったくらいですよね。

 

池田 そうですね。大学におれが入ったのは同時多発テロ(2001年)のあとでしたね。

 

──でも、まだそこからT.V.結成までは時間が結構あるような。

 

池田 あ、でも、その立正大でT.V.とはつながってくるんですよ。立正大ってキャンパスが熊谷と大崎にあるんですけど、学祭は熊谷なんですね。で、おれは立正大とは関係ないんだけどフォークソング部でバンドをやってたもんだから、一緒に出たりしてて。その熊谷キャンパスのほうに本島(航)と横ちゃん(横田川純也)が通ってたんです。

 

山入端 へえー!

 

池田 おれが行くようになったころはまだ本島しかいなかったですけど。当時はあいつは超無口でしたね。おれのこと嫌いなんだろうなって思うくらい話をぜんぜんしたことがない関係だったんです。でも、おれが大学5年目の年に本島が小岩の「em7」ってライヴハウスでバイトしてたんですよ。でも、あいつの家は熊谷で、小岩でバイト終わっても帰れないから、当時都内に住んでたおれの家に泊まりに来たんですよ。そんなに仲良くないのに(笑)。でも、そこで「横田川っていうおもしろい歌を作る後輩がサークルに入って、いまそいつを手伝ってるんですよ」って音源を聴かせてくれたんです。

 

山入端 後輩なんだ。

 

池田 で、それを聴かせてもらって、「どうすか?」って聞かれたんですけど、あんまピンとこなかった(笑)。そのとき聴いた横ちゃんの曲は、純粋でストレートで。

 

──それはいまのT.V.の根幹にあるものだったりしますよね。

 

池田 その頃は拍子とか音色が変でグチャッとしてて真っ直ぐじゃないものに強く惹かれていて。もちろん横ちゃんの曲はすごくいいと思ったけど、そのときは素直に受け取れる精神状態じゃなかったのかもしれないです。でも、本島は絶賛してましたね。横ちゃんの作るものの純粋さがわかったんでしょうね。おれはその点、不純だったんだと思います(笑)

 

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(つづく)


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本日! 渋谷WWW! このインタビュー読んで駆けつけても間に合う!

 

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