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なにかあり/とくになし

ふたりで茶でも 安藤明子インタビュー その2

安藤明子さんのインタビュー
第二回目です。


安藤明子さんのサイト
ふえる・アンドウ アキコ」で
紹介していただきました。
光栄です。


それにしても安藤さん、
来月もすごい本数のライヴですね。


第一回は
シンガー・ソングライター安藤明子の前史
といった感じでしたが
第二回はいよいよ
芽生えの話です。


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松永 おもしろいですね。うたうのは自分の曲じゃなくちゃいけなかったんですね、最初から。


安藤 なんかねえ、「つくりたい!」と思って自分の曲をつくってましたね。うーん……、でも今みたいに、まわりのふとした出来事を曲にしたりとかいうほっこり系ではなくて、そのころは、めっちゃもうせっぱつまってる感じ(笑)。「わたしのくるしみを〜」みたいな曲だったんですよ。


松永 それを家族に聴かす!


安藤 そうそう、そうだったんです(笑)。恥ずかしがらずにやってましたね。好きなひとがいたりして、それは誰かはもちろん言えないんですけど、「くるしいしせつないわ」みたいな歌もうたって。お父さんはどう思って聴いてくれてたかわかんないですけど(笑)。まあ、それは作曲なので、現実か妄想かはわからないし、作品として聴いてたと思うんですけど(笑)。


松永 じゃあ家族というか家庭を抜け出して、はじめて人前でうたったのはいつごろですか? 友だちでもいいですけど。


安藤 ああ、いつが最初かなあ? 誰かに聴いてもらいたいとはすごく思っていたんですよ。でも、高校時代にまわりで流行ってる音楽が、あまりに自分の歌と違いすぎて、「わたしのこんな歌とかみんな好きやないやろな」とか「生まれる時代が違った!」とか思ってました(笑)。だからあんまり誰にも聴いてもらってなかったですね。


松永 当時って、まわりの同級生はどういうのを聴いてました?


安藤 ヒップホップとか? Dragon Ashとかですかね。もちろん他にもすばらしい音楽はいっぱいあったんでしょうけど、わたしはテレビとかラジオから流れる音楽しか知らなかったし。昔のフォークとかを当時もっと聴いてたら、しっくりくるものはあったんでしょうけどね。それで結局、家族以外で最初に聴いてもらったのは……。友だちとカラオケに行くと、「歌が上手だね」とか言ってもらったりして、わたしはすごく歌が好きだったからうれしかったですね。自分の曲はどこで聴いてもらったかなあ……? おさななじみの子がふたりいて、同い年でわたしの家の前にたまたま住んでいて、三人すごい仲がいいんですけど、その子たちにときどき聴いてもらってました。「すごいよ! これはもっと広めるべきやで!」みたいなことを言ってもらってて、「なんかならんかなー?」とか三人で言ってましたけど(笑)。でも、どこかに曲を応募して、みたいな気持ちにはなれなかったですね。


松永 そうなんですか。日常で言えないことを歌にして解消してたわけだから、そのサイクルのなかに歌は収まっていて、それ以上を望む気になれなかったのかな? わかる気はする。自給自足というか。


安藤 自給自足? うん、でも本当にそうだったんです。自分で自分を生きてましたね(笑)。そうやって呼吸してました。


松永 でも才能のあるひとは、だんだんとつくるものがそのサイクルに収まりきれなくなっていくというか、どこかでビッグバン的に外に出ていくものだと思うんですが、安藤さんにはそういう瞬間が訪れたのはいつだと思います? まあ、まだそれはスモールバンだったのかもしれないけど。


安藤 スモールバン?(笑)。ああ、でもね、あったかもしれない、言われてみたら。高校の学内でも、ギターを弾いてるということを黙ってたのを、自分で抱えきれなくなって表に出したときがあったんですよ。三年生のときに進路を決めないといけなくなったときに、「わたしは音楽がしたい!」と思ったんです。それで、進路指導室でそれを言ったら、「一回聴かせて」って言われたんです。そしたら、先生が「おおー!」みたいな反応で。


松永 その先生は音楽の先生?


安藤 理科の先生でした(笑)。でも「力になるよ」って言ってくれて。でも、母は音楽の道には反対で、人前に出て何かするよりも、もうちょっと職人っぽい仕事をしてほしかったみたいで「手に職をつけなさい」って言われました。姉も「大学も行ったほうがいいよ。友だちもいっぱいできるし、経験も出来るし」って言ってくれて。じゃあ、まずはとりあえず音楽の学校を見学に行こうということになったんです。それで大阪までお母さんと一緒に行きました。


松永 体験入学みたいな?


安藤 そうです。そこでヴォイス・トレーニングを体験したり。でも、その一日の体験入学をしたら、全部わかった気がしたんです(笑)。「これなら行かなくていいや」と思ったんです。そしたら、そのときのことがきっかけになって、自分が歌をつくって演奏したりしているということが、高校でも知られるようになったんです。


松永 なるほどね。


安藤 そうだ! そのタイミングで、これは恥ずかしい過去なんですけど、テレビの取材が高校に来たんですよ(笑)。所ジョージさんの「笑ってコラえて」の、「日本全国 女子高生の旅」(笑)。うちはすごく特殊な学校で、おもしろい子がたくさんいたんですけど、そこでわたしが演奏をするということになったんですよ。


松永 ほんと?


安藤 フフフフ。カメラが各教室に来るっていうから、「わたしうたいます」って言ったんです。だから、それがテレビで全国に流れたことがありますね。


松永 へえー! それ見てて今も何となく覚えてるひと、いるんじゃない?


安藤 大学に入ったときに、覚えてくれてるひとがひとりだけいて、「見てた! うたってたよね!」って言われて(笑)。大学では最初女子寮みたいなところに入ったんですけど、その親睦会みたいな催しでうたったんですよ。そのときにうたってるのを聴いて思い出したみたいで、「もしかして?」って話しかけてくれたんです。


松永 そうなんだ。とっくにテレビ・デビューしてたとはね。


安藤 でもやっぱりね、そのときはへこんじゃいました。放送を見てて。テレビっぽい演出もあったし、やっぱり違うというか、経験としてはよかったけど、なんだろうな……、今となってはおもしろいけど、当時はちょっとつらかったですね。


松永 やらなければよかった、みたいな?


安藤 前に出るということが自分の性格と違ったんです。自分がやってることと、性格が合わないんですよ。今もそうなんですけど、ハハハハ(笑)。前に出ていながら、「あんまり見ないでください」みたいな(笑)。おかしいですよね。


松永 その高校時代の体験が、大学進学を決めさせたというか、音楽の道に突き進むのはちょっと我慢するみたいな感じになったんですか?


安藤 いや、でも歌をやめるとか、そういう気持ちはなくて。ただ、テレビに出たのがつらかったという思い出なんですけどね。大学も染色の関係の学科に行くことになって、それはそれで高校でやっていた服飾とつながりがあったし、音楽も続けたいとは思ってました。


松永 その大学が京都にあったということですね。じゃ、そこからがいよいよ安藤明子・京都篇ですね。


(つづく)


ふたりで茶でも 安藤明子インタビュー その2