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なにかあり/とくになし

ロック

どうもいけません。


電車の中で
取材の資料用の本を読んでいて
その本はとてもおもしろいはずなのに
頭にすっと入ってこない。
何度も同じ箇所を読み返したりして、
進行がおぼつかない。


たたんで目を閉じた。


角田光代が新聞に
忌野清志郎に寄せる文章を書いていて、
さすがと思った。
彼女は「ロック」という文字は慎重に一回だけ使っていた。


そういうことなのだ。


煎じ詰めれば、
清志郎
ロックというものの非ロック的な価値を
信じさせてくれた存在だった。


つまり、
ゴージャスでワイルドでアウトローなイメージから生まれる
反社会的で反骨で別の世界の何かではなく、
ただ淡々とひょうひょうと
やさしくせつなく
やるせなく
やむをえず
できればたのしく
それが無理なら無理して笑わず
毎日をまじめに生きることから
彼の音楽は生まれていたということを
何の不自然さもなくぼくたちに植え付けてくれた。


清志郎のニュースについて
「キング・オブ・ロックが」とか
「反骨の何とかが」とか
そういう言葉しか使えないひとは
あのひとの歌が「あー」とか「おー」にしか聴こえていない
感覚の不自由なひとだということを
マスコミの面前で証明しているにすぎない。


それに
清志郎が言えば「あー」にも「おー」にも意味は生まれた。
それは聴き手の心に反射して
毎日の生活の中で育つ「あー」だ。


「愛しあってるかい」と彼が言えば、
そのたった数文字の言葉が
ひとの心の中で
何行もの文になり
何万ページの本になった。


俳句より短くてゆたかな日本語じゃないか。
歴史に残すべき言葉じゃないのか。
教科書に載るべきじゃないのか。


ぼおっとする時間があると
そんなことばかり考える。


お店に
京都のバンヒロシさんのお知り合いの方が見えた。


「落語家の屋号みたいな名前のCDを買ってきてくれ」と
頼まれたんですよ、と彼女は言う。


……落語家の屋号?


ああ、林亭!


そのひとときの会話で
気持ちがすこしほぐれた。


夕方から
下北沢のmona records
寺尾紗穂さんと高田みち子さんのライヴを見に行った。


寺尾さんは
ランディ・ニューマンの、というか
ニーナ・シモンで知ったという
「アイ・シンク・イッツ・ゴーイング・トゥ・レイン・トゥデイ」をカヴァーした。


アンコールは
寺尾さんと高田さんの共演で
伊藤銀次の「こぬか雨」だった。


明日は東京も雨になるそうだ。


(追記)
角田さんの文章について
当初「ロック」という言葉を使っていない、と書いたのですが、
あらためて読み直してみたら
「ロック」という単語を一回だけ使っていました。
なので訂正します。
だからといって
角田さんの文章の読後感は変わりません。