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なにかあり/とくになし

あのときの森下愛子

夕方、
とりあえず原稿を一本書き終え
入稿メールを出せたので
これさいわいと散髪に出かけた。


実際
もしゃもしゃヘアも
これ以上放置しては大問題。


これは髪の毛じゃない。
もはや蔦(つた)だ!
なんてことになりかねない。


バスで駅前まで出て
家賃の振込を済ませ
いつもの散髪屋へ。


いつものように
店内では「相棒」の再放送が流れている。


この時間帯、
「相棒」は二話連続で再放送されている。


いくら人気があって長く続いているシリーズとは言え、
これだけ毎日のように再放送していれば
この話もう見飽きたよと思うのが人間だろう?


まあ
床屋の時間は
「相棒」のなかで起きている事件などまるで気にせず
ただもう淡々と流れているだけなんだが。


中学生のころ
どういう趣向だったのかわからないが
地元のテレビ局では
夕方の時間帯にATG映画をよく流していた。


岡本喜八監督の「肉弾」を見たあとに
トムとジェリー」をつづけて見たという記憶がある。
情操教育としては明らかによくないよな。
こんなおとなになったものな。


さらに
中途半端な時間で映画が終わったときだけ
穴埋めのように「もーれつア太郎」が放映されていた。
ぼくの記憶では
もーれつア太郎」はレギュラーではなく
そういうイレギュラーなかたちでしか
見ることの出来ない貴重な番組だったはず。


しかしだな
いくら昔の話とは言え
そんな放映形態が本当にあったのか?
自分でも疑問だが
そうだっただろという実感だけはしっかりと刻まれている。


ATG映画では
東陽一監督の「サード」も
深夜、夕方と何度も放映されていた。


その映画で繰り返し見た森下愛子のうつくしいヌードのせいで
今もって「うぬぼれ刑事」あたりに出てくる彼女の姿を
神々しくて直視できないというトラウマが
ぼくにはなんとなくある。
たぶん
熊本県あたりの
40歳くらいの男には
そんな恥じらいがぼんやりとある、はず。


今ぼくの目の前にある床屋の鏡に
あのときの森下愛子が映しだされたりしないものか。


そんなことを考えていたら
散髪の時間は早々に過ぎた。


予告通り
夜は焼肉を食べ、
もう一本原稿を仕上げるはずが
あっさり惰眠。


それでも夜10時すぎには目が覚めた。
そして
小西康陽 これからの人生。」で
青葉市子の「光蜥蜴」が
鮮烈に流れるのを
ぼくは確かに聴いた。


あの瞬間
ラジオにすさっと切り傷が出来たみたいだったな。