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なにかあり/とくになし

泣く方法

夜、
渋谷から家に電話をしたら
阿佐ヶ谷はバケツをひっくり返したような
どしゃ降りだという。


そんなばかなと思いつつ
山手線が代々木にさしかかるあたりから
ばさばさと水しぶきが窓にかかりだした。


新宿駅はざあざあで
そのうち稲光がぴかぴかごろごろ。
阿佐ヶ谷からはタクシーに乗ったが、
運転手さんはこれでもさっきよりはマシだと言った。


昨日から
こうの史代この世界の片隅に」全3巻(アクション・コミックス)を
読み続けていた。


あらかじめ傑作だとわかっていると
どうも物怖じする傾向があり
ちょっと損をする。


今回の場合は
ちょっと、じゃなく、
大損になるところだった。


電車の中でも
あやうく泣きかけた。


風呂の中で
最終巻を読み
ほろほろと泣いてしまった。


5月には
いろいろあった。


亡くなったひともいたし
わけもなくいらいらもした。


でもぼくは泣かずにいた。
泣けずにいた。


報せはいつも突然来るので
きっかけを見失っていたし、
だいたい自分が泣きたいのかどうかもわからなくなっていた。
悲しいから泣くという論理が、よくわからなくなっていた。


泣く方法は
なんでもよかったのだ。
ただ、涙腺の先だけ、ちょんと切ってさえくれれば、
きつい蛇口を無理してひねる必要もない。


もちろん
そのきっかけが
こうの史代さんの素晴らしい漫画だというのは
(昨日読んだエイジさんの文章もそこに加えたい)
間違いなく幸運だ。


少しすっきりした。