mrbq

なにかあり/とくになし

予約をしておいた動物霊園で
火葬の手続きをするために
朝から出かけた。


ツマとかわりばんこに
かごを持ったが、
もそもそむずむずともう動くこともないかごが
やけにしずかで軽いのが切なかった。


かなしいことばかり考えていても
しようがない。


そう言えば、
ツマが獣医さんに出迎えに行ったとき
長年のカルテを見せてもらったら、
最初の診療が95年だったことがわかった。


ぼくたちは
だいたい12年くらい飼っていたような感覚でいたのだが
実際には足掛けで15年、
満で数えても13年は超える歳月を一緒に過ごしていたのだった。


うちに来たときに
推定3歳と獣医さんに診断されていたから、
15歳で死んだと思っていたけれど、
もうちょっと長く生きていたというわけか。


16歳、17歳、
下手したら18歳。


大往生
という言葉に少しでも近づけた、
なんて感慨は
人間のする言葉のあそびでしかないが、
言葉になぐさめられるときだって
あってもいいじゃないか。


曇天の続いた九州から
鮮やかに場面転換したほどに
雲ひとつない
ばかっ晴れの東京。


これは猫の死から続く舞台の場面転換というより
もう違う芝居になっているのかもしれないぞ。


それとも
こんな感じに
からっと送ってくれよと
猫も無言で告げているのだろうか。


人間は
また勝手に
そういうことを思う。


この件について、
いくつか
メールを頂戴しました。
この場を借りて
お礼させていただきます。


ありがとうございました。