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なにかあり/とくになし

性悪猫

どうもいけません(二回目)。


昨日のブログでは
いきおいあまって記憶違いをしてしまっていて。
その後、訂正をしましたが、
ご迷惑をおかけしました。


やはり
どこかで気持ちの栓が抜けているようで、
お店を閉めたあとも
裏戸をきちんと施錠したかどうか気になって
すでに渋谷駅近くまで来ていたのに
またお店まで戻ってしまったり。


鍵はちゃんとかかっていた。


その代わりに、
別の痛恨ミスをやらかしていたことが
電車に乗っている間に判明したり。


すこしは
落ち着き始めたと
自分では感じているのだが
どこかに空いている穴から
じょろじょろと砂がこぼれ出ているのだろう。


北海道に住む先輩から
やまだ紫さんが亡くなったというメールが届いていた。


調べたら
5月5日の未明に
亡くなったばかりだった。


漫画家で詩人のやまださんは
手塚治虫が創刊した「COM」でデビューし、
その後も早くから「ガロ」で
漫画をマイペースで描き続けた
インディペンデントな女流漫画家の草分けだった。


インディペンデントとは
単なるフリーという意味ではない。
雑誌や編集者の意向による制約を受けないという意味だ。


ぼくが「ガロ」を買い始めたのは
80年代の半ばで高校生のころだったが、
そのころでもまだ
やまださんは「ガロ」の一線だった。


当時「ガロ」の女性作家には
近藤ようこ杉浦日向子というエースがいて
松本充代という緊張感のある漫画を描く新人もいて、
内田春菊も出てきていたが
南くんの恋人」を描き始めたのはもう少しあとだった気がする。


杉作J太郎の漫画デビューも
そのころに読んでいる。


やまださんの漫画は
高校生のぼくには明らかに“おとな”だった。


詩人でいらしたということは
ずっと後年になってから知った。


むろん、当時から詩的な雰囲気は感じていたが、
それはいわゆる“ポエジー”な感じのやわらかさではなく
布にぶすっと針を通すような
線は細いが度胸の太いものだった。


傑作「性悪猫」は
高校生のぼくには敷居が高く、
のちにちくま文庫化された「新編性悪猫」を
大学生になって買った。


その本が見当たらないので
買い戻そうとしたら
結構な値段がついていたことを覚えている。


体調を崩しながらも
京都精華大学の漫画学部で教鞭をとっていたやまださんは
決してはかない幻の作家を気取っていたわけではなく、
からっとして気丈な女性だったようだ。


ホームページが存在していたことを
今日初めて知った。
ブログもあった。


もっとはやくに気がついておくべきだった。