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『A MEZZANINE(あ・めっざにね)』全曲を語る その4/髙倉一修&厚海義朗インタビュー

お待たせしました。

 

『A MEZZANINE(あ・めっざにね)』の全曲を髙倉一修&厚海義朗が語るインタビュー。今回は3曲目、厚海義朗楽曲「祝福の歌」。

 

インタビューでも触れられている通り、厚海ソロでもすでにレパートリーだったブラジリアン・フィール濃厚なこの曲。GUIROのレパートリーとなるに至った経緯も興味深いし、じつは再集結後のバンドのいいモードを伝えてくれる曲になっていることもわかる。

 

ではどうぞ。

 

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祝福の歌

祝福の歌

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──3曲目は、厚海くんの曲「祝福の歌」です。これはGUIRO以降のソロ・ライヴでもやっていたボッサ・ナンバーですけど、今回GUIROヴァージョンとして収められました。

 

厚海 ぼくがジョアン・ジルベルト的なアプローチというか、ボサノヴァ的なアプローチで初めて作った曲はGUIROの『Album』に入っていた「ファソラティ」でしたね。

 

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GUIRO「Album」(2007年)

 

髙倉 あの曲、もともと彼が最初に聴かせてくれたヴァージョンは、もっとボサノヴァ的なストロークのあるものだったよね。でも、当時は「ボサノヴァをやるのはいやだ」という意志がぼくにはすごくあって、「ごめん、わるいけど、だいぶ変えるかたちでやらせてもらえないか」っていうやりとりがあって、半ば強引にああいうリズムを作らせてもらった。

 

厚海 ぼくはそのアレンジを喜んでましたけどね。ぼくが出したままでやってもつまんないと思ってましたから、むしろありがたいなと思ってました。

 

──それから12年経って、今回の「祝福の歌」。厚海くんがソロでやってたアレンジとそんなに大きく変わってないですよね。

 

厚海 そうですね。キーは変えたけど。

 

髙倉 ぼくはこの曲をすごくいいと思ってるんだよね。GUIROを離れて以降、義朗くんがもっと本腰を入れてジョアン的な音楽に取り組んでるのを知ってたから、「ファソラティ」の頃とはまた違うと思っていた。というのと、再集結後のGUIROではぼくがイニシアチブを取らない曲もありだという思いもあって、よっさまがやりたいかたちで完成させるのがいちばんなのではというスタンスだった。

 

厚海 リズムだけは髙倉さんが考えて足してくれましたね。フルートは(2017年の)合宿のときにGarageBandで打ち込んだ気がする。ホーン・アレンジは全部ぼくが考えたんですよ。サックス・ソロはあだちくんにやってもらったけど。

 

髙倉 ソロ以外にいちばん上のパートをあだちくんがソプラノ(サックス)で入れてたんだけど、それも録音のときにフルートに置き換えたいというよっさまの意向があって。

 

──フルートで浅野紘子さんが参加してますが。

 

髙倉 古い知り合いではあったんですけど、じつはぼくは演奏での付き合いはなかった。

 

厚海 ぼくはあるんです。名古屋時代に奥村俊彦さんっていうピアニストのバンドを一緒にやってたことがあって、3人でジャズやってました。むしろ、亀ちゃん(亀田暁彦)がいちばん浅野さんとはかかわりがあるのかなあ。

 

──そもそも「祝福の歌」にアレンジとしてホーンが必要と思ったのは?

 

厚海 なんで入れようと思ったのかな?

 

髙倉 ぼくはよっさまの作業を黙って見ていただけだったけど。

 

厚海 合宿のときにマッキー、あだちくん、ぼくの3人で作業していて、とりあえず仮歌、仮ギターを録った。そのときに、彼らにも何かしらやってもらいたいという気持ちがあり、合宿の成果も出さないといけないという流れでホーン・セクションを考えたりしてたのかもしれない。やり始めたら、自分でも思いもよらないフレーズが出来てきちゃったりしたからノッてきて、はめてみたら面白いんじゃないかなと思ったのかな。

 あれは、GUIROでカヴァーした(フィッシュマンズの)「Magic Love」をいちばん参考にしたかな。あの方法論をちょっと応用させていただこうかなと思ってました。あのカヴァーにはホーンは入ってないけど、音のはめ方ですね。「Magic Love」のギターの動きがそのままフルートに応用できそうだな、みたいな。

 

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V.A.「SWEET DREAMS for fishmans」(2004年)

 

髙倉 いま初めて知った。

 

厚海 その話は意外とみんなにはしてなかったかも。

 

──歌をオリジナルの厚海くんから高倉さんに変更したのはなぜ?

