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なにかあり/とくになし

続・五番目の季節

昨日書いた“五番目の季節”の名前について
しばらく考えてみた。


夏よりも
暑くて
熱くて
しけっていて
うざい。


この感じを
春や夏や秋や冬みたいに
一文字で言い表せたら。


まず思いついたのは
「熱燗」の「燗(かん)」という字。


この季節に熱燗、
飲みたくねえ!
からだの芯からあったまりたくねえ!
そんな嫌気な感じがぴったりかなと。


春夏秋冬に入れ込んでみると
春夏燗秋冬(しゅんかかんしゅうとう)。


語呂がわるいですな。
しかも、この「燗」には
「はる」や「なつ」に相当する訓読みが見当たらない。
「かん」自体が実は訓読みであるという説もあるようで
ひとまず「燗」は対象外。


では「燗」によく似た字の「爛(らん)」は?


春夏爛秋冬(しゅんからんしゅうとう)。


ちなみに訓読みだと「ただれ」。
はるなつただれあきふゆ……。


ひとつだけ三文字だし(「しゅん」や「しゅう」は語感的に二文字と見なす)
それ以上に「ただれ」って語感が気色わるすぎるか。


却下!


次に思いついたのは
「焦土」の「焦」はどうか。


春夏焦秋冬(しゅんかしょうしゅうとう)。
なんだか口のなかがしゃんしゅんしょんと
泡でいっぱいな感じの四季(いや五季)だ。


訓読みでは「こげ」。
はるなつこげあきふゆ。


こげ、か。
めしじゃないんだから。


残念。


もうひとつ思いついたのが
「灼熱」の「灼」。


春夏灼秋冬(しゅんかしゃくしゅうとう)。
これもしゃんしゅんしょんの仲間か……。
しかし
訓読みの「やけ」はなかなかいい感じがする。
はるなつやけあきふゆ。
語呂もいい!


これはわりといける気がする。


五番目の季節、
「灼」または「やけ」で
いかがでしょうか。


なんてことを書きつつも
今日の帰り道の夜風は
また一段と秋の前触れをほのめかしていたけれど。


今野雄二さんは
2010年の五番目の季節に亡くなったと
記憶しておく。


菊地成孔さんが
日記に今野さんのことを書いていた。
追悼文そのものという体裁ではないが
今野さんの足跡をじかに知らない世代にも
そのスマートな立ち振る舞いと
はみ出した者への共感が同居した
氏の生き方の意味を
いくばくかの混乱を交えながら伝えている。


世の中に“揺らぎ”が足りない、と。


揺らぎついでに
話は突然がらっと変わるが、
今日か昨日は
ぼくとツマの13回目の結婚記念日だった。


8月2日だったのか
3日だったのか
ふたりともよく覚えていないのだ。


ツマは「5日じゃなかったっけ?」とすら言っていた。
ぼくたちの結婚記念日も
灼熱の季節の記憶のなかで
蜃気楼のように揺らいでいる。


記念日がいつかということよりも
記念日があったということだけでも
覚えていればいいじゃないかと思う。
それが日々がつづくということの実感でもある。


13回目の記念日は
“レース婚式”というそうだ。
今日覚えた。