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なにかあり/とくになし

3月12日、アメリカにて

すでにお気づきのかたもいらっしゃるかもしれませんが、
今、ぼくは日本にいません。
アメリカ西海岸にいます。


レコードの買付で
大江田さんとふたり
10日ほど前から来ていました。


最初にニュースを知ったのは
2日前でした。
こちらの時間で3月10日の22時(夜10時)前ではなかったかと思います。


その日の買付を終え、
晩ご飯にする予定の食材やビールを買い込んで
大江田さんと部屋に戻り、
食事の準備をしながらテレビを見ていました。


同時に立ち上げていたPCで
yahooのトップページに
「東北地方で非常に強い地震」という文字を見ました。


正直に言って
そのときはすこし甘くみていたというか
「また地震かよ」程度の舌打ちをしたに過ぎなかったのです。
東京もかなり揺れたらしいというので
ツマに電話をしてみましたが
まったくつながりませんでした。


その後、
トップページに「大津波警報発令」という文字が加わりました。
ただごとではないというムードが
なんとなく伝わってきました。


でも、ここはアメリカです。
つけているテレビから
緊急ニュース速報がすぐに流れるわけではありませんでした。


そのあと、
22時をまわったくらいでしょうか、
大江田さんが「CNNで日本の生中継をやっているよ」と教えてくれたので
チャンネルを変えました。


その映像を見た瞬間
画面からは確かに音(アナウンスは英語)が流れているのですが
まるで世界がすべて無音になった気がしました。


瞬間的に
「見るべきではなかった」と
猛烈に後悔しました。


頭がひどく混乱して
動悸がめちゃくちゃはやくなり
暑さのせいではない汗がだらだらと流れました。


22時半過ぎ(日本時間11日15時半)に
千葉の近くではたらいている弟からメールが入りました。
ccで家族全員に無事を知らせるものになっていました。
電話は通じないが
データ通信ならOKということがわかり
スカイプで通話をとりあおうと連絡しあいました。


それを皮切りに
日本の友人たちと、
ぼくが日本にいると思っているアメリカの友人たちから
次々に心配のメールが送られてきました。


やがて
ぼくの代わりにハイファイで働いていたツマとも連絡が取れました。
昨日も書きましたが
なぜか人間がいないはずの自宅のスカイプがONになったことで
我が家の猫ペンコも元気なことがわかりました。


でも
舞い込んでくるニュースは
引き続きわるいものばかりでした。
たいせつなひとたちのそばにも
いてあげられません。
なによりも
当事者ですらないうえに
日本にもいないという事実が
無言のプレッシャーとなって
ぼくの頭を重いもので押しつぶそうとしていました。


ぼくの気分は
大変にへこみました。
ひょっとしたら
日本に帰れないかもしれないとすら思いました。
ため息が声になって出てしまいました。


ブログでは「原稿を書く」と強がってみせましたが
400字の原稿を書くのに
何時間もかかってしまいました。
そりゃそうです。
その原稿のことを集中して考えることが
どうしても出来ないのですから。
すでに書きたいことも決まっているはずなのに
筆が進まないのです。


その夜はほとんど一睡も出来ないまま過ごしました。
大江田さんとは「落ち着こう」と言い合って
とりあえずお互いのベッドに横になったのですが、
考えることをやめることは出来ませんでした。


翌11日は
買付でさらに2、3軒まわってから
レコードを日本に送るための会社に行く予定になっていました。
ですが
深夜になってもふたりとも興奮していて
このままでは眠れそうもないことが見え見えだったので
レコード屋に出かけるのはナシにして
なるべく遅くまでモーテルにとどまり
疲労を取ることにしました。
大江田さんは誘眠剤を飲んで
無理矢理にでも長時間寝ることにしたようでした。


さすがに昼前に
体力の限界がきて
ぼくもすこし眠りました。


結局、
その日の外出は
レコードを日本に向けて発送しただけに終わりました。


車に乗って出かけるとき
「一生忘れられない買付になりました」と大江田さんに言うと
「おれもだよ」と
みじかく答えがありました。


発送の現場では
対応してくれた日本人女性のかたがとても聡明で
明快に対応していただいたのが
気持ちをすこし救ってくれました。


大変な状況ですが
ぼくたちが日本に帰るころには
飛行機もおそら飛んでいるのではないかと思うと
彼女なりの見込みを伝えてくれました。


モーテルに戻ると
猛烈な疲労に襲われ
しばらく眠りましたが、
夜中に目が覚め、
日本のニュースをユーストリームで見たり、
家にいるツマと連絡を取り合ったりしました。


「わたしは元気よ!
 起きたことはもうしかたないから
 元気に生きる。
 テレビやニュースは不安になるだけだから
 消してさっさと寝なさい!」


思いがけず強くたくましい言葉に
ぼくはいたく感動してしまいました。
おんなのひとには一生勝てないかもしれないと思いました。


観念した犯人みたいに
ぼくはひさしぶりに熟睡したのです。


12日、つまり今日になりました。
帰国まであと一日あるので
手持ち荷物で持ち帰れる分のレコードを買う余裕があります。


日本から届くニュースは
相変わらずかなしくつらく不穏です。
こちらは天気も雨ですし
気持ちはさっぱり晴れあがって、とは行きません。


でも
レコードを買うこと、
そのレコードを日本で待っているお客さんに届けること、
そのレコードに針を落としてもらうこと、
ひさしぶりに針の刺激を受けてよろこんだレコードが
気分を変えてくれるような歌を歌いだすその手伝いをすること、
今のところは
それしかぼくに出来ることはないのです。


それに
レコードを見ているあいだは
思いがけず集中出来る本能が自分にはあるということも
本当は知っているのです。


きっと昨日は
その本能が発動してしまうことを
自分の理性がどうしても受け入れがたかったのだと思います。


ぼくが今やっているのは
日本の実情とはあまりにもかけ離れた
能天気すぎることなのかもしれません。


このブログを見ているひとのなかにも
ご家族やお知り合いが罹災されたかたも
すくなからずいらっしゃると思います。


心から無事をお祈りいたします。


ぼくたちは世の中を一気に変えることが出来る神様ではありません。
与えられた状況を受け入れ、
そのうえでもなお
出来る限り生きたいように
どうにかしてみんなで生きられるように
今を生きるしかないのだと思います。


無力感に
引きずり込まれて
ひしゃげてしまいたくないのです。


こういうことを
書くべきかどうか
今日一日ずっと考えていました。


ハイファイとのあいだで
プライベートや別の仕事は別にして
レコードの買付という仕事に来ているうちは
アメリカにいるということは話題にしないという約束もしていました。


事実上バレバレの記述をした日も過去にはありますが
今日はじめて
自分の意志でそれを破りました。


個人のたのしみでやっているブログです。
たのしくなければ書く必要はないですし
いたずらに動揺を吐き出すことはハタ迷惑なだけかもしれません。
考えたくないのなら考えなければいいのです。


でも
ぼくは考えることも
書くことも
やめることは出来ませんでした。


そして今日
レコードを買っている数時間、
心地よいBGMを聴いている何分間は
すこしだけいろんな心配を忘れることが出来ました。


ぼくはきっと
自分に向けて語っているように
今日の文章を書いているんだと思います。


心配は大事です。
変わる生活への準備も
心の準備も必要でしょう。


でも
なにかにのめりこんだりした自分が
自分のなかにいたことを
自分を動かしていたことを
忘れたくないし
忘れてほしくないのです。


そしていつか
松永良平のあの日のブログ、やたらおおげさだったなあ!」と
わらってやってください。


日本にはもうすぐ戻ります。
買付した最高のレコードと一緒に。


2011年3月12日 松永良平