 

厚海 思い入れの強い曲ではあったので、なるべく多くの人に聴いてもらえる場を作りたいと思っていたんです。GUIROでやってもらえるのなら髙倉さんにやってもらったほうが絶対にパシッとする。だから「これは高倉さんにやってもらおう」と思って提出しました。

 

高倉 義朗くんのメロディラインを歌うのは、最初は難しかった。キーもちょっと悩んだしね。自分が歌うんだったらどこがいいだろうと探りながら上げたり下げたりして試したんだけど結局、いまのキーになった。原曲のキーよりは少し上げて、デモの時点でのキーに戻ったのかな。

 

厚海 ぼくが最初に弾き語りで作ったときってジョアンの「三月の水」の影響をすごく受けていた時期なんですよ。あの「三月の水」ってギター一音下げチューニングで演奏されてるんですけど、ぼくもその影響で、一音半下げでずっと曲を作ってたんですよ。今回GUIROヴァージョンにするにあたっては、それを元のチューニングに戻した状態にして、さらに高倉さん用にキーを上げてます。だから、カラオケでいうと「+8」くらい。元がめちゃめちゃ低かったんですけどね。いまとなっては自分でも何でそんな低いキーで演奏してたのかよくわからない(笑)

 

髙倉 シンベ(シンセベース)にしたのはいつの時点なんだろうね? 合宿のときにデモを録って残してあって、そこからほどなくして亀ちゃんにシンベをお願いしてた気がする。

 

厚海 でも、最初にお願いした時点では一部分だけですよね。「今こそ~」のあたりだけ。サビとかにはまったく入ってない。でも、その部分があまりにもよかったから本チャンのときには全部シンベでやってもらおうと。

 

髙倉 というか、その前に亀ちゃんがライヴ復帰するタイミングで、「だったらこの曲はシンベで」という流れだったような? そのやりとりを踏まえて、ぼくも「じゃあ、この曲はシンベでやろう」と決めた。

 

厚海 ああ、たしかにそうですね。録音する前にライヴで亀ちゃんとやってたんですね。そのときってサビとかはどうしてたのかな? 適当にやってくれてたのかな?

 

髙倉 OUTROでのライヴ(2018年2月4日、新栄Tempo)から亀ちゃんが入ったと思うんだけど、あの時点ではもうシンベでやってたんじゃないかな?

 

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「春待喫茶OUTRO」フライヤー

 

厚海 確か、サビはフレーズの指定まではしてないんですけど、エレキベースで仮のラインを入れたのを聴いてもらってたんです。「こういう感じで弾いてくんない?」ってお願いしました。

 

髙倉 それをそのまんまなぞったんじゃない?

 

厚海 そうか。リズムの感じはなぞったかな。

 

──余談かもしれないけど、復帰してからの亀田くんは楽しそうですよね。

 

髙倉 どんどん楽しそうになってる(笑)。昔のほうが制約が多いというか、ピアノを人前で弾くのがなかった人が「このバンドではピアノでやってくれ」と言われてやってたわけだから。「ピアノ好きだから、まあやれるようにやってみますよ」とは言ってくれてたけど、当時はひたすらピアノと向かい合ってくれてたね。

 

──左手をほとんど使わずにすごいフレーズを弾く「鬼才ピアニスト」というイメージでしたね。

 

髙倉 復帰してからは人前で好きなシンセを弾けるうれしさもあるだろうね。

 

厚海 自ずとバランスが取れてきてるんでしょうね。

 

──この曲の亀田くんのシンベの控えめさには、そういう精神的な落ち着きも感じます。

 

髙倉 あと、この曲の構造の話をすると、じつは変拍子なんだよね。あれはよっさまが最初にそういう曲にしようと思ったのか、自然とそうなっちゃったのか。

 

厚海 これは完全に自然ですね。まったく狙ってなかった。最初は歌詞はまだなかったですけど、メロディはできていて、メロディの符割りで拍子が決まる、おそらくジョン・レノンがそうであろう生理的にできた変拍子です。最初が3/4、途中が5/8、サビでは7/8が2小節あって5/8、それでまた3/4に戻ります。アウトロは11/8かな。全部まったく計算してなくて、ただただ気持ちいいメロディをそのまま残したら、そうなったんです。

 

──そういう複雑な構造だと、演奏する側は歌メロを聴いてついて行くしかない?

 

厚海 でも、そんなに難しくはないですよね。

 

髙倉 そうそう。「数えないとやれない」というふうではなかった。曲を覚えれば自然とやれちゃうような感じ。

 

厚海 みっちゃんがうれしいこと言ってくれたんですよ。「この曲の変拍子は必然性を感じる」って。

 

──そういう意味では、この曲の構成はGUIRO的ですよね。メロディや言葉によって構成が決定されている。レパートリーに収まってみての座りのよさもあるし。

 

厚海 作ったときはGUIROは意識してなかったんですけどね。とはいえ、さんざんGUIROの曲をやってきて、そういう作り方が体に染み付いちゃっててるので、どこかしら影響は出てるのかも。歌詞に関していえば、カエターノ・ヴェローゾの「デスヂ・キ・オ・サンバ・エ・サンバ(サンバがサンバであるからには)」の影響です。

 

髙倉 よっさまはあの曲はソロでもカヴァーしてたもんね。

 


Caetano Veloso - Desde Que O Samba É Samba

 

厚海 あの曲で「悲しみの主はサンバ」というフレーズがあるんですけど、ぼくもそういう悲しみを内包したなかから強さを打ち出していきたいなということがテーマとしてあって、歌詞はわりとすらすら書けました。じつは『Album』でも2曲書いたんですけど、歌詞は採用されなかったんですよ。

 

髙倉 え? 「ファソラティ」はされたよ。

 

厚海 いや、あれは歌詞というか(笑)。音階を言葉にしてるだけですから。

 

髙倉 いや、立派な歌詞でしょう! でも、(1曲ボツにしたのは)本当に悪かったと思ってるから。

 

──そのもう1曲って「風邪をひいたら」のことですか?

 

厚海 「風邪をひいたら」の、ぼくがつけた元のタイトルは「はいからさんが通る」でしたから。南野陽子もびっくり(笑)。でも、気がついたら「風邪をひいたら」になってたし、それでよかった。まあ、ソロでもいろいろ曲は書いてますけど、そのなかでもいちばんの自信作でないとGUIROでは通用しないなと思ってましたから。だからこの先も苦しい闘いになりますよね、GUIROに曲を提供するというのは。

 

髙倉 闘いかー(笑)。ところで「ボサノヴァはやりたくない」に戻るけど、90年代半ばにそれらしい曲を作った時期もあって。いまにして思えば「銀河」はその一環だったかな。曲作りにおいての何かしらの成果はあったけど、当時はリズムにしても和声にしても本質に1ミリも触れられなかった。ジョアンのすごさなんてそのころはぜんぜんわかってなかったと思います。

 いまでは「ジョアンの音楽はボサノヴァではなく、サンバを発展させた孤高の音楽だ」という面倒くさいことを言うくらいには入れ込んでる(笑)。ジョアンに限らずブラジルの音楽を愛してきたからこそ滲み出る何かはあって、以前から「ブラジル音楽をやりたい人たち」という批評というか、受け止め方をされるところがGUIROにはあると思うのね。でももう意識的に取り組んでるかといえばそうじゃないんです。あくまでぼく個人の話だけど。

 よっさまはぜんぜん違っていて、果敢にもジョアンに正面から対峙して血肉化しようとしている。そこは尊敬してます。でもその流れで捉えてるというよりは、これ(「祝福の歌」)はよっさまの曲で、いい曲だし好きだからやってる、ってことなんですよ。そこに今回、過去作の「銀河」を並べてしまったことで、期せずして批評に晒される文脈を作ってしまったきらいはある。

 

厚海 「祝福の歌」に関しては、ぼくが好きなものをめちゃくちゃ素直に出しただけの曲なんで、批評的な物言いに無頓着でいられるところはありますね。指摘があれば「まあ、そうだよね」くらいの感じ。複雑なことは何も考えてないんです。本当にジョアンに憧れて作っただけなんですよ。

 

(つづく)

 

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東京公演、近づいてきました。

 

先日発表になりましたが、開演前と開演後にぼく(松永)がDJつとめます。

 

2019.12.11

GUIRO Live A/W " Neue Welle "

 

日時|2019年12月11日(水)
場所|晴れたら空に豆まいて (代官山)
出演|GUIRO
開場|19:00
開演|20:00
料金|前売3,500円/当日 4,000円 (ドリンク代別途要)

 

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