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なにかあり/とくになし

昼の散歩をしないかね

実家で
小さな甥っ子たちの相手をしていると
素朴な盲点に気づかされる。


たとえば「となりのトトロ」で
子どもたちが歌いたいのは
おとななら誰もが思い浮かべる
エンディングテーマの「となりのトトロ」ではなく、
オープニングテーマである「さんぽ」の方だということ。


トトロたちとバイバイしなくてはならない
エンディングテーマよりも
これから出会えるワクワク感を
子どもたちは心から待っているということなんだろう。


松永一家が集合した帰省最終日の朝、
そろそろ解散になる前に
散歩をしようと提案したら
「さんぽ!」と小さな甥っ子たちは色めき立った。


兄の息子は4年生、
弟(四男)の息子は3歳。


兄夫婦は同行しなかったので
四男夫婦と
ぼくたち夫婦と甥っ子たち、
遅れて自転車で参加した三男で出かけた。


子どものころに6年間通った小学校まで
ゆっくり歩いたり
かけっこしたり。


昔あるいた道
昔おぼれた川
昔わたった橋
昔ころんだ運動場
昔ぶらさがった校庭の“うんてい”……。


どれもあきれるほど小さいのに
自分がそれほど大きく成長したという実感がないのは何故だろう。


不意になつかしい場所に来ると
自分の生きているサイズが狂わされることがある。
それを矯正してくれるのが
家族というものなのか。


すこし考えたあと
「お墓参りに行こう!」と提案した。


松永家のご先祖さまが眠る墓が
小学校からほど近い場所にある。
ただし、子どもたちの足では大変なので
四男が急遽自転車で実家に戻り
車を出してくれた。


お墓の前で
ぼくたちは
ご先祖さまに手を合わせて
彼らをとむらうわけだが、
実のところ、
本当に大切なのは
お祈りではなく
こうして今ぼくたちが生きているサイズを
見てもらうことなんだろうなと
何となく思った。


大した信心もないが、
そう考えると
すこし落ち着く自分がいる。


松永家の
大パーティー
こうして昼過ぎに終了した。


ぼくたちは
フェリーに乗り島原へ。
そこから島原鉄道に乗り
ツマの実家のある諫早へと向かう。