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なにかあり/とくになし

シティ・ポップの壊し方 失敗しない生き方インタビュー その5

失敗しない生き方、全四回のインタビューは昨日で終わり。
予告したように第五回はボーナス・トラック。


夜の吉祥寺で収録したメンバー4人のインタビューはとてもおもしろいものだったけど、すこしだけ心残りがあった。


〈失敗〉の音楽の重要な一面である歌詞について、もうすこしききたい。


4人の会話の流れをいかしたかったので、〈失敗〉の作詞担当である天野龍太郎くんに十分なフォーカスを当てられなかったという思いがあった。


それで、全4回のインタビューを彼らに確認してもらっている最中に天野くん宛に質問を送ってみた。


質問は簡単なもので、〈失敗〉が誕生した鍵となる曲「私の街」の歌詞ができた“2011年前半”というあいまいな時間軸を、もうすこしはっきりとさせておきたかったというもの。


彼らが伝える“ベッドタウン・ポップ”が、自分のいる場所や、街の暮らしと分けることができないものだとしたら、3・11を経て、なにも考えずにいることは不可能だと思ったからだ。


返信はすぐに来た。
しかも長文で意味のあるものだった。
なので、もう一曲だけあらためて歌詞のことをきいた。


「月と南極」のこと。


というわけで、以下にボーナス・トラックとして、天野くんからの返信の記録を掲載する。


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──こんにちは。失敗のインタビューで、天野くんに追加できいておきたいことがあります。「私の街」の歌詞を書いたのは、震災の前? 後?


天野 松永さんこんにちは!  お返事が遅くなって申し訳ありません。いま蛭田や千葉に聞くなどして必死に記憶をたどっていました。千葉が蛭田を「私の街」の録音に誘ったのが、前野健太ビレバンでのインストアライブの 日=2011年2月6日です。


 Soundcloudの音源の録音はそのあとで、千葉によると2月中にすべて完成していたとのことです。なので3.11前です。 作曲前の2月6日から7日にかけて、千葉と三鷹バーミヤンで朝までダラダラとしゃべって「私の街」というタイトルと「崖を転がる街」「汗まみれの街」というフレーズは決めていたと思います。



ちなみに「汗まみれの街」というフレーズは寺尾紗穂さんの「アジアの汗」に影響されています。歌詞全体は録音の前日か当日に30、40分で僕がサラッと書いたのを覚えています。千葉と蛭田が考えた仮歌詞をすこし残しながら(「す、て、き」の部分など)僕が全面的に書きなおしています。


 「花火の上がる日は」「川面に崩る橋と」というフレーズは、その直前に観た映画『ポンヌフの恋人』のイメージです。これは実は三輪二郎さんが『汚れた血』か『ポンヌフの恋人』のイメージで「船出のダンス」の歌詞を書いたと仰っていたことに影響されています。



 「しっぽのライト」の部分だけが未完成で、録音当日、蛭田に「素敵なもの、綺麗なものってなに?」と聞いたところ「夜の街のテールランプ」と答えたのでそれを「しっぽのライト」として歌詞に組み込みました。


 最後の「す、べ、て…」のくだりはもともと1番の歌詞の後半を歌っていたのですが、今年、千葉が「最後の部分の歌詞を書き改めたい」と言いだして僕が書かずにいたところ、千葉が書いたものを蛭田に歌わせていたので僕が新しく書き下ろしました。なのでこの部分だけ震災後に書いております。


  「私の街」


  す、て、き
  しっぽのライト
  ガ、ド、レ(ール)
  ミントは剥げ落ちて
  み、じ、め
  もう、駄目だよ
  花火の上がる日は
  崖を転がる街


  す、け、べ
  恋を投げる
  池に抱きつくポリ袋
  みち、づれ
  ねえ、聞いてよ
  川面に崩る橋と
  汗まみれの街


  す、べ、て
  遠いネオンと
  まばらに遊ぶ言葉と
  崖を転がる街




──ありがとう! インタビュー中、「私の街」ができた時期が「2011年前半」という曖昧な感じだったので、震災との前後関係をはっきりさせたほうがいいと思ったので再質問したのです。もうひとつ質問だけど、「月と南極」のことを天野くんはインタビューでは「コズミックな感じ」と言ってるけど?


天野 コズミックなのは「月と南極」というタイトルと中間部のシンセの音色(おんしょく)でしょうか。やはりタイトルが大きいですね。おそらくタイトルからシンセの音も決まっていった感じです(今井注:最初にアレンジしたときから中間部のシンセはいれようと思っていたので、特にタイトルから、というわけではないです。最初のヴァージョンよりシンセに広がりを持たせたのは菊池さんの意見のもとです)。


 歌詞はコズミックではないですね、あまり。「海と月と南極が…」のフレーズも宇宙に飛んでいっているというよりも、地上で見ている(?)イメージですし。これと「クックブック」は震災以降のことや反原発デモへ参加した経験から書いた部分が大きいです。


 「月と南極」の歌詞はたしか2012年9月に書いたと思います(初演は9月23日の〈ぼくらの文楽〉です)。


 その頃、尖閣諸島の問題や中国での暴力的な反日デモの盛り上がりが頂点に達していて、そういった緊迫した状況から「監視船の舳先に立ち」や「暴動のサインに怯え」といったラインを思いつきました。


 「偶然と必然の狭間を……」というフレーズは、曽我部恵一さんのアルバム『瞬間と永遠』というタイトルを気に入っていて、『瞬間と永遠』のように対極にあるものを2つ繋げた言葉を、と思って書きました。



 ただ、単純な(西欧・近代的な)二項対立の考えかたよりも二律背反や矛盾を好むので、その2つの境界/グレーゾーン=「狭間」にしました。って格好つけすぎですね(笑)。でも本当にそうなんです。


 「音楽を止めて」という言葉は川本真琴さん(僕は川本真琴さんをすごくリスペクトしています)の「息抜きしようよ」の「音楽を消して」という歌詞に影響されています。「音楽を消して」と聴き手に歌いかける音楽という、その矛盾や暴力的な感じに衝撃を受け、そのパワーを借りようと思いました。



 それと、震災直後に「音楽が聴けなくなった」と語っていた人たちが多かったことも念頭に置いています。「水浸しの本を積み上げたら」という歌詞は、津波のあと波にさらわれた家族写真のアルバムを、被災されたかたやボランティアのかたが探し集めて地面に積んでいたニュース映像を見て思いつきました。


 「探照灯」という言葉はハーバーマスの『近代──未完のプロジェクト』という本から拾った言葉です。希望を探しだす手がかりのようなものとして、ポジティブないい言葉だと思って使いました。「月と南極」の歌詞はけっこういろいろな要素を含んでいます。



 長くなって申し訳ありません……。ふだん歌詞のことを詳しく話す機会がないので長々と説明してしまいました。ただ、言葉の意味やそこから喚起されるイメージを限定したくないので、あまり語らないという面もあります。強度のある言葉はコンテクストを飛び越えて様々な意味を呼び起こすものだと思うので。




  「月と南極」


  窮屈な夢を売り買う
  退屈な夜を過ごすような


  偶然と必然の狭間を抜けて聞く


  音楽を止めて顔を上げ それでも
  水浸しの本を積み上げたら すぐ


  シグナルの点滅に急かされ 踊る
  行くあてもないまま
  暴動のサインに怯え
  探照灯上に掲げ


  音楽を止めて戸を開け
  朝の幻を借りに出よう 今


  海と月と南極が別れて 踊る
  眠る間もないから
  監視船の舳先に立ち
  探照灯上に掲げ




 ここまで説明してわかっていただけたかと思いますが、僕の歌詞は直線的な物語ではなく、バラバラのイメージをパッチワークした分裂症的(?)な側面があります。フレーズとフレーズのあいだに直接的で有機的なつながりはないことが多いです。


 その点、森は生きているの増村くんの歌詞は有機的で物語的でいいなあと思います。ただ、僕の歌詞はわざとプラスティックで無機的なものを狙っている部分もあります。湿っぽい、センチメンタルな言葉ってどうも気恥ずかしくて……。


 失敗のホームページ上にない、比較的新しい曲の歌詞を送ります。




  「魔法」


  そして、この明るさを
  閉じていく暗い空


  ああまるで零れて溶けた
  答えの端を掴みきれぬまま


  時の魔法 夜に紛れて
  落ちる彼女 熱機関そっと切って
  暗い魔法 燃えたフィルムで
  回れ踊り子よ 光浴びて


  そして、またブラックアウト
  全て空白埋めて


  そう、ここが明かりの消えた
  最後のタンゴ踊るための場所


  弱い魔法 宵に紛れて
  盗む彼女 常夜灯そっと切って
  安い魔法 溶けたフィルムで
  回れ踊り子よ 光の下


  最終の 最上の 最後の 朝焼け


  そう、ここが明るい部屋の中
  最後のタンゴ踊るための場所


  時の魔法 夜に紛れて
  落ちる彼女 熱機関そっと切って
  暗い魔法 燃えたフィルムで
  踊りだせよ 今すぐ


  弱い魔法 宵に紛れて
  盗む彼女 常夜灯そっと切って
  安い魔法 溶けたフィルムで
  踊りだせよ 今すぐ




  「終電車(仮)」


  そっと電車を降りる
  そう ばらばらに眠る常夜灯
  きっと最後の音が
  鳴り 眠るまで騒ぎたてよう


  そっと星座を壊す
  から 油ぎった網に包まり
  すっと張りつくビニールを
  引き剥がして 誓いたてよう


  割れた液晶に向けて笑いかける女と
  かすむ手掛かりに飽きて
  溺れかけた男と


  それで体温交ぜてすぐに
  数字の波打ち際で濡れ
  打ち捨てられた花束を
  踏みつぶしては 甘く香らせて


  季節は 変わらないで
  川を埋めて 線路に横たえ


  体温奪うすぐに
  そして掌打ち鳴らして
  青い山を削いだ大きな手 そして
  あてなく街へ


  それで体温交ぜてすぐに
  数字の波打ち際で濡れ
  打ち捨てられた花束を
  踏みつぶしては 甘く香らせて




  「うわ言のジャイブ」


  あたし、あなたに飽きたわ
  癪に障る顔だわ
  神をも畏れぬ紙っぺらで
  語るあなたのうわ言 bullshit


  あたし、たまに聴くのよ
  ずるい悪魔のマーチを
  うつろな目をしたお嬢さん
  ちょいと楽隊に唾を吐く


  戦争好きなあなたの顔に
  すぐバターを塗って bullshit




なんというか最近の新曲の歌詞は客観的に見て、わりと乾いてなくて、ちょっとウェットでセンチメンタルですね。だんだんそういう方向に向かっているのかもしれません。では!


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えー、これでインタビューはすべて終わりです。


王舟と朝まで飲んだ晩、彼は〈失敗〉をたとえて「ハッピー・マンデーズだ」と何度も言っていた。
ずいぶん酔っぱらっていたけど、ああ、なるほど、それはなんだか言い得て妙かもしれない、とも思った。


インタビューを構成し終えて
ぼくもいろいろ考えてみた。


「いや、まさかね……」と思いつつ、頭のなかに浮かんでは消える名前もある。


たとえば、ジャックスとか……。


みなさんはどう思いますかね?


では最後に、もう一回おききください。


失敗しない生き方「月と南極」。



(おわり)