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なにかあり/とくになし

野音にて

忌野清志郎が亡くなったその次の日に
日比谷の野外音楽堂、
すなわち、野音
ぼくはいた。


それは不思議なめぐりあわせで、
何かを図ったわけではない。


去年の夏、
病気が再発したあと、
いろんな夏フェスの出演がやむなくキャンセルされたが、
その一連のお披露目が終わったら
実は野音での復活ライヴを
晩夏に予定していたのだと
近い関係者から聞いていた。


RCサクセションは、
この日比谷野音
我が物のように使いこなした。


ソロやほかのバンドで野音にいる清志郎
ぼくは残念ながら見ることがなかったが、
ソロでもそれは変わりなかったと
断言出来る。


ステージを存分に使うとか、
場内をくまなく練り歩くとか、
良い音の出し方を知っているとか、
そういう意味ではない。


ただ音楽が隅々まで届いていた。
蝉も鳴いて(泣いて)いた。
隣にいた友人も、昔の恋人も、見知らぬひとも
のめりこんでいた。


彼らにホームというべき舞台があったとしたら
クリスマスの武道館よりも
夏の野音こそ
そうではなかったかと思う。


いや、
ホームが”ふるさと”という意味なら
だれにだって思い出す場面や場所があるだろう。


たとえば
それはぼくにとっては
高校一年のときに坊主頭で出かけた熊本市民会館でのRCあり、
もっと言うと
中学生のときに友人のタチバナくんに
RCのことを教えてもらった教室の中なのかもしれない。


たいせつなひとを亡くすことは
自分が一番そのひとと密接だった時代に
一緒に生きたひとたちの顔を
思い出すことでもある。


昨日まで
どこかぼんやりとしか思い出せなかった顔が
今日は
はっきりと思い出せる。


今日、
野音の客席では、
懐かしいRCのアルバム「FEEL SO BAD」の
Tシャツを着ている男性を見かけた。


赤っぽいコールテンのズボンを履いている若者もいたが、
あれもそういう意味だろうか。


イベントのトリは細野晴臣さんだった。


大きな大きなショックを受けていたはずで
本当は人前になんか出たくはなかっただろう。


「今日はぼくだけお通夜です。
 心がズーンとした一日でした」


言葉は正確ではないかもしれないが、
演奏を始めるにあたって
細野さんは客席にそう告げた。


中盤に、
細野さんは
ザ・バンドの「ザ・ナイト・ゼイ・ドローヴ・オールド・デキシー・ダウン」に
日本語詞をつけて歌った。


昔、
清志郎
ザ・バンドの「ウィ・キャン・トーク」に
同じように日本語の歌詞をつけて歌ったことを
いやおうなく思い出した。


RCの古い古いアルバム「楽しい夕に」の一曲目
「ラー・ラー・ラ・ラ・ラ」の代わりみたいでもあった。


アンコールでは
さらに踏み込んで、
細野さんはしゃべった。


自分と彼は“ゴールデン・コンビ”であること。
ピンクのスーツを着て親しいひとたちに送られたこと。
ついに一度も細野さんのライヴを見に来なかったこと。
でも、今はひょっとしたら見てくれているかもしれないこと。


そして、
清志郎が書いた一番好きな歌詞であると紹介して
「幸せハッピー」を
出演者全員で歌った。
「ゲストです」なんて無粋な紹介をすることもなく、
2番は坂本冬美さんが歌った。


3人にとって
HISは
本気のバンドだったんだから。


そのアンコールは
日比谷野音から
清志郎に送る
音楽式だった。


細野さんは
ふさぐ気持ちを奮い立たせて
責任を持って
その舞台を取り仕切った。


細野さんは
男だと思った。


サケロックの連中や知り合いと少し話して
野音を出ると、
懐かしいひとたちが
わあっと集まってきたような気がした。


ひゅっとビル風が吹いて
ぼくはまたひとりに戻り、
地下鉄の階段を降りた。