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なにかあり/とくになし

ボの好きな先生

つい数日前、
恵比寿で食事をしていて
「ボ・ディドリーってまだ生きてるの?」という話題になって
「まだまだピンピン元気ですよ」と返事をしたのだが、
元気どころか、
ほとんどその時間帯に亡くなっていたのだった。


不思議なことはあるものです。
享年79歳。


何度も来日しているボ御大だが、
印象に残っているのは
1999年にニューヨークのボトムラインで見たライヴ。


前座はジョン・ホールで
「ハーフ・ムーン」と「ダンス・ウィズ・ミー」のときだけ
会場が少し沸いた。


メインのボ・ディドリー・バンドは
確か4人編成で
ベースは女性、
ドラマーの人は日本人だったと思う。


50年代のボのバンドには
ジェロームという名の
驚異的なマラカス振りがいて、
ボは彼のために
「ブリング・イット・トゥ・ジェローム」という曲を書いている。


「ボ・ディドリー」とか
「ヘイ・ボ・ディドリー」とか
自分のことはよく曲にしたひとだが、
メンバーのことを歌にしたというのも
珍しい。


99年のそのバンドでは
途中で10分以上の長尺ナンバーがあって、
ブルースではなく、
どこかスピリチュアルな構成の曲だったことを
おぼろげに覚えている。


何故おぼろげかというと
あまりに気持ちよくで寝入ってしまったからだ。


ボ・ディドリーというと
彼のオリジナル・アルバムよりむしろ
昔ライノから出ていた「ボ・ディドリー・ビーツ」という
タンタカタンタン、タンタンというジャングルビートの曲を集めた
オムニバスCDのことを思い出す。


ハンボーンという伝統的なリズムがルーツにはあるらしいのだが、
ボ以前からボ以降まで、
ボ中心世界というコンセプトで
いろんな曲が詰まった野心的なCDだった。


解説付きの日本盤も発売され、
ライナーは安田謙一氏だったと思うのだが、
そのCDは随分前から行方不明になっている。


安田謙一「ピントがぼける音」(国書刊行会)をめくってみたが、
その文章は見当たらない。
人違いだったらごめんなさい。


でも、もし人違いだったとしても、
それは良い“人違い”ですよね。


「ぼくの好きな先生」にあやかって
「ボの(ことが)好きな先生」
ということで。