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なにかあり/とくになし

日本のどこかの狭くてそれほど青くない空

COMEBACK MY DAUGHTERS(カムバックマイドーターズ)を
最近聴いてるんですよと
ぼくが言うと、
「へー、意外ですね」というリアクションが
返ってくることが少なくない。


確かに
こないだまで聴いたことなかったけど。


木村カエラの新作「HOCUS POCUS」の先行サンプル盤を聴いていて
いつも以上に仕掛けの愉快なアルバムの中で
意外と素直に
「いいな」と心に入ってきたのが
カムバックの高本和英作曲の
オールドファッションなロック「キミニアイタイ」だった。


カムバックと言えば、
彼らと親しいマイメン大関監督がいた!
彼にお願いして
去年のアルバム「エクスペリエンス」を借りた。


全曲英語詞の
屈託のないロック。
グッドメロディで
からっとしたジャパニーズ・アメリカン・サウンド


でも
彼らの世界には
「カリフォルニアの青い空」ではなくて
「日本のどこかの狭くてそれほど青くない空」というか
憂鬱を振り払って生きている毎日を共感させる資質がある。


それは
「どうしてそれが出来るんですか?」と質問して
「これこれこういうことです」と答えが返ってくる性質ではない
言葉に出来ない何かを持っているからなんだよな。


それは
それなりの都会に暮らす以上は
“シティポップス”の存在を必要だと感じながら、
“シティポップス”らしさを曲調や歌詞で主張し
そんな単純な括りにあっさりと収まる音、
そういうものにとっくに飽きてしまっているぼくの心に
ざわざわと波風を立てること“何か”なのだ。


それはぼくの単なる深読みで、
愛すべき音楽ファンに違いないカムバックの皆さんに
ご迷惑な解釈なら申し訳ない。


でも、
シュガーベイブがアルバム「SONGS」の一曲目に据えた「SHOW」が
1970年代の彼らにとって
日本のフォークやロックやリズム&ブルースに囲まれた
現実のすべてを否定するパンクロック以外の何物でもなかったと
気がついてしまったときにも
その“何か”はあった。


「SHOW」を振り出しにして
「シティ」でも「喫茶」でもない
日本のロックにおける
“憂鬱を振り払うために本当に必要な何か”を探る系譜を
もう一度洗い出してみたら?


シュガーベイブから始まって
どこかの地方の高校生が昨日始めたパンクバンドにたどり着く。
今、ぼくが切実にほしいのは
そういうコンピレーションだ。