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なにかあり/とくになし

松永良平の「小指の思い出」

シメキリに追われるのは
身から出たサビ。


だから
どうでもいい思い出などを書いて
すこし頭をクリーンアップしたい。


右手の小指の
第一関節のすこし上、
幹に半分ほどの長さで
キズがある。


それをだれかに見せびらかした覚えもないし、
自分でも
ときどき忘れてしまうくらいだけど、
ふと目に留まると
思い出すことがある。


このキズ、
自分で切ったのだ。


ぼくは小学生で
あの日もたしか夏だった。


暑い夕方だった。


男四人兄弟で
いつもにぎやかな家だったのに
その日はたまたま
ぼくしかいなかった。


新しいカッターを買った日に
家でテレビを見ながら
ぼくは小指を
切ったのだ。


細部の記憶はおぼろげなのに
今も鮮明に思い浮かぶのは
そのとき見ていた番組が
トムとジェリー」だったこと。


トムとジェリー
おたがいにどんどん攻めをエスカレートさせる
抱腹絶倒のスラップスティックにつきあって大笑いしながら、
ふとカッターの切れ味を試したくなって
小指にするっと刃をあててみたのだ。


音は
しなかった。


痛みも
それほどなかった。


でも
見事に切れた小指の奥から
白い骨が見えていた。


うわわっと思い
叫び声はあげずに息をのみ
指がちぎれてしまわないように左手で押さえ
ティッシュをあてた。


結構出血した気がする。
でも
ぼくはそのあとも
トムとジェリー」を見続けていたのだ。


放送が終わったら
ティッシュをとってみた。
もうさっきほどには血は出ていなかった。
指も何だかきれいにくっつきそうに見えたので
バンドエイドを貼っておいた。


たぶん
そのあと普通に夕食を食べ、
お風呂にも入ったと思う。
そのバンドエイドについて
家族でなにか会話を交わしもしなかったと思う。


まるでまぼろしのような
ふわふわとした記憶なのだが、
確かにぼくは小指を切って、
自分で自分の
赤い肉と白い骨を見たのだ。


小指を見ると
今もキズはしっかりとある。


ぼくにとっての「アンダルシアの犬」
いや
「小指の思い出」だろか。