mrbq

なにかあり/とくになし

信号と小説

夜、ハイファイから渋谷駅まで歩くうちに
小降りだった雨が大粒に変わる。
やばい。スコールになるかも。
このところの東京の雨はアジアン・テイストである。


そんなときに限って交差点の信号で足止めをくらう。
ああ、こういうとき、信号にひとの心があればなあと心底思う。
濡れだした人間たちを見て、テキパキと赤から青へ変わってみせるだろう。


そうだよ。
広い世の中、生まれ変わって信号になったやつだっているかもしれない。
ひとの心を持つ信号。


ここで、いきなり小説。


繁華街の交差点。
ひとも車も多く、日中は交通整理の警官も大忙し。
ある日、警官は気がついた。
ここの信号、ちょっとおかしくないか?


お年寄りや体の弱いひとが通るときは、気のせいか、青の時間が長かったり。
くっちゃべってる若いやつらがノロノロしてるときは、さっさと赤になったり。
左折車両が交差点に立ち往生しないよう、左折のサインをうまく使ってるような気もする。
あれって、歩行者にも車にもいいことないもんな。
あいつ、よくわかってやがる……。


いやいや、そんなはずはない、
警官は首をすくめ、再び腕を振り、笛を吹く。


別の日、警官と先輩は、こんな会話を交わした。
「お前が勤務してる交差点な、着任してもらう直前にひどい事故があってな。轢き逃げだ。犯人はまだ捕まってない」
「大丈夫っすよ。今はオレが毎日見てるっすから安全なんす。それに、信号もオレの味方っす」
「味方っす……って、信号は機械だぞ」
「いや、なんか、あの信号、ひとの気持ちがわかるような気がするんすよねー」


そして、事件は起こった。
ある白昼、一機の信号が赤になったまま、まったく変わらなくなってしまったのだ。
あたりはたちまちに混乱をきたした。
足並みの揃わないファンファーレのように、身勝手なクラクションの洪水が警官を襲った。


まいったなーこりゃ。何でこんなときに信号の故障だよ。
と、そのとき、何かと目が合った気がした。
信号の赤すぎるほどに赤いライトだった。


警官は直感した。これは故障ではない。充血だ。
「お前、ひょっとして泣いてんのか?」


次の瞬間、信号が真下に向けて矢印のサインを突然出した。
そこに一台の乗用車が止まっていた。バンパーに何かに当たったような痕がある。


警官は魅入られたように、その車のもとへ向かった。
「あのー、お急ぎのところ申し訳ありません。ちょっとお尋ねしたいことが……」
「ヒイー! やってない! オレは何もやってないよー!」
「はあ?」
「どして! どして! 青になんないんだ! よりによって、この交差点で! うわー!」
運転していた男はそのまま恐怖におののくがごとく気絶してしまった。


警官は信号の方を見た。
矢印が今度は横を向いていた。
その先へ振り向くと、歩行者用の信号が赤で小刻みに点滅していた。
まるで涙で目をしばたいているようだ。


あ……。
警官は思い出した。
この交差点で起きた轢き逃げで亡くなったのは、親子二人連れだったのだ。


あれ? これ、笑える話になるはずだったんだけどなー。