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なにかあり/とくになし

平和島3月20日

12年前の今日は、
世間的には非常に深刻な大事件が起こった日として記憶されているが、
ここではその中味には言及しない。


その日、ぼくは平和島競艇場にいた。
弟と一緒にいったはずだという記憶もあるが、
それはひょっとして、その前か次の機会だったかもしれない。
一緒に行っていたら、あの事件のことを話題にしていたはずだ。


とにかく、ぼくたちはまだ競艇一回目か二回目の、
カモもいいところの兄弟だった。


都心の地下鉄はすでに午前中から大騒ぎだったに違いないのだが、
山手線を内回りで品川に向かい、
そこから京浜東北線に乗り換えるというルートを取ったため、
そんなことなどまったく知らなかった。


JR大森駅で降りたのは昼過ぎだったが、
夕刊紙の速報もまだ出ていなかったはずだ。


その日は
平和島競艇で開催されていたSGレース「総理杯」の
準決勝の日だった。


競艇の開催の仕組みを知らないひとにはわかりにくいが、
要するに予選4日間のうちの成績優秀者から上位18名を
6艇ずつに分けてレースさせ、
1着2着が翌日の決勝戦に進むというのがルールである。


このとき、ぼくは弟イチ押しの植木通彦選手から流して
舟券を取った。
植木選手の得意技である
モンキーターン”という言葉を知ったのも、このときだ。


その後も「総理杯」は毎年、同じ時節に平和島で行われている。
植木選手は「艇王」「不死鳥」の名を持つ名選手だが、
なぜか平和島とは相性が悪かった。
それが今節はいつになく調子がよく、
平和島でのSG初優勝の機会を狙っているのだという。


そうか、あのとき植木選手は優勝しなかったのかと、
不意に記憶がよみがえった。
てっきりあのまま優勝したものだと思い込んでいたのだ。


あのとき「植木がんばれ! 明日も(仕事を休んで)来るそ!」と心に誓って、
家に帰って世間の大ニュースを知って愕然とした。
そして「総理杯」のことなどすっかり忘れてしまったのだった。


競艇場にはここ2年ほどすっかりご無沙汰してしまっているが、
21日の決勝戦では植木選手の優勝を祈る。