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なにかあり/とくになし

昭和100年、西暦2025年

週刊文春和田誠の表紙が、
1950〜60年代のクラシック・レコードのジャケットを散りばめたものだった。
あれはCDじゃない。LPだ。
CDは(たとえ紙ジャケでも)重ねて積むことは出来ても、
いい具合に“重ね散らばす”ことは出来ないからだ。


3本の原稿をいっきに入稿したら、
ふっと間が空いた。


以前に買ったままになっていたDVDの中から、
フルCGによる25分の“特撮超大作”短篇「惑星大怪獣ネガドン」を。


昭和100年(!)の街並みをフルCGで“再現”。
「三丁目の●●」なんかのイヤらしい懐かしさとは、まったく違う、
まだ見ぬノスタルジイを新たに創造するという気概に満ちあふれている。


昭和100年は架空の歴史だが、実際には西暦2025年でそれほど遠くない。
たぶん、その頃になっても、
自動車は空中を飛ばないし、人はウェットスーツみたいなバカな服は着ていない。
街のタバコ屋だってしぶとくありそうだし、
相変わらず朝ご飯にはお米を食べているだろう。
それを予感させるのが、逆説的なノスタルジイであり、
架空の持つリアリティの面白味というやつではないのか。


見終わったあと、
“このひと”と“あのひと”を、
現実の2006年に出会わせてみたいな、というアイデアがもくもくと。


さらに引き続き「寺内貫太郎一家」第14話。
小島一慶、怪演である。