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なにかあり/とくになし

熊本に来たサケロック

高校までしか故郷の熊本にはいなかったから
夜のまちを実はよく知らない。


熊本のライヴハウス
ライヴを見るというのも
今日が初体験であったりする。


帰省を兼ねたとは言え、
その遅すぎる初体験が
サケロックになったのだから
これはひとつの幸運な道筋だったと
言っていいのだろう。


ライヴハウス
Django」という名前で
サンロード新市街を少し入ったところにある。


下北沢の「屋根裏」をもう一回り大きくした感じ。


それでも、
初めて来熊(らいゆう、と言う)するアーティストが
このハコを埋めるのは至難の業らしく、
今日の入りの良さは
異例も異例だと
かなぶんやさんは言っていた。


小学生のころ
毎週土曜日にテレビで放映されていた
熊本独自の洋楽チャート&PV番組
「サタデー・ミュージック・スペシャル」は
MTVよりも
ベストヒットUSA」よりも早かった
この県で育った者には伝説の番組で、
その司会と制作構成選曲などを務めていたのが
DJのかなぶんやさん。


ぼくの作ったインタビュー本
「20世紀グレーテストヒッツ」(音楽出版社)で
ぶんやさんにご登場いただいたのは
念願でもあり
確信犯でもあった。


サケロックを見てもらうことができて
よろこんでくれて
本当によかった。


終演後、
打ち上げまで少し間があったので
「おいしいビールを飲みましょう」と
ドイツ仕込みのビア・レストラン「オーデン」に
夫婦で連れていっていただいた。


馬のホルモンの強烈な美味、
一生忘れません。


その後は打ち上げ本番に移動し
馬刺や芋焼酎でずぶずぶと。


おっと肝心のライヴの話を書いてない。


客席にあった飢餓感と
やっと出会えたという幸福感が反応し、
東京よりもいくぶんメンバーを気持ち良く張り切らせていたと思うのだが、
それは地方出身者のひいき目か。


この規模のハコでひさびさに見るサケロック
何だかちょっとだけパンキッシュでもあった。


パンクという表現はたぶん正しくない。


この規模のハコがやりやすいという本音と
自分たちでも無意識なうちに巨大化した演奏そのもののスケール感とが
ときどきミスマッチになって
曲におさまりきれずに
どこかへ破けて飛んでいってしまいそうでもある、
そんな危なっかしさを嗅ぎ取っていたのだ。


そういう意味では
昔、小さなライヴハウスで見ていたサケロック
今日のサケロックとの
違いというか
成長を見た実感があった。


たぶん、
大きな会場で見るよりもずっと生々しく。


ツアーは続き、
彼らは明日は宮崎へ向かう。
ぼくは博多で再合流する予定。


ホテルに帰ると
アメリカの新しい大統領が
粛々と演説をしていた。
正直、
きみよりも
今夜はハマケンの「生活」の方が
ずっと弾けていたね。


飲み過ぎたかもしれない。
明日はきっとサケの余韻と酒が残るだろう。