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なにかあり/とくになし

原野だな

朝飯を食べながらテレビを見ていたら
春日八郎と三橋美智也の特集番組をやっていた。


春日八郎の当たり曲と言えば
「お富さん」。


残念ながら
今ぼくの使っているPCでの変換は
「乙咩サン」。


日本の歌謡曲の重要作品くらい
一発で変換してほしいと思う。
だいたい“乙咩サン”って誰ですか?


「お富さん」と言えば
中学時代の剣道部で
ぼくの一年上の主将だったIさんのことを思い出す。


大柄で気が優しくて後輩の面倒見もいい
そんなIさんが何故か得意にしていたのが
「お富さん」だった。


ある年の慰労会みたいな集まりで
すっくと立ち上がったIさんが
自分で手拍子を打ちながら「お富さん」を歌いながら踊り出したときは、
普段はコワモテの指導教師すら
呆気にとられていたのを思い出す。


「お富さん」の歌詞は
歌舞伎の「切られ与三」
すなわち「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」に出て来る
いわくつきの男女の名場面を題材にしているのだが、
当時はそんなことは知らない。


“黒塀”も
“見越しの松”も
何のことだか全然わからない。
ただ「死んだはずだよ、お富さん」というサビの
間の抜けたゾンビみたいなフレーズが
子供心におかしくて
みんなゲラゲラと笑った。


問題はサビの終わりについてくる
「エッサオ〜イ、ゲン〜ヤ〜ダナ〜」という
日本語とも思えない不思議な歌詞だった。


Iさんに訊いても
何のことだかわからないという。


前半は音頭的なかけ声だとしても
後半は何だ?


「ゲン、ヤだな〜」と
ゲン(減? 現?)に対する不快感を表明しているのか、
それとも
「原野だな〜」と
広がる荒れ地を見渡しているのか。


いずれにせよ、
のんきな雰囲気の歌に合わないなと
心にひっかかっていた。


のちに
歌舞伎を見るようになってから
ようやくその由来を知った。


東京日本橋付近の旧い地名、玄冶店。
それを“げんやだな”と読む。
その土地が「切られ与三」の舞台なのだ。
もっとも歌舞伎の場合は実名を隠して
“源氏店”と言い換えられているのだが、
とにもかくにも
そのときこの一件は
めでたく落着したのだった。


しかし今日、
春日八郎の歌を聴いて
あらためて
教科書的に理解することと
自分の中の納得とは別物だと思い知らされた。


だってあれから30年近く経っているのに
今日も思うのは
「原野だな〜」のことばかり。


シメキリが仁王立ちして待つこの数日を思うと
目の前に広がるのは
原野としか思えない。


そのせいもあるかもしれない。
おおいにね。