ムッシュミヤタケを聴く
グッドラックヘイワ&キセル@渋谷クラブクアトロで
グッドラックヘイワが演奏する
「ムッシュミヤタケ」という不思議な曲を聴いた。
珍種のシイタケのような語感だが、
わかるひとにはすぐわかる。
これは明治大正期に反骨とユーモアを
全身全霊で体現した出版人、宮武外骨のこと。
「滑稽新聞」をはじめとした外骨の偉業を
時代を超えたヒップスターとして現代に紹介したのは赤瀬川源平。
「学術小説 外骨という人がいた」を
ぼくも高校のころに読んでいる。
調べてみたら白水社での初版が1985年だから、
ほぼリアルタイムで読んだのだ。
何故、そんな本に興味を持ったかのか、
記憶を探っていたら、ちょっと思い出したことがある。
当時、NHK-FMで「ふたりのへや」という
15分オビのラジオドラマ・シリーズをやっていた。
だいたい2〜4週間単位で、
いろいろなドラマを採り上げていた。
時間帯は「サウンドストリート」のうしろで
「クロスオーバーイレブン」の前。
気になる番組にはさまれていたこともあって
このドラマはよく聴いた。
その番組で、
小林信彦の「ちはやふる奥の細道」というドラマが放送された。
中学卒業間際か、高校入学直後だと思う。
W・C・フラナガンというインチキくさい日本史研究者がいて、
「松尾芭蕉は忍者だった」という珍説を
さも真説のように発表したという設定だった。
この放送にあふれていたエセ・ジャポニズムに
十代半ばだったぼくはひどく興奮した。
細野晴臣よりも
マーティン・デニーよりも
ヤン富田よりも早く
松尾芭蕉(にせものの)が快感を教えてくれた。
そして、その流れで
他にそのような突飛な歴史人(実在架空は問わない)はいないかと
田舎の高校生にとっての少ない筋道をたどるうちに
宮武外骨というひとを知ったのだ。
今日は本当は他のことを書くつもりだったのだが、
「ムッシュミヤタケ」なんて言われたら
むずむずしてしまって
さからえなくなってしまった。