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『A MEZZANINE(あ・めっざにね)』全曲を語る その1/髙倉一修&厚海義朗インタビュー

GUIROにとって2019年の重要なリリースとなったミニ・アルバム『A MEZZANINE(あ・めっざにね)』。

 

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兼ねてから、アルバムの試聴会やトークイベントなどで高倉さん、厚海くんたちといろいろ話してきたなかで、高倉さんより「GUIRO再始動の経緯や近年の活動についてよりも、曲のことをもっとしゃべっておきたい」という要望を受けていた。

 

そして夏の某日某所で行われたのが、この全曲を語るインタビューだ。曲の成り立ちやエピソードを中心に話した内容は、結果的に単なる解説や分析以上のものになっていると思う。なにしろ一曲目の「三世紀」だけで、すでに一万字!(なので2回に分けて掲載する)

 

さて、よけいな前置きも短めに。とにかくすぐに話し始めましょうか。

 

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三世紀

三世紀

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◾️「三世紀」

 

髙倉一修 どの曲もおなじように触れたいわけではなくて、「三世紀」は新しい曲な分だけ、自分でもよくわかってない部分がある。よっさま(厚海義朗)だったら「祝福の歌」の構造とか思いとか、ぼくにはわからないところも聞いておきたいし、そういうのを考え続けるというか、話した記録として残しておきたいと思ったんです。自分でも「これはこういう曲なんです」と完璧にプレゼンできるようなものとしてとらえてないところがあったりする。なので、曲によってそれぞれ「この曲はそういうところを知りたい」みたいな感じで話していきたいんです。

 

──じゃあ、やっぱり曲順通りに「三世紀」からはじめましょうか。

 

髙倉 (『A MEZZANINE(あ・めっざにね)』に)新しい曲を入れなければ、あんまり意味がないなと思っていたところが大きかったかな。こういう音のでき方の曲を入れたかったというより、このミニ・アルバムのために作ったいちばん新しい何かが入るということが必要だった。

 

──「三世紀」の歌詞は髙倉さんと田代万里子との共作になっていて。2017年、最初に曲作りの合宿をしたときには、まずは田代さんからいただいていた歌詞をそのまま使っていたそうですね。

 

厚海義朗 その時点では、いまの曲のかたちもなくて、歌詞だけしかなかったですね。その歌詞も完成版とはぜんぜん違ってて。ぼくが覚えてるのは「お天気雨のこの窓辺」とか、そういうところだけかな。他のパートは残ってないんでしたっけ?

 

髙倉 (他にも残ってる部分は)あるよ。まずはその「お天気雨のこの窓辺」から「三世紀 亙る鳥が編まれた」までの四行。冒頭の「額にとけた稲妻」はぼくがつけた。それから「すべては紙でできた羽根」から「最終形 示す街 顕れた」までの四行。でも、細かいところはじつは変えている。

 

──それはメロディに対する言葉数とかの理由で?

 

髙倉 そう。言葉を変えたいちばんの理由は、音符の数が途中で決まってしまったから。でも、最初の四行がすごく曲のイメージを持たせてくれたんだけど、その浮かんだイメージは音符の数も伴っていて、そのままだと微妙にハマらないという問題があった。そうすると、この音符の数に乗せるんであれば、あと二つ三つ言葉を足したい。で、たとえば「真ん中に腰かけていたら」の後に「また」を足して。「三世紀 亙る鳥になった」を「三世紀 亙る鳥が編まれた」に変えたり。

 

厚海 はー(感心)。

 

髙倉 最初の四行でいえば、前半は直してない。ぼくがその四行をどう感じたかというと、窓辺からの視点で日々の揺れを見ていたわけ。その視点の真ん中に腰かけていたら、見てたものが三世紀を亙る鳥になった。ただ「なった」という状態。で、歌詞を変えるにしても、それ以上の意味を言葉で足したくなかった。「真ん中に腰かけて寝ていたら」とか、そういう副詞的な要素は足したくない。だって「寝た」のなら、見てたものがその場で変わったことにならないじゃないか、って。見てたものが三世紀を亙る鳥になった、ということを壊したくなかった。だから、「が編まれた」も結構苦しいよね。本当は「になった」でいきたかったから。

 

厚海 そうかそうか、思い出した。

 

髙倉 「になった」を活かしたくてギリギリまで粘ったし、歌詞を書いた当人(田代)にも相談したし。彼女も「ニュアンスを残したまま変えられますよ」って言ってくれたんだけど、変えたものをもらったら、やっぱりニュアンスは変わってた。それだと歌詞を書いた当人に対して「そうじゃないです」ってことを言うことになる。ものを作っていくにあたってダメ出しで作っていくことになっちゃうから、それだとおもしろくない。だから自分で考えた。

 

──なるほど。そして、もともとは導入は四行詩x2だったんですね。ポップスの歌詞としての体裁を保っていたわけですか。

 

髙倉 わりとあった。サビみたいなパートも四行あったし。だけど、出だしの一行が、曲の構造として必要だということになって、「額にとけた稲妻」が入った。「東天紅」みたいに、もらった歌詞をいっさいいじることなく曲がスポンとハマったケースとは作られ方がぜんぜん違ってるんです。(「三世紀」の歌詞は)強くインスパイアされた部分以外は、どうにも曲との辻褄が合わなくて。最初の四行だと、メロディにまったくうまくハマってくれなかった。文節で区切れないから言葉の途中で区切らないと合わない。それがおもしろくなればそれもいいなと思ったけど、いまひとつハマらなくて。なので、次の四行(「すべては紙でできた羽根」から)も、ニュアンスだけちょっと残してかなりぼくが変えてしまってる。曲の後半はぼくが書いたんだけど、まったくの書き下ろしかというとそうでもなくて、たとえば「既視に塵を挟まぬように/重ねていたら未知となった」の二行は原詞にあったの。

 

厚海 あったあった! 思い出した!

 

──でも、ここのパートはポエトリー・リーディングのようになっているけど、元の歌詞では歌われることを全体としたラインだったわけですよね。

 

髙倉 そう。この前後の歌詞は、ぼくが歌入れの前日にわーっと書いたもので。だから、ここからここは田代さんで、ここからはぼく、みたいにスパンとは割り切れない歌詞になっている。「三世紀」ってタイトルも原詞にはついてなくて、「三世紀」という言葉だけあったものを最終的にぼくがタイトルにさせてもらったんです。

 

──「三世紀」というワードがあったから、反応して出てきた言葉もあると感じましたけどね。「一階と二階のあいだ」とか。

 

髙倉 ああ、そうなのかな。

 

──まあ、「一階と二階のあいだ」って「中二階」なわけで、アルバムのタイトル『A MEZZANINE(あ・めっざにね)』を象徴してるんですけど、その「一」と「二」を引き出していたのは、もしかしたら「三」だったのかも。

 

髙倉 へー。そうかそうか。

 

厚海 これって、曲を作るにあたって何から手をつけたんですか? メロディなのか、コードなのか?

 

髙倉 たぶん、合宿のときに、最初の四行に対する最初のワンコードだけはなんとなくあった。そこを起点にして、ちょっとギター弾いて歌い出しをやってみた。一行だけ。その次に、シンセのブラス音で「パー、パー」っていうのを入れてみたくなって、ギター一本で作る曲じゃなくなった。その辺りからよっさまもいたから「そんな感じにしてみたい」って話して、シンセの音をiPadから出してもらったかな。

 

厚海 ふーん。そんなことやってましたっけ。

 

髙倉 デモにもその感じは入ってたし、シンセのイメージは最後まで残ってたかな。

 

──そうか。じゃあ、合宿で「三世紀」はまるでものにならなかったわけではなくて、とっかかりだけはできていたんですね。

 

髙倉 そうなんです。でも「真ん中に腰かけて」くらいで止まったかな。その場で、もともとあった歌詞のサビにあたる部分に対する展開が浮かんだんだけど、それはぜんぜん気に入らなくて。その場でもみんなにそう言った。やってみたけど「こうは絶対したくない」って。あだち(麗三郎)くんとかは「これ、いいじゃない」って言ってくれてたけど、ぼくが行きたい方向じゃなかった。まあ、合宿でみんなもいるし、とりあえずひねり出さなくちゃいけないという状況でやってはみたけど、やっぱりその場でボツにするという宣言をしました。それで、出だしの三行くらいで止まった状態で、合宿は終わってしまった。

 

──その、こっちには行きたくない感じというのは、Aメロ、Bメロあってのサビみたいな展開だったから?

 

髙倉 いわゆるサビ的なサビだったかな。それだとなんかおもしろくないなと感じて。

 

厚海 その展開ってマッキー(牧野容也)が出した案からできたやつだった?

 

髙倉 マッキーは「真ん中に」のは入り口のコードをぼくが出して、その続きで「こんなのはどうか」みたいな展開を考えてくれたかな。でも、最終的にはその展開は採用しなかった。

 

──その時点ではまったく違う曲だったんですね。じゃあ、歌詞として導入のイメージを作った「額にとけた稲妻」は、いつできたんですか?

 

髙倉 これはもう最終段階。たぶん、構成はもうできていて、ここに何かが必要だということはわかっていて。そこの何かに対して言葉をいろいろ歌ってみてて。たとえば「ア行」で終わりたい、とか。それは「雪だるま」なのか「稲妻」なのか。そういうイメージだけを何ヶ月かあっためていて、最終的にこれになりました。「お天気雨」とかあるから「稲妻」は妥当かなという気持ちが自分ではしていて。

 

──そして、曲の構造としては「A→B→サビ」みたいな構造から逸脱したすごいものになりました。

 

厚海 なんなんでしょうね、これは(笑)。一応、便宜上、譜面では「A→B→C」みたいな捉え方はしてるけど、よくわかんないですね。サビっていうものはない。

 

──なぜ、こうなったんでしょう?

 

髙倉 単純に、最初のパート以降がギターではどうにも思い浮かばなくて止まっていた、と。そして、それとはぜんぜん別の断片として、後半のコード進行をキーボードで作ってたんですよ。それは別に何に使うとかも決めず、「この進行いいな」と思いながらエレピでやっていただけ。鍵盤で曲を作ること自体、ぼくは初めてだったけど、ちょっと気に入ったのができたからこれは覚えておこうと思っていたわけ。それで、あるとき「これ、くっつかないかな」と発想して、間にブリッジみたいなのを入れたらなんとなく後半に行けるなとあたりをつけながら。でも、後半はギターでは弾けないから、一曲を通してみんなに聴かせるみたいなことはできなかった。それで、何らかのデモを作らないと、と思い、今年の正月くらいからデモを打ち込み始めたんですよ。

 

──後半のコード進行は、じっさいのところ「髙倉進行」みたいなオリジナリティがあるんでしょうか?

 

厚海 今、デモから採った譜面とにらめっこしながら考えてたんですけど、脈絡がありそうでない。別にルールはないから。なんとなく基調になってる音というのはあるんですよ。

 

髙倉 ぼくはコードネームを信用してないというのがある(笑)

 

厚海 わかる。それはすごいわかる(笑)

 

髙倉 要は、下からの音の積み上げ方でコードネームって決まるでしょ。人によっては「ここにあるものを別のところに入れてもおなじコードだよ」って考える人もいる。弾きやすさとかも関係してるし、結構平気で音の入れ替えは起こったりするんだけど、ぼくからするとそれをやると響きがもう変わってしまって。

 

厚海 ムードが変わりますよね。

 

髙倉 だから「この積み上げ方でなければ意味がない」くらいの感じで思っちゃってる。

 

厚海 「ドミソ」じゃなくて「ミドソ」がいい、って感じですよね。「ドミソ」と「ミドソ」はおなじじゃない、ってこと(笑)

 

髙倉 ぼくはその感覚が相当強いのかな。自分でもよくそれは思いますね。

 

(つづく)

 

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さて本日はこちらです。仙台初ワンマン!

 

GUIRO Live A/W " Neue Welle "[仙台]

 

日時|2019年11月8日(金)
場所|enn 2nd
出演|GUIRO
開場|19:00
開演|20:00
料金|当日 4,000円 (ドリンク代別途要)

 

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