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なにかあり/とくになし

猫背の目線

横尾忠則さんが
猫について書いた本だと思って
ろくすっぽ確かめもせずに買い、
あらためて広げてみたら
猫ではなく
“猫背”の本だった。


ただしいタイトルは「猫背の目線」という。
日経プレミアシリーズと銘打った新書判の一冊。


猫ではなかったのは残念だが
猫背の悩みをつづった本でもなさそうだ。
横尾さんの最近の身辺雑記のようなので
ハズレではあるまいと読みすすめた。


道教関係の専門誌であるらしい「TAO」に
今年の5月まで3年半連載されたエッセイと
GYROS」という雑誌に
まる1年連載されたエッセイで構成されている。


時間軸で言うと
「TAO」のほうが最近で
GYROS」のほうが2004年から05年にかけてのもの。


1946年生まれの横尾さんの
70歳前後の行動と思考の記録と言ってもいいだろう。


「TAO」のほうの連載は
横尾さんが隠居宣言をしてからの日々を
老いと健康を導線につづったもの。
GYROS」のほうは
年を取ってから覚えた散歩の醍醐味をつづったもの。


しかし
そのどちらも
非常によい意味でふまじめというか
結構なりゆきまかせな感じがあっておもしろい。


散歩にしたって
横尾さんのスタンスは
あくまでアマチュアの散歩者であり
その取り組み方もいたって適当なので
とても親しみがわく。


本の第一章にあたる
「TAO」の連載のシリーズ・タイトルは
もともとは「嫌なことはしない、好きなことだけをする」というもので
それは横尾さんが隠居宣言の際に掲げた気勢でもあった。


しかし
連載がつづくにつれて
その気勢がもうすこしゆるく
日常の思考のペースにあわせた力みのないものに変化してゆく。


それを見定めて
単行本化にあたってのタイトルを
「猫背が気になりだしてきた」に改題してしまった編集者は
剛腕だ。


もともと身辺雑記の連載のため
連載がつづくと
語りたいこと
語っている出来事が前のものと重なってくるのだが、
読者が「あれ? このエピソードさっきも読んだかも」と
そろそろ思い始めたころに
さっと第二章である
GYROS」の連載に移る構成もいい。


しかも
その第二章「猫背の目線で散歩する」は
すこし若いころの横尾さんであるため、
描かれている生活がもうすこし動的で
本が終盤に向かう仕上がりを
小気味のいいものにしている。


時間の流れを逆にしたのが正解だったのだ。


猫背を全体のスパイスにかぶせたことで
語られている芸術論をも
なにげない仕草のように
身近に感じさせると言ってもいいだろう。


とくにおもしろかったのは
第一章に登場する
「本を読んでも何も覚えていない」という一文だ。
これには身につまされ
苦笑させられると同時に
刺激もされた。


ぼくは
横尾さんの著書をすべてフォローしているような熱心な読者ではないので
ほかと比較してどうとは言えないが、
この本にはとても勇気づけられた。


とても素直に感動したせいか
われながらなんとなく
中学生のころの読書感想文みたいになってしまった。