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なにかあり/とくになし

兄弟VS兄弟

7月10日の土曜日は
西に向かえば吉祥寺で
寺尾紗穂のライヴ(フロントアクトに青葉市子)、
東に向かえば赤坂で
キセルの「凪」ツアー・ファイナル。


まったくどうして
そんな身を裂くようなスケジュールをと
心のなかでうらみ節。


心中の葛藤はどうあれ
ぼくの行き先は東と決めた。


今回は珍しく
中野の弟あらため渋谷区の弟を同伴。


キセル(辻村兄弟)VS松永兄弟。
わざわざ言うほどたいそうな話でもないか。


とは言え
兄弟で兄弟のライヴを見るというシチュエーションは
ありそうでないものだ。


キセル兄弟の会話を見ていて思うのは、
兄弟というのは
話があわなくても
うまくオチがつかなくても
なんだか結局うまくいくということ。


おもしろいとか
愛おしいとかいうことが格別なくても
一緒にいることが苦痛でないその関係には
宿命という重たいものをあらかじめ飲み込んでしまっていて
けろっとしているような不思議さがある。


なんだか
いつもよりずっと
兄弟ということを意識しながら見ていた。


そして
こちらが気を許している隙に
今夜のキセルは劇的に巨大化した。
そこらへんの街角や電車で
ばったり出くわしそうな
どこかぼさっとしたふたりのムードのまま
音楽がどんどん巨大になった。
サイケデリックでドラマチックで
手が付けられなくなった。


念入りに演出が検討されたという照明効果も
その助けを見事に果たしていた。


それにしたって
こういう
“身近”から“はるか”までの
ものすごい遠近感を持つ音楽には
なかなか出会えないと思う。


その遠近感とは
近年のキセルの音楽の聴き手への近さと
この10年でキセルとして表現してきた奥行きが
うまく混ざり合って
陰影豊かなコントラストになっていたという成果でもある。


まあ
そんな説明はいいか。


兄弟で見るキセル
何だかいいものですよと
とりあえず伝えて終わりたい。