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なにかあり/とくになし

ゆうべは書かなかったことのつづきを

寺尾紗穂さんの
永福町sonoriumのライヴについて
ゆうべは書かなかったことを
やっぱり書く。


ライヴは二部構成で
前半は彼女のピアノ弾き語り、
後半はドラマーを迎えてのデュオで行われた。


弾き語りだった第一部の終盤で
彼女は
歌うべきかどうしようか迷っていて
曲目予定に書いては消していたある曲を
今もどうしようか逡巡しているのだと告白し、
やがて
その曲のなりたちについてしゃべっているうちに
意を決したのか
決然と歌いだした。


その曲「私は知らない」は
3・11に動かされて書いたのではないので
あれ以降
かえって歌うことを逡巡するようになってしまったのだと
いろいろな思いを交えながら
彼女は説明した。


なぜ彼女がそう思うのかというと
曲の重要な一節として
彼女が知り合った
原発という場所で現場労働に従事してきた
原発ジプシーと呼ばれるひとびとへの視点が
描かれているからだ。


歌はひとつのテーマにだけ支配されるものではないし、
実際に彼女は
ここで表現者として何かに反対するために
単純な力の公使を訴えたり
主張の押しつけをしようとしているのではない。


だが
曲を書いたときのテーマと
現実の事件がはらむテーマが違っても
それがからみあうと
妙なねじれを起こして伝わってしまうことはすくなくない。


この歌は
圧倒的な現実の前で
圧倒的な無力感を覚え、
それでも
しおれずに立っているために
わたしは知らない、わたしは知りたいと言い続けることを
わたしは選ぶという
そういう個人的な表明の歌なのだ。


そして
個人的であるからこそ
だれの胸にも
それぞれの伝わり方をする
シンプルな歌なのだと思う。


ところで
この曲が
3・11より前に作られたことについて
ぼくは微力ながら証人になれる。


彼女が去年の7月、
電気が煌煌とついたタワーレコードのインストアで
この曲を歌ったことを
ぼくはここに書いているから。


「私は知らない」を
歌い終えたことで、
この日の第二部は
ちょっと気持ちがラクになった
寺尾さんだったような気がした。


翌日(つまり29日)、
NHKの「ETV特集」では
こういう番組をやっていた。


これもまた
自分のことを“普通に”やり続けるということの決意を
考えさせるものだった、とても。