発表! 2005年10大ニュースの第1位!
クレイジーケンバンドの年越しライヴ@横浜BLITZから帰ってきた。
ちょっと締切を過ぎてしまったけど、2005年にお別れを告げよう。
2005年の私的すぎる10大ニュースの第1位を発表する。
第1位
ジョナサン・リッチモンド!
秋のある日、
買付でアメリカに居た。
大江田さんがたまたま手にしたタウン紙を広げていた。
「ねえ、この店で、ジョナサン・リッチモンドってひとがライヴだって。まさかジョナサン・リッチマンじゃないよね?」
ジョナサン・リッチマン?
まさか?
確かに2DAYSでやると書いてあるし、前座は彼と交流がある車椅子のシンガーソングライター、ヴィック・チェスナット。
ありえるのか……?
しかも、今日がその2DAYSの2日目だって。
だけど、その店の広告に堂々と書いてあるのは、ジョナサン・“リッチモンド”。
もし、これが“リッチマン”だったら……。
最後に彼のライヴを見たのは2000年の夏。
会いたいな。
「ちょっと、様子を見に行ってもいいですかね?」
そう切りだしたぼくの目は、きっと“ちょっと”どころか、
“これを断ったら許しませんよ”、という気持ちを強く物語っていたに違いない。
その夜、運良く(?)買付が早めに切り上がり、
ライヴが行われるパブ風のクラブに向かった。
入口から見えるスケジュールボードにも大きく“ジョナサン・リッチモンド”。
ああ、やっぱりそっちの方なのかな。
それでも、せっかく来たんだし、
たとえ“リッチモンド”でも話の種になるだろうと、中に入った。
虎穴に入らずんば何とやらである。
前座のヴィック・チェスナットは、とても真摯な歌をうたう。
ジョッキ2杯目になったぼくは、抜けきっていない時差呆けのせいもあって、うとうとと船を漕ぐ。
そのとき、「ごめん、通るよ」という感じで、
客席のうしろから人垣を抜け、楽屋に向かう人影を、おぼろげに見た。
手にはギター・ケースを抱えている。
ジョナサンだった。
リッチモンドではなかった。
こうして、ぼくは5年振りにジョナサン・リッチマンに再会した。
ツアーの疲れで喉が本調子ではなかったジョナサンだったが、
相棒のドラマー、トミー・ラーキンスとともに、元気に歌い、
5年前に見たときよりも、もっと自由に踊りまくった。
アンコールの要望には、
野球漫談風の「ウォルター・ジョンソン」と、
インストの「ムーラン・ルージュのテーマ」で応えた。
「ムーラン・ルージュのテーマ」を聴きながら、
酔いのせいもあって、思わずホロリとしてしまう。
終演後、ステージの楽器を片付けているジョナサンに声をかけた。
彼はぼくが来ていることにとてもとても驚いていた。
そりゃそうだ。
ジョナサン・リッチモンドなんだもの。
「また会おうね」と約束して、お店を出る頃には、
もう夜中の1時近くになっていた。
こうして、ぼくはジョナサン・リッチモンドのおかげで、
ジョナサン・リッチマンに再会した。
これが2005年のベスト1。
さ、とりあえず来年一発目は、
年またぎで途中まで作ってた新年ミックスCDを完成させよっ!
きっといいのができそうだ。