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なにかあり/とくになし

風呂で知る岡村みどりさんの知見

家に届いていた「ミュージックマガジン」の最新号を読んでいたら
松山晋也さんの連載「めかくしプレイ」のゲストが
岡村みどりさんだった。


岡村さんの17年前の音源を
今年CD化した「ブルースではなく(Mint-Lee)」は
間違いなく今年聴いて新しい傑作のひとつだと思うが
密度の濃さと
気まぐれさが
ほぼおなじくらいの割合で同居しているので
まだ、たまにしか聴いていない。


それでも
愛聴してるような感じがする。
不思議なアルバムだと言うしかない。


その岡村さんの発言を
風呂に浸かりながら読んだが、
いちいちおもしろく
それぞれが腑に落ちるものだった。


なかでも
ギクッとしたのが
フランク・ザッパブルーザー・ブロディ
男の色気でいっしょくたに出来る直感の強さと、
音楽的に言えば下記の発言。


以下引用(2011年6月号93ページより)。
「(ザッパには)展開が壮大になっても、
 こじつけ的に聞こえることがまったくないってことかな。
 たとえばビーチ・ボーイズポール・マッカートニーは、
 ただ好きなパーツだけを強引に並べただけのように私は感じる。
 なんでそういう展開になるの? わかんねぇよ、と。
 もちろんセンスはいいんだろうけど、私にはいつも違和感がある。
 でも、そういう違和感をザッパの曲には全然感じない。(後略)」


この率直な違和感の表明に
ぼくは後頭部をスリッパの裏でパスーンと叩かれたような
痛快さを覚えた。


ポールやブライアン・ウィルソンに対して
(あるいは、彼女の逆でザッパに対して)
「わけわかんねえんだよ、おまえは」とは
一瞬たりとも思わずに
ただただひれ伏してその独自世界をははーっと敬う、
というほど盲目的ではないにしても、
彼らの作る
本当は不可解な音楽的独善を
才能のひとこと(あるいは、これがロックの神秘だ!的物言い)で
片付けようとしてしまう音楽論に対する
これは直感的で女性的だが
そのぶん男のもじもじした言い回しよりもずっと明快なNOなのだ。


もちろん
この岡村さんの発言を聴いたから
ビーチ・ボーイズやポールの音楽が
途端に色あせて聞こえるわけではない。
現にぼくはどっちも好きだ。


ただ、
自分にとってのきもちよさを語るだけでなく
自分にとってのきもちわるさ(きもちよくなさ)も
裏打ちとして伝えられなければ、
その論は明快な風通しを持てないということを
ぼくはあらためて岡村さんの意見から思ったのだ。
風呂で。


ちなみに
その連載のなかで
ミズモトアキラさんの新著
レコード・バイヤーズ・グラフィティ」が出版されたことも知った。
装丁は
大原大次郎さん。


ああ、原稿書こ。