mrbq

なにかあり/とくになし

ぼくの幻のそばにおいでよとのつきあい方

キセルがライヴでカヴァーした「日本の幸福」に
衝撃を受けて以来、
毎朝
加藤和彦「ぼくのそばにおいでよ」を
ターンテーブルに乗せている。


あらためて聴いて
今はもういないこの才人のファースト・ソロが
すごく現代的な気分を持ったアルバムだということを
思い知らされているところ。


その現代とは
この3月11日以降の日本の現代のことを言っている。


がんばろうとか
すげえ落ち込むとか
身につまされるとか
そういう目に見えるプラスマイナスでは説明出来ない
ゆらゆらとしたままのぼくの気分を
言い当ててくれているような気がする。


台所仕事をしながら聴いていたツマの感想は
もっとズバッとはっきりしていた。


「このアルバムは
 坂本(慎太郎)さんのソロに似ている」


それを聴いた瞬間、
ハッと目が覚めるような驚きがあった。
そして
ゾッとするほどの納得があった。


うっすらと死の匂いもするけれど
これからを生きていくためにつくった
ファースト・アルバムだということ。


フォーク・クルセダーズも三人組。
ゆらゆら帝国も三人組。


坂本さんが
現代によみがえった
その後の「帰ってきたヨッパライ」……なのかどうかは知らない。


でも
それぞれの季節が終わったあとに
「ぼくのそばにおいでよ」があって、
「幻とのつきあい方」があって。


もちろん
そういうのは
きわめて個人的で
たわいもないこじつけにすぎない。
ふたりが生きた(生きる)時代も
作品が生まれた背景も
全然違うものには違いない。


でも
死の匂いも
生への思いも
この2枚のアルバムには
近いものが漂っているように思えるのだ。


坂本慎太郎インタビュー(「CDジャーナル」12月号掲載)の収録中、
おなじく先行サンプルを聞いた友人のものとして
ある海外の有名アーティストのアルバムを思い出す
という意見があったことを坂本さんに伝えた。


すると
坂本さんは、
自分では思いもよらないような
そういう感想がきけるのは興味深い、
というようなことを言った。


その似ているとの意見が
ぼく自身の言葉ではなかったこともあって
結局そのくだりは実際の記事では使わなかった。


今なら
ぼく自身の言葉として
加藤和彦「ぼくのそばにおいでよ」を
思い出しますと言えるかもしれない。


2枚のアルバムを近くに置くと
坂本慎太郎は真っ赤に染まり、
加藤和彦はマネキンと並び立つ。


おそろしいけれど
とても興奮する
目と耳の錯覚だ。