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なにかあり/とくになし

黒沢進さんのこと

アメリカの珍奇なウクレレ歌手タイニイ・ティムが亡くなったとき、
その死は「ひとつの巨大な図書館がなくなったのと同じだ」と
評された。


何故なら、
彼は19世紀後半から20世紀前半の
レコード化されていないアメリカのポピュラー・ソングを
ほとんどソラで覚えていて歌えたからだ。


その膨大な記憶が失われた。


中村勘三郎勘九郎だったころ、
父・勘三郎の死去によって、
伝承されるべきだった多くの芸の機微が失われたことを
「お持ち帰りになった」と表現していたことがある。
それもまた、うまいこと言うね。


音楽評論家の黒沢進さんが亡くなったことは
先月の後半にひっそりと報道されていた。


グループサウンズ(GS)とそこにまつわる芸能文化について、
黒沢さんもまた、かけがえのない記憶の図書館の持ち主であり、
愛情にかまけて取り乱すことなく時代を整理できる語り手でもあった。


「日本の60年代ロックのすべて」など、
いくつかの著書はあるけれど、
ぼくが一番、本にまとめてほしかったのは
「レコードコレクターズ」で連載されていた
「シネマは唄のためにある!」だった。


映画の中に風俗として現れるGSを
クールに目撃し続けるという文章の態度が
ぼくは好きだった。


ふとした縁で
かつて一度だけ一緒にお酒を飲んだことがあり、
その際に、単行本化のリクエストをした記憶がある。


ご本人は、
「単行本にするのなら、もっと書き足しをしなくちゃ」
というようなことを言っていた。
結局、その書き足されるべき部分は
“お持ち帰り”になってしまったわけだけど。


タイニイ・ティムみたいな変態と一緒にするな?
いや、ぼくにとっては、
これ以上の賛辞はないのです。