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なにかあり/とくになし

ふるさと、見知らぬふるさと

去年の今ごろは
ハイラマズを見ていたんだ。


猫が死んで
新しい猫が来て
彼女(雌)がやっと我が家になじんできたころに
ハイラマズは日本をひさびさに訪れた。


09年の2月19日だった。
ショーン・オヘイガンのソロ・コンサートがあるというので
渋谷のO-Nestに出かけた。


その日、
フロントアクトを務めたのが
公演を主宰したサイトクノの齋藤鉱了さん率いる
サタデーイヴニングポストだった。


06年に出たアルバム「It's All True」を
ぼくに熱心に薦めてくれたのは
サケロック田中馨
グッドラックヘイワ野村卓史だった。


グッドラックヘイワ
サタデーの「森美人」を
ライヴでカヴァーしていた時期もあった。


ショーン・オヘイガンの前に見た
久々のサタデーはずいぶんと違うバンドになったように思えた。
実際にメンバーもかなり違うようだし、
「森美人」も演奏されなかった。


変身の過程でもがきながら
手を伸ばした先にあるはずの道しるべを
てのひらを閉じたり開いたりしながら探しているような音楽を
お茶を濁さずにうまくあらわす
適当な言葉が見つからなかったのだろう。


その日のブログには
ほとんど何も書いてない。


それから約一年が経って
あのときのサタデーがこうなりましたという
一枚のCDが届いた。


タイトルは
HOME STRANGE HOME」。


あのとき難破船の救難信号みたいに思えた音楽が、
ここでは無事に
どんぶらこと海を渡って
彼らの新大陸にたどり着いたのだとわかる。


ラクな道のりでは生まれ得ない音楽だ。


ハイラマズとの共演、
彼らの公演を主宰するという体験が
憧れや共感以上の力強い何かをもたらしたのだと信じたい。


夢見るという行為にも
プロフェッショナリズムは
ちゃんとあるのだということとか。


アルバム一枚を聴き通して
ぼくはそのままハイラマズの「カン・クラッダー」へと移った。


一年がかりで
ようやくぼくの中で
彼らとハイラマズは本当に共演したという気になった。
そこにはうれしさがあった。


ところで
かつてサタデーに「森美人」を提供した連中は
今は独立して
「我々」というユニットで活動している。


二回もお酒を一緒に飲んでいるのに
まだライヴを見たことがないのが
本当に悔やまれる。


だって、ほら、これ