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なにかあり/とくになし

クレア&ザ・リーズンズ 2009秋

駐車出来る場所を探して車でうろついた挙げ句、
ようやくボワリー・ボールルームにたどりつこうとしている。


時刻は夜の9時半をまわったところ。
イースト・ヴィレッジが
今のような洒落た新興文化人地区ではなく、
ロウアー・イースト・サイドと呼ばれ
悪たれと異国人の殺気たつ巣窟に飲み込まれそうだった時代の
名残はずいぶん薄れたとは言え、
夜も深くなってくると暗闇の中にその危険な幻は浮かび上がる。


少し早足で歩いた。


この日のメインは
車椅子のシンガー・ソングライター
ヴィック・チェスナット


ギタリスト5人を含む9人編成のバンドで
これまで不可能とされてきた
彼のスタジオ・アルバムでの
複雑でドラマチックなサウンドを再現するのだという。


そのギタリストとして
フガジゴッド・スピード・ユー!ブラック・エンペラーといった
超コワモテのメンバーも参加していることで
しずかな話題を集めている。


一説にはヴィックはこのツアーの収益を
不自由な身体を支えるために必要な通院のために
溜まりに溜まった支払い35000ドルに充てるのだとも聞いた。


35000ドル!
国民皆保険のない国のおそろしさよ!


だが
それはさておき
ぼくのお目当ては
そのフロント・アクトを務める
クレア&ザ・リーズンズ。


去年の秋にマサチューセッツで見て
今年の初めに東京で見て
今年の秋はニューヨークでクレアを見る。


セカンド・アルバム「アロー」のツアーは
ヴィック・チェスナットとの北米東海岸巡りから始まって
最後はカナダのトロントへ向かう。


入り口でリストバンドをもらい、
地下に下りてドア・チャージを払う。
18ドル。キャッシュのみ。


ボワリーのステージは一階にあるのだが
そこに行くために
一度、地下のバーを通らなくてはならない作りになっている。


ステージまでたどりつくと
彼女たち自身が楽器のセッティングを進めていた。


アメリカ本国では
まだ彼女たちは
誰かにセッティングをまかせるほどの知名度を得ていない。
ただし、
その分、少しだけ自由に自分の居場所を設定することも出来る。


「ザ・ムーヴィー」のツアーでは
彼女たちのバンドの基本編成は
弦楽三重奏団+クレアというものだったが
今日は舞台にトロンボーンやチューバが見える。


音色のヴァラエティが増した「アロー」のサウンドを体現すべく
彼女たちも何かチャレンジをしようとしているのだ。


夫のオリヴィエ・マンションは
あきれるほどさりげなく各種の楽器を演奏する。
ヴァイオリン、ウクレレ、ギター、ベース、エレクトロニクス、
そして、ミュージカル・ソウ(のこぎり)までやすやすと。


クレア夫妻を今回サポートする
新リーズンズは男性ふたり。


彼らも曲ごとにどんどん楽器を持ち替える。
ベース、キーボード、トランペット、トロンボーン、チューバ、
足下にはバスドラムを叩くキック。


新しいアレンジで演奏された「プルート」は
トロンボーンの音色が醸し出す“ゆらぎ”の分だけ
前よりも遊泳していた。


途中、
楽器の持ち替えの際に弦楽器が3本になり
「どうしよう、わたしたちピックを2枚しか持ってないの」と
苦笑混じりにクレアが客席にアナウンスするシーンがあった。


そのときに
コートのポケットからさっとピックを取り出して
クレアに手渡した女性がいた。


「お姉さん!」


それはクレアの異母姉、ジェニー・マルダーだった。
彼女(ジェニー)のお母さんはマリア・マルダー。


「ユー・ゲッティング・ミー」
「アワ・チーム・イズ・グランド」
「ウー・ユー・ハート・ミー・ソー」など
生で聴きたかった新曲を彼らはちゃんと演奏してくれた。


まだまだその演奏には
ファンタスティックな感動よりも
フレンドリーな信頼感が少しだけ勝っているけれど
彼女が自分の作りたい音楽を作っているうちは
その先を見届けたいと願っている。


終演後、
彼女にバーであいさつをして
物販では「アロー」のアナログ盤を買った。


盤の色は
赤。


誕生日を目前に控えたぼくへの
クレアからの最高のプレゼントだ。


ヴィック・チェスナットスペシャル・バンドの演奏は
クレア&ザ・リーズンズの残した淡い光の余韻を
あっという間に消し去る。


繊細でありながら堂々として
重たくひしゃげた音が絡まり合う
ものすごくドラマチックなもので、
これもまた忘れられない音だった